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第八十五話 ぼくのなつやすみが4で終わりだなんて思ってない

 俺は村瀬と駅のベンチに並んで座り、なだめるつもり……

 だったんだけど、座った途端、すました顔してやがる。


 ウソ泣きかあ?


 俺が買ってきたコーヒーを不満げに見てる。


「あの先生、私、特殊な病気でドクペとモンエナしか受け付けない

体質なんです。買い直してきてもらえます?」


「うん、ヤマイだな。コーヒー飲んだら治るから」


「……なんでブラックかな」


「サリちゃんが泣くのを……のくだりでお前にも人並に感情が

あるんだなって見直してた自分が恥ずかしい」


「そうですね、先生は恥ずかしい人です。誰彼構わず優しくして、

勘違いさせて、人の心を弄んで、楽しいですか? 悪魔ですか?」


「本物の悪魔は人を弄んだりしないよ。あいつらは犠牲を伴う選択を

強要して常に人を試すだけさ。神にそれを許されたからな」


「なんの話ですか? 私をバカにしてるんですか?」


「俺は誰彼構わず優しくなんかできない。ただ、目と手の届く範囲で

できるだけ優しくしたいとは思ってる」


「菜穂さんって先生の手が届く人ですか? シマナツは?」


「住む世界が違う」


「それなら──」


「シマナツを守りたいと思ったんだよ。何から、どうやって守るのかも

よくわかんないんだけどさ」


 さらに不満げだ。俺の言うことが彼女の期待にまったく

 応えてないのがわかる。コーヒーも飲もうとしない。


「まさにそこなんです。なんでそんなふうに思ったんですか?

菜穂さんのことが好きだからじゃないんですか?」


「違う」


「即答ですね……ますます怪しい。じゃあなんで?

わかってるんですよね?

先生が関わったってどうにかなるようなものでもないって」


 なんで……か。


 理由なんてあるのか?

 そもそも俺はどうしてシマナツを守ろうと思った?


 最初の、安奈さんが菜穂さんを連れてきて、

 どうしてあのとき素直に返さなかったんだ?


「シマナツがかわいそうだったから……?

違うな、そんなシマナツを目の前に、俺は……」


 カリンの手からシマナツを奪った。


 あのときの俺はまるでエリン様だ。

 向こうの世界で、エリン様でいるときの俺。


 あんまり意識してなかったが、俺自身、変わりつつあるのか?


 それは経験による自然な変化の範疇か?


「先生? どうしたんですか、急に真剣な顔して」


「ん? ああ、昔からよく思ってたんだよ、自分が何者か、

とかいうので延々と悩む主人公いるじゃん?

あれ、バカじゃね? って。

自分が何者か、なんて定義できるやつなんかいないし、

いたらそいつは短絡的で思い込みが激しいだけだ」


「あれは手法ですよ。その当たり前のところで悩むのは、

不安定な心情を表現してるんです」


「そう、ただの手法。十代の少年少女ならまだしも、

おっさんが抱えるにはナイーブすぎる」


「痛々しくて見ていられません」


「だろ? ところで村瀬、頼みがあるんだが……

俺が誰か、ちょっと訊いてみてくれないか?」


「ふっ……先生じゃなかったら鼻で笑うところでした。

私たち、なんの話をしてるんですか?」


「いま鼻で笑ったよね? 大丈夫、話は繋がってる」


「では……コホン、あなたは誰ですか?」


「瀬名浩一。鳴神高校の教師だ。うん」


「どうなりました?」


「今のが答えだよ。シマナツを守りたいと思ったのは、俺が

瀬名浩一だから。それ以外に理由が見つからない」


「こんなに時間の無駄だったと感じたのは生まれて初めてです」


「菜穂さんへの恋愛感情が動機じゃない。お前にはそれで充分だろ?」


「いいですよ、今はまだそれで。

ただ、サリちゃんのためにも、態度で示してくださいね」


「お前の白石への感情がときどきよくわからん」


 村瀬は立ち上がり、珍しく笑顔をわかる顔を俺に向けた。

 シマナツより表情がわかりにくいやつだ。


 ただ、なんとなくだけど、村瀬の笑顔には嫉妬と諦めが

 含まれていた気がする。


 カリンは村瀬のメンタルが死んでる、なんて言うけれど、

 今の村瀬からは押し殺した強い感情が漏れ出ていた。


 まるで恋を秘める少女みたいだ。


 いや、『みたい』じゃないのか……。


「お前、白石のこと……」


 村瀬は鼻の前で人差し指をたて、一瞬で無表情に戻る。


 俺のことなんか知らないふうに顔を背けて、

 二度と会うことがないかのように駅の改札を抜けて行った。


「コーヒー、置いてくのかよ」


 コーヒーを飲みながらぼんやりと行き来する人を眺めてると、

 気づけなかっただろうな、と思った。


 リディアに会っていなければ、村瀬の気持ちに気づけなかった。


 これは自然な変化の範疇か?


