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第六話 悪魔ってことはやっぱりあれをやっとかないとダメだよな?

 ヤバい、本当にやっちまった。

 不可抗力、ふかこうりょくなんだ、これは。

 言うのか? 言うのか俺?


「……知らない天井」


 言っちゃったよ。


 身体があちこち痛くて気分も悪いし、

 自制心がね、働かないっていうかね……

 天蓋付きのベッドでなんか寝たことないしね。


 取れるんじゃないかとビクビクしながら首を動かすと、

 ベッドから少し離れて

 薬液に浸した包帯を乾かしているリディアがいた。


 高校教師として生きていくために、

 女子の後ろ姿とかに一秒以上視線を固定しない

 という強力なパッシブを持っている俺だが、

 リディアには発動しなかった。


 ずっと、見ていたかった。


 俺の声がうわ言じゃないと気づいたのか

 彼女が振り返り、目が合う。

 推し量るように眉をひそめて、すぐに俺だと気づいたみたいだ。


「あなたでしたか……」


 軽いため息。

 でも目から光が消えるようなことはない。

 無事で安心した、のため息だ。きっと。


「残念だがまだ俺だ。あの後、どうなった?」


「あなたはしっかり役目を果たしましたよ。

今は兄さまたちが事後処理を行っています。

気にせず、休んでいてください」


「指一本も動かせねえよ」


「喋れるなら上々。喉、乾いてませんか?」


 俺が無言で目線を下げると、

 リディアはどこかくすぐられたみたいに笑う。


「大丈夫ですよ、エリン様の身体は回復も早い。

脇から漏れたりしません」


「じゃ、飲む」


 リディアは水差しからコップに水を移して持ってきてくれる。

 だいぶ頑張ってくれたみたいだ。

 袖やエプロンが黒く変色した血で染まってる。


 彼女はエプロンを外して袖をまくると、

 俺の背中の下にクッションを入れて上半身を抱き起す。


「いや、一人で飲める」


「指一本動かせないと言いました。いいから委ねなさい」


 赤ん坊を抱くみたいに俺の頭を抱き、

 唇にコップを添えてくれるのだが、緊張で飲み込めない。


 触ったことも触られたこともないんです。

 首筋や肩で感じる彼女の身体はどうしてこんなに柔らかいんだ。


「ゆっくりでいいです。

喉に飲み込む練習をさせるみたいに、ゆっくりと」


 甘い声で囁くな。

 マジでヘンなところ大きくなってないか心配で身体を見下ろし、

 愕然とした。


 エリン様の身体、包帯だらけ。

 隙間から覗く肌も鉄さびみたいな色で、

 見たらその部分が痛くなってきた。


 あの厄介な籠手とレガースもなくなってるし、

 全体的に小さくなって弱々しい。


 顔……顔は大丈夫か?

 カワイイまま?


 焦って水が気道に入って咳きこむと、

 リディアは指で口元を拭ってくれた。


「すまない」


「いえ、このくらい」


「そうじゃなくて、エリン様の身体だよ。

ボロボロにしちまった」


「相手が相手です、仕方ないでしょう。

あなたは精いっぱいやってくれましたよ」


「優しいな。ちょっと気味悪いぜ。

あんたのことだからエリン様の身体を傷モノにしたって

怒り狂うかと思ったのにな」


「怒りません」


「ムリすんな、ほんとはちょっとくらい怒ってるだろ?

遠慮なく言ってくれていいんだぜ。

そのほうがあんたらしい」


「私の何を知ってるというんです?

何度でも言いますが、あなたは精いっぱいやってくれた。

私たちを守ってくれた。

あなたをエリン様だと思っている兄さまたちにとっては当然ですが、

私は知っています。あなたがどんなにがんばってくれたかを。

だから私は怒りません。

むしろ褒めてあげます」


「エリン様の顔、ぐっちゃぐちゃなのに?」


「綺麗なままです」


 リディアは輪郭をなぞるように

 俺の頬を親指でそっと撫でた。


 柔らかくて滑らかな、曲線。


「あー、なんていうかな、気持ちは嬉しいんだけどさ、

今はそうじゃないっていうか……さ

……褒められたもんじゃ、なかったろ、あれは」


 なんだか声が震えるな。

 泣く要素とかどっかにあった?


「そんなことはありません。

エリン様本人かと見まごうばかりの──」

「やめてくれるか、それ」


 あれ? 俺の言い方きつくない?

