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第二十一話 ヨルシカには遠く及ばない

 俺がバカみたいに天井を見上げて

 突っ立っているとカリンの目が薄く開いた。


 よかった、生きてる。


 生きてる……けど、どうすりゃいい?


 降ろそうにも手が届かないし、

 そもそも足がすくんで動けなくなってる。


 俺、よっぽど情けない顔してるんだろうな。


 カリンが苦しそうに歪んだ顔をさらに歪め、

 鉄も曲がりそうな目で俺を睨む。


「ご、ごめん、でもこんなの俺、どうしようも……」


 子供みたいに謝ってる俺の視線が

 カリンの目の動きに引きずられる。

 首も肩も、何かに掴まれてるみたいに強引に横を向かされる。


 婆ちゃんの部屋は廊下を挟んで向かい側にある。

 間のふすまは閉め切られていたんだけど、今は開いてた。


 必死に逃げたんだろう。

 婆ちゃんの部屋のほうのふすまは半分破れて外れてた。


 結局俺は、彼女の姿を見るまで心配さえしなかった。

 考えようとしなかった。


 それが一番怖くて、目を逸らしてた。


 卑怯者。


 下着と一緒にブラウスを引きちぎられて上半身裸の白石が、

 仏壇の前で倒れてる。


 露わになった乳房の乳首の周りに歯形がつき、

 食いちぎられそうなくらい引っ張られている。


 血が赤い母乳みたいに溢れて、腹の凹みに溜まってた。

 スカートは捲れ上がり、

 太ももが五指の形に握られて歪んでる。


 でも、見えないんだ。

 白石に覆いかぶさってるはずの何かが、見えない。


 苦痛が彼女の顔から生気を奪い、羞恥が涙を溢れさせる。


 きっとそのときだ。

 諦めてだらりと垂れさがる白石の腕を見たとき、

 俺も諦めてしまった。


 泣きわめいてうずくまって、みんな終わるまで耳を塞いだ。


 だから音が消えたんだ。


 俺の身体はたった一歩でソファを飛び越えていた。


 まるで俺に向かって周囲の景色が縮むみたいに

 婆ちゃんの部屋が近づいてきて、

 あと一歩よけいに踏み込んでたら白石を踏み抜いていた。


 勢いのまま足を前に出して蹴ったら、

 軸足の下で廊下の床板が割れた。


 狙いは白石の乳房の上。

 噛みついてるなら、そこに頭があるはず。


 何もない空間を俺の足が突き抜ける。


 ふくらはぎの肉がシュレッダーに通したみたいに、

 膝の裏まで削がれた。


 俺の身体の一部が、肉片が宙に浮いてる。

 悪寒が身体を這い上がる前に胸を強打される。


 壁まで吹っ飛ばされ、俺の背中が仏壇を粉砕する。


 まだ動いてるか?

 俺の心臓。


 頭の後ろに何か刺さってる感じがするが、

 確かめる暇なんてない。


 首を掴まれ、吊り上げられた。

 これは前にもやられたな。


 ……リディアに。


 違う。

 なんであいつのこと思い出してるんだ。

 俺が考えなきゃいけないのは目の前の人だ。


 白石。

 壊れた人形みたいに床に倒れて動かない。


 でも、目は俺を見てる。

 表面に膜が張ったみたいに何も映してない。


 ただ、ちょっとずつ動いて探してる。


「や……めろ、しら、い……」


 俺は腕を振り回す。

 相手は俺の首を掴んでるのに、俺は触れることもできない。


 チート使ってんじゃねえぞ、クソが。


 もがいて、あがいて、酸欠になって、

 頭が破裂しそう。


 暗くなっていく視界に響くのは

 唸り声のような音だけ。


 白石はこれから自分がどうなるかわかるから、

 探してる。


 自分を死なせる手段を。

 一緒に死ぬ覚悟を。


 悔しい。

 俺にはその覚悟がない。


 白石を助けられなくて、

 同じくらい死ぬのが怖くて。


 頭のどこかで血管でも破れたか?


 唸り声のような音が激しく頭を揺さぶり、

 骨が振動して腕が痙攣した。


 最後に見るのは白石の失望だ。

 顔をしかめ、耐えがたい苦痛にぎゅっと目を閉じる。


 彼女以上に怯えてる俺を見せた。

 血を流させるよりひどいことをした。


 白石が緩慢な動きで、閉じこもるみたいに耳を塞ぐ。

 きっとこの不快な音を聞きたくないんだろう。


 頭の中で鳴り響く轟音のように……


 いや違う、白石にも聞こえてるのか?


 この音。

 唸るような声……


 不機嫌な犬のような……唸り声?


