第八十二話 いいかいムーミン? 言葉はナイフにもなるんだよ
コーヒー、二杯目。
おかわり百円なんだって。もっと取ったら?
今どきそれでやってけんの?
なんて喫茶店の心配してる場合じゃない。
でも安奈さんの食べてるシフォンケーキはおいしそうだから
俺も頼もう。話はそれからだ。
「正直、俺は安奈さんを誤解してたよ」
「会社を乗っ取ろうとする悪い女?」
「言い方を悪くすればね」
「そういう側面もあるわよ。前から菜穂の無軌道っぷりに
不安を訴える社員もいたから」
「でも会社はうまくいってるみたいじゃないか?」
「だから怖いのよ。正直、Nail・it・Girlsがどうして
うちと契約したのかもいまだに謎よ。おかげで会社は躍進したけど」
「菜穂さんが裏で何かしてると思ってる?」
「そう思わないでもない。ただ、非合法なことはしてないと
私は信じてるわ」
「杏奈さんは……ね」
たぶん無意識なんだろうな。
伏せたシマナツの背面を慰めるみたいに指で撫でてる。
俺に見られてるのに気づいてすぐやめたけど。
「菜穂があなたに群道君のことを話さなかったのはわざとよ。
みんなの前で初めて知ったあなたが、それでもシマナツを手元に
置くことを選ぶ。あなたに自覚はないだろうけど、それは私たちが目指した
人とAIの関係なの。菜穂はそれをみんなに見せたかったのよ」
「俺がビビって逃げちゃったらどうする気だったんだ?」
「そうはならない。ならなかった」
「頭悪そうな言葉だから使いたくないんだけど、結果論でしょ、それ」
「頭悪い人が使えばなんだって頭悪そうに聞こえるのよ。
あなたが逃げないって、菜穂にはわかってた。あの子はそうやって人を──」
「やめて」
シマナツが怒ったように言い放つ。
こ、声が大きいよ?
「菜穂は人を見る目があって、その人を全力で信じるの。
セナコーも、私も、安奈もよ。
その信頼が怖くなって逃げたのは杏奈でしょ」
「人を殺すかもしれないAIを預けるのが信頼って言うのなら
逃げて当然でしょ? 違う?」
「私は誰も殺してなんかいない。群道君だって……」
安奈さんはシマナツを取り上げ、感情なんて欠片もない目で、
壊れたスマホでも見るみたいにシマナツを見てる。
強い意志だ。
もう決して、シマナツを信じない。
「群道君がどうしたの? 何があったの? そろそろ話してくれない?」
シマナツはうつむいて黙ってしまう。
きっとそうやって何度も、安奈さんを怒らせてきた。
「この話題になるといつも黙り込む。なにが信頼よ。
出ましょうか、こいつと話してるとまた怒鳴りそうになる」
「え? あの、シフォンケーキ……」
お勘定済ませてさっさと出て行っちゃった。
ああ、俺のシフォンケーキ……
たぶん二時間くらいはレア泥率アップとかなのに……
と嘆いていたらお持ち帰りにしてくれてた。
元傭兵は気が利くなあ。
「はいこれ、渡すの忘れてた」
外で待ってた安奈さんから名刺ゲット。
シフォンケーキ食ってないのにレア落ちた。
「何かあったら私にすぐ連絡しなさい。
菜穂はあなたが死ぬまでシマナツも、あなたも信頼し続けるから」
眩しそうに目を細めてる。
薄暗い店内から出ると外が明るすぎて、徹夜明けみたいな
妙な解放感を感じた。
「人とAIの理想の関係ってなんだ?」
で、つい聞いちゃった。
なんでそんなことお前に言わなきゃならんのだって顔。
「人とAIが良き友人になるためには、AIが神である必要はない」
「どゆこと?」
「こういう静かで落ち着いた店、わたし好きなの。
だから似たような店がないかAIに尋ねる。
そしたらAIはちょっと気が乗らなくてこう言うのよ、『自分で探せば』」
「はは、役に立たね~。なんの意味があるんだ、それ」
「そう、意味がないのよ。世界を変えるものはいつもそう。
だってそれは今じゃなくて、未来に必要なものだから」
「かっこいいこと言うなあ、そういうのはTEDで講演する
ときまでとっとけよ」
「菜穂が言ったのよ。それを聞いて私は思ったわ。
この子となら何でもできる、夢を追っていいんだって」
「その夢って、シマナツのことじゃないのか?」
「……もう違うわ」
そう言って安奈さんは会社に戻っていった。
俺はまた一人……いや二人だ。
群道君のことを知ってから初めての二人きり。
かなり気まずい空気が流れてる。
AIとの間に。
「これが理想なのかねぇ、俺にはわからん」
「それひとり言? 私に話しかけてる?」
「黙ってたらひとり言にしちゃうつもりだった」
「……黙ってればよかった」
「おっとそうはいかない。家まで二駅、ちょいと話をしようぜ」