 こんなに献身的に看病してくれてるのに。

 優しく、触れてくれてるのに。


 リディア……

 なんでそんな目なんだよ。

 なんで悪魔が俺を憐れんでるんだよ。


「あなたは知らなかったんです。それは、罪ではありません」


「知らないですまされないんだよ。すませちゃいけない」


「私は知っていました。知っていて言わなかった。

知らないですませられないなら、私を責めなさい」


 身体が動かなくて、どこにも逃げられなくて、

 顔を背ける。


 情けないよなあ。

 彼女の顔が見えなくなった途端、

 俺はあのときに逆戻りだ。


 沸騰したみたいに熱い血とか、

 手の中で潰れる感触とか、あの声も。


 手足が痺れて汗が吹き出し、

 リディアは体温を分け与えるみたいに強く俺を抱きしめる。


 身体が覚えてる。

 夢の中で、籠手が外れなくて泣いてる俺を温めてくれたのは彼女だ。


 それに気づいたらもう、

 一瞬だって閉じ込めておけなかった。


「俺、止めようとしたんだ。

天使にもお願いしたんだ。

助けてくれ、俺を止めてくれって。

でも、どっか行っちまった」


 夢から覚めても泣いてる俺は、

 夢の中と同じように彼女に抱きしめられている。


 押し当てられた胸から彼女の鼓動を聞いていなければ、

 叫び出してバラバラになってしまう。


「離さないでくれ、リディ。

お前はどこにも行かないでくれ」


「はい、ここにいますよ。

あなたの側に、エリン様でない、あなたの側にいます」


 俺は彼女の腰にしがみついて、声を上げて泣いた。

 俺の声は彼女の腹の中に響いて、

 俺の喉に合わせてリディアの身体が震えてるみたいだった。


 彼女はときどき俺の頭や背中を撫でて、

 赤ん坊をあやすみたいな声で何か囁いてくれたけど、

 正直、ぜんぜん聞こえてなかった。


 一度声を出したらもう止められなくて、

 好きに声を出して泣くのって気持ちいいんだなって思って、

 あとはもうただ泣いてた。


 手に残る感触とか血の臭いとかみんな忘れて、

 泣いてる俺は空っぽだった。


 母親の身体から出てきたばっかりみたいに、空っぽだったよ。



 女の身体ってのはすごいよな。

 どのくらい泣いてたか……

 たぶん、長めの動画一本見ちゃえるくらい泣いてた。

 男だったらそんなに泣けないよ。


 俺、泣き虫じゃないもん。強い子だもん。


 リディアから離れてまっすぐ顔を見れないの、

 別に照れてるわけじゃないんだから、勘違いしないでよね。


「落ち着きましたか?」


「は? 何が? 俺ずっと落ち着きまくってたよ。

もしかしてほんとに泣いてるとか思ってた?

あれ、油断させるための演技だから」


「そうですか。それはすっかり騙されてしまいましたね」


 笑ってやがる。

 まああんだけ泣いちまったら、

 俺のことお子様にしか見えてねえだろうしな。


「ずいぶん余裕だな。

エリン様はもう戻ってこなくて、こんな情けない俺が

ずっと代わりをやんなくちゃいけないかもって考えない?」


 洗うものと捨てるものを仕分けしていたリディアはちょっと考え、

 椅子をベッドの側まで持ってきて腰かける。


「遠目でも、戦っているあなたが苦しんでいるのがわかりました。

エリン様がそんな顔をしたことはありません。

でも、いつものエリン様とどこか重なる部分もあったんです」


「へえ、どんなとこ?」


「うまくは言えないのですが、

相手への共感というか、哀惜というか。

戦っている相手の顔をいちいち覗き込んでいるような、

そんな感じです」


「俺、そんなことしてないよ?」


「例えです。うまく言えないと言ったでしょう。

ちゃんと聞きなさい」


「すんません」


「それで、そう見えたときに思ったんです。

もしかしたらエリン様も苦しんでいたのかもしれないと。

だとすれば、私たちはあの方に

ずっとつらい思いをさせていたことになる」


「だから去った?」


 リディアは悲しそうに目を伏せる。

 いろいろ考えて、最後に残った可能性。

 だからってそう簡単に受け入れられるわけもない。


「だとしても代わりがなんで俺?