 そうじゃないのだとしても、それはきっといい変化だ。

 そういうことでいいじゃないか。


 ────────────


 家に戻るとシマナツが台所に一人取り残されてて、気だるげに

 頬杖つきながら俺を待ってた。


「別に待ってなくてもよかったんだぞ?」


「そういうわけにはいかないでしょ。菜穂もお世話になってるし」


「菜穂さん、帰った?」


「ごはん食べてシャワー浴びて寝たよ? 服借りるって」


「俺の家って無料宿泊所とかでネットに紹介されてんの?」


「言えばちゃんと払うよ。ご飯も勝手に食べちゃったし」


「俺の明日の晩メシな」


「おいしかったって、今すぐ白石ちゃんを嫁にしろって。

じゃなきゃ菜穂が貰うってさ」


「菜穂さんは素のテンションが酔っ払いだよな」


「昔っからだよ。初めて会ったときも、病気だっつってんのに

ぶっ倒れるまで連れ回されてさ、そんで死んだ死んだって大泣きするの」


「菜穂さんが泣くのは想像できないなあ」


「すぐ泣くよ? 菜穂はすごい泣き虫。だからね、安奈に頼んで

菜穂には言わないことにしたの」


「何を?」


「私が、四十万夏実が秋にはいなくなるってことをだよ」


 シマナツは何か訴えかけるように俺を見つめてて、

 俺は黙って彼女の前に座るしかなかった。


「私ね、高校三年生の夏に死んだの。それでもかなりがんばったって

お医者さんもびっくりしてたんだよ。そのころには終末期医療を

受けてたから、菜穂には私が良くなってるように見えたでしょうね」


「でもそれは……辛い選択だったんじゃないか?」


「ぜんぜん。目いっぱい楽しもうって決めたから。

三人で外出もしたし、食べちゃダメっていうものも食べた。

それを吐くのさえ楽しんでたよ。

少なくとも最後の夏休みのことを話す夏実は、幸せだった」


「覚悟を決めたお前はそうかもしれない。でも何も知らなかった

菜穂さんや、知ってて一緒に過ごした杏奈さんは……」


「仕方ないじゃない。杏奈はすぐに終末期医療に気づいたし、

菜穂は私が治るって信じて疑わない。

大学に行ってもずっと一緒だって本気で言うんだもん」


 少し怒ってるように見えるのは、シマナツに罪悪感があるからだ。


 それでも……

 それでも話すべきだったと彼女自身が後悔している。


「菜穂さんはきっと怒っただろうな」


「今でもそのことには触れない。でもね、私は最後は楽しく

過ごしたかったの。ほっぺの赤い、笑顔の私を覚えていてほしかったの。

それって、そんなに贅沢な願いかな?」


「いや、願わなくてもそれが叶ってる人もわりといる。

当たり前、とまでは言わないけど」


「私には命がけの願いだった。それを菜穂も杏奈も理解してくれるって

勝手に思っていた。二人がどんなに傷つくか、考えもせずに」


「今回は違うだろ? 安奈さんから言われて黙ってた」


「え?」


「シーマのこと、黙ってたことでまた傷つけたって思ったんじゃないのか?

あれ、違った? 急にそんな話するから、そうかなって」


「そー……なんだけどねー」


 ああ、なんかうんざりした感じになってる。

 俺、なんか間違った?


「あのさ、花火見た帰りに突然倒れて救急搬送される、

ドラマチックな展開についてまだ話してないんだけど?」


「あ、俺、そういうとこで切られると次から観ないんで。

めんどくせってなって」


「アニメの話じゃねーよ」


「泣き、笑い、そして生きた。

みんな同じだよ。友達に嘘もつくし、隠し事もする。

それで傷つけたのだとしても、菜穂さんはお前の側にいるじゃないか。

お前が最後だと思ってる夏休み、

菜穂さんは最後だと思ってないかもしれないぞ」


「冗談でしょ? まだ夏休みのつもりなの?

さすがにそれは菜穂でもちょっと引くわ」


「いやなのか? 夏休みの続き」


「いや……じゃないかも、しれない……」


「だろ? 俺もぼくのなつやすみが4で終わりだなんて思ってない」


「わりといいこと言った後、自分で台無しにしていくの、なんで?」


「おま……神ゲーに向かってなんてことを!」


「めんどくせーな、こいつ。真面目に話すと損する。

もう寝たら? 先生って朝早いんでしょ?」


「いーや、ダメだね、これから瀬戸内少年団を耐久プレイだ。

お前に神ゲーをわからせる」


「いや、ほんとそういうの結構ですので……」


「俺は本気だ。

最後の夏休みの思い出で一日を終わらせたりしない」


 必要なのは新しい思い出だ。


 シマナツにも菜穂さんにも、安奈さんにも。


 四十万夏実の死で終わった夏を再び動かすために。


 ただ途中からシマナツもぼくなつに入り込んじゃって、

 徹夜しちゃったのはやりすぎだったと思う。


 起きてきた菜穂さんにめちゃくちゃ怒られた。

読んでいただき、ありがとうございます。

まだまだ手探りで執筆中です。

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