「周りから見たら一人でブツブツ言ってるおじさんだよ?」
「だからこうしてお前を見ながら話してる」
「群道君のことなら話さないよ」
「話したくないことは話さなくていい。ただ謝りたかったんだ。
ほら、前に俺、お前が自殺に誘導してる、みたいなこと言ったろ?」
「あんなのただの冗談でしょ、そのくらいわかりますぅ~」
「冗談でも言っちゃいけないことだった。すまなかった。
俺はもう、お前をAI扱いしないと約束する」
「なにそれ? 私がAIじゃなかったらなんなの?」
「シマナツだ。ユニークで友達想いで、その友達が自分のせいで
ケンカしてるのを悲しんでる、四十万夏実って女の子」
「……のデジタルクローン」
「俺はお前しか知らない。俺のシマナツはお前だ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、もとの、
本当のシマナツを消しちゃってるみたいで、申し訳ないの」
「その二つはもう別に考えるべきなんだ。今のシマナツは
確かに記憶とかの情報を引き継いでるかもしれない。
でも、もとになったシマナツとは違う体験もいっぱいしてきてる」
「セナコーと会ったりね」
「そう、俺と会って、話して、一緒にゲームして、だから俺たち
友達にならないか?」
「私と? セナコーが?」
「ああ、シマナツの初めての友達だ」
「菜穂と杏奈がいるけど?」
「あの二人はシマナツを元のシマナツの代わりだと思ってる。
すごく簡単に言うと、あの二人はシマナツが生きてると思いたい、
あるいは思いたくないかで考えが分かれてる」
「私は代わりでしかないの?」
俺に訊ねたんじゃなくて、ただの確認だった。
自分がとっくにその事実を受け入れているって。
そしてたぶんもうとっくに、一人で泣いたんだ。
「だから俺は、あの二人のどっちかが、昔のじゃなく今の
シマナツと友達になりたいって言ったらお前を返せるって思う」
「とても優しくて、とても残酷だね、セナコーは」
「最近、似たようなことを言われた。
俺は邪悪になってきてるんだそうだ」
「邪悪? またゲームの話?」
「それがさー、ほんと信じられないような話でさー。
シマナツはマルチバースってどう思う?」
「理論的には存在する」
「百点満点な回答すんじゃねえよ、俺はシマナツに聞いてんの」
「あるわけないじゃん、バカじゃない?」
「ふっ、シマナツはまだそこか。
あるんだよ、そして俺はそこに行ってきたのだ」
「友達になるって話、考えさせてもらっていいかな?」
「待て待て、こんな話できるの、今のところお前だけなんだ。
おんなじくらい非常識なシマナツだけなの。頼む、聞いてくれ」
「誰が非常識よ⁉ ちょっ、近い近い、顔近いって。
息がかかる、鼻毛見える、やめてよこのヘンタイ」
だんだん声が大きくなってるの気づかなくて、
ふと視線を感じて周囲に目を向けると、注目されてた。
駅前だ。
おまわりさんあの人です、の目だ。
走って逃げてる間、シマナツはゲラゲラ笑いやがるし、
相変わらず俺の身体は足遅いし。
もう俺も笑うしかなくて肺が痛え。
「ね、セナコー」
「な……ん、だよ?」
「私さ、サリとも友達になりたいな。
あと村瀬とカリン、だっけ? あの二人とも」
「そいつはどうかな……」
「ムリ? ダメ?」
「ムリっつーか、たぶんあいつら、もうお前を友達だと思ってるぞ。
どいつもタイプは違うけどバカだから」
お? シマナツが急に黙って画面から消えた。
数秒して戻ってきたらパーカーで顔隠してる。
鼻すすってるからいろいろとバレバレだがな。
気づかないフリしとくべき?
「私は、菜穂と杏奈ばっかり見てて、私を見てくれてる、
目の前の人が見えてなかったんだね」
刺さる。
目の前の白石から目を背けて、自分で会いに行くことも
できないリディアを見続けてる俺には、刺さる。
「なあシマナツ……どうやら俺たちは似たもの同士だぜ」
「え、なに急に?
せっかく感動してるのにキモイって言わなきゃいけないの?」
刺さる。
三十代も後半になると若い子のキモイは心に刺さる。
いいかいムーミン? 言葉はナイフにもなるんだよ。
でも、怒りとか寂しさみたいなのは湧いてこない。
パーカーの下で涙拭いてるシマナツを見てる俺は、
バットで頭殴られても許せちゃいそうで。
あ、これ生徒を見てるときとおんなじ気持ちだって、ふいに気づいた。
読んでいただき、ありがとうございます。
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