もうちょっとマシなの、いなかったのかよ」


「さあ。意外としっかり選んであなただったのかもしれませんよ。

エリン様よりうまくできるって」


「んなわけあるか。

少なくとも昨日みたいなのは二度とごめんだ」


「そうでしょうね。私としても無理強いはできません。

そんな力もありませんし」


「ん? それってつまり……やめちゃってもいいの?」


「あなたは狂乱の天使を退けてくれた。

それだけで感謝してもしきれないくらいです。

あとは自由になさっても、誰も文句は言えません」


「この国はどうなる? エリン様なしでやってける?」


「もともとは兄さまが中心となって興した国。

私たち自身で守らなくてどうします?」


「そっか」


「そうです。だから気にせず、好きになさってください」


 なんか拍子抜けだな。

 もっと、頼られるかなって思ったのに。


 リディアは話がすんだというように手を叩き、片づけに戻る。


 鼻歌が妙にわざとらしいぞ。

 やっちまったって感じか?

 たぶん俺を引き止めるつもりだったんだろうな。


 俺は?

 どんなつもりだった?


 ま、考えるまでもないよな。


「それなら好きにさせてもらうよ。

そうだな、まずはあの聖堂騎士の裁判だな。

やり方を変えるいい機会になる」


 リディアは横目で俺のことを見てるけど、

 何言ってるのかわからないってふりしてる。

 もう一言欲しいって顔だな。


 欲しがりさんめ。


「エリン様として、俺にもできることがあると思う」


 リディアは使用済みの包帯を巻き取りながら軽くうなずき、

 俺の言葉を口の中で反芻してる。


 採点を待つ生徒の気分を久々に味わった。


「わあ、あなたならそう言ってくれると信じてました」

 ちょい棒読み。


「このやろう。しおらしくしてれば俺が逃げないと思ったな。

その通りだよ」


「いいえ、あまり強く言うと逃げてしまうと思いました。

臆病な猫みたいにね。

ギリギリまで悩んだんですよ。

でも、あんなに泣かれたら……ねえ?」


「やめろ、忘れろ。お前、エリン様に失礼だぞ」


「誰がエリン様ですか。調子に乗らないで」


 かなり強く言い放つ。

 強く言ったら逃げるって思ったんじゃ……


 でも、俺がベッドの上で身体を起こすと

 着替えとかを投げ捨てて支えに来てくれる。


 勢いあまって互いの額がぶつかりそうになって、

 でもそんな間近でも、彼女はためらいもなく俺の目を見るんだ。


 そしてちゃんと、俺の不安を見つける。

 だからそれを彼女に隠す意味なんてない。


「手伝ってほしい。

俺がエリン様じゃなくても、俺の側にいてほしい」


「もちろんです。何なりとお申し付けください」


 彼女は忠誠の証であるかのように

 俺の手を自分の心臓の上に置いた。


 待って、女同士だからってそういうの気軽にやんないで。


 たぶん赤くなってる俺を、

 頬を緩ませ……いやもうほとんどにやけた顔で見つめながら、

 リディアは思い出したように聞いてくる。


「そういえば、あなたの名前を聞いてませんでしたね。

みんなの前ではエリン様と呼ぶのは仕方ないとして、

二人のときくらい本当の名前で呼んであげてもいいですよ」


「う~ん、やめとくよ。

そういうのはどこで間違えるかわかんないからな。

とりあえすエリン様で」


 たいして何も考えずに答えたけど、

 リディアはちょっと感心していた。


「へえ、まあまあ頭が回るんですね。

名前を聞き出して一方的に契約を結んでやろうと思ったんですが」


「そんなのに引っかかるかよ」


 あっぶねー。

 めちゃくちゃ油断してた、心許してた。

 やっぱ悪魔だわ、この女。


 ちょっと待てよ、悪魔だ。

 てことはやっぱりあれをやっとかないとダメだよな?


 俺はさっそくリディアに最初のお願いをする。


 聞いてもよくわかんないって顔してたけど、

 まあそれくらいならって感じでやってくれた。


 スカートをちょっと持ち上げ、片足を引いてもう片方の膝を曲げる。

 カーテシーだ。

 絶対この世界に定着させてやる。


 それでは、肝心のやついってみよう。


「今後ともよろしく。

あの……これで合ってます?」


 俺はこの世界に来てからたぶん初めて心の底から笑顔になれた。


「完璧」

読んでいただき、ありがとうございます。

まだまだ手探りで執筆中です。

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