 俺は痙攣する自分の右腕を見る。

 覚えがある、この感覚。


 柔らかいものが無数に潰れる感触。

 土に鉄球が落ちるような重苦しい音。


 二度と思い出したなくない記憶を、

 俺は手の中に握り込んだ。


 落雷のような悲鳴。

 空気の振動で窓ガラスが割れた。


 鼓膜が無事だったのは唸り声のような音が

 俺を包んでいたからだろう。


 足が床についたけど、身体を支えられなくて膝から崩れた。


 見上げると、映像の映った幕が歪むみたいに、

 空間そのものが捻じ切れて血まみれの腕が露出していた。


 肘を中心に渦を巻き、骨ごと肉が潰れてる。


 捻じれた部分に引っ張られて肩から上が横にずれ動き、

 顔を包んでいた膜が半分剥がれていた。


「……斎藤先生」


 顔にいくつも血の混じった水疱ができていて、

 まるで別人。

 彼だろうと思っていたからわかっただけ。


 ただ、その目。


 目線を交わした瞬間にふっと何かを思い出しそうになって、

 不用意に深く覗き込もうとした。


 下から蹴り上げられ、背中を天井に叩きつけられる。

 太い梁と俺の背骨が軋んでセッションしてる。


 背中からの衝撃が胸に突き抜けるより早く、

 顔と胸から床に落ちて跳ねた。


 ぐっちゃぐちゃだよ。

 身体ん中、臓器とか骨とか、絶対に元の位置にない。


 視界の端でカリンと村瀬が俺と一緒に落ちたのが見えた。


 カリンなんか俺よりずっと素早く起きて、

 鼻血吹き出しながら俺と白石の名前を呼んだ。


 なんでそんなに動けるんだ?

 なんで他人の心配できるんだよ?

 お前もあのスキル持ってんのか?


 お前、『も』?

 俺、そんなことできてるか?


 エリン様の身体じゃない、今の俺にそんなことできるか?


 ほら、カリンの声に反応しろよ。

 自分のこと後回しにできるんなら、

 何かしてみせろ。


 右手を持ち上げ、斎藤先生に向ける。

 振動はまだ続いてる。

 潰せる。


 常識ってもんが通じねえんだよな、こういうやつら。


 渦巻いて潰れた腕をぶつけてきやがった。

 細かく砕けた骨がのこぎりみたいに俺の腕を削る。


 風圧で何か飛んできてる気がして、左腕で頭を庇った。

 力が入らない。

 そもそも力が足りない。


 蹴りを受けた自分の腕が顔面に突っ込んできて、

 頬骨と鼻を圧し潰す。


 すかさず逆側からも頭を蹴られた。


 一瞬だけど間違いなく、

 俺の意識は1mくらい身体から離れたね。


「やめて、先生が死んじゃう、やめて」


 白石が叫んでる。


 畳に爪を立てて掻きむしり、

 手に火でもついてるみたいに苦痛に顔を歪めて。


 俺はもう立てなくて、

 尻の下に足を折りたたんで斎藤先生を見上げてる。


 ようやく思い出したよ、その目。


 位置関係は逆だけど、俺も同じ目をしてたじゃないか。

 空の上で俺を見ててくれた、

 狂ってるけど慈悲深い天使に。


 倍くらいに膨らんだ唇が動いて、水疱が弾けた。


 角度が悪かったんだろうなあ。

 血を被っちまった。


 助けて。


 ああ、唇の動きだけでわかるよ。

 俺も同じこと言った。

 懇願した。


 でも口から出た言葉は違った。


「ふた、りの暗き、ひ、ミツ……をよりあわ……」


 背筋を這い上がるぞわりとした寒気が、

 頭まで来るとすごく熱くなる。


 初めてだ。

 こんな、熱くて冷たい、頭が痺れるような怒りは。


「なんで……なんで、

てめえまでこっちにいるんだよ、アモン!」


 その名を呼ぶと同時に白石がひときわ大きく叫ぶ。


 ペンチで挟んで持ち上げるみたいに、

 人差し指の爪が剥がれてく。


 剥がれて、浮いてる。


「カリン、歌えっ」


「はあ? 何を?」


「なんでもいい、好きなの歌え」


 俺がアモンの名前を呼んだのが気にいらなかったのか、

 口の中に足のつま先ねじ込むようにして蹴られた。


 顎が天井向くくらいのけ反ったよ。

 俺の背中、こんなに曲がるのか。


 でもそれだけだ。

 ちょっと目が霞んで、息ができないだけだ。


 こらえられるよ。

 もうどこにも背中はつけない。


 歌が、聞こえるから。


 いいぞ、聞き分けのいい生徒はほんと助かる。

 選曲も完璧。


 見ろよアモンのやつ、動きが止まってる。


 どうだい、現代の歌は?


 ネットのおかげで聞き手は世界に何億人っている。

 そんな中で磨かれてるんだよ。


「この三流悪魔詩人が、聞き惚れてろ。

お前なんか遠く及ばねえよ、ヨルシカにはな」


 ゆっくりと土を踏み固めるみたいに立ち上がり、

 斎藤先生の頭からずれた透明な膜のほうに手を伸ばす。


 もう一つの、頭。


 微かに残された振動では潰せないが、掴める。


「白石、白石……サリっ!」


 名前を呼ばれてようやく顔を上げた白石は、

 自分の頭の周りを旋回してる爪を見て呆然としてる。


 音もなく飛び回る蜂みたいな爪が、

 俺と白石の視線が交わるところで静止した。


「……撃ち抜け」


 俺が掴んで引き離したもう一つの頭を、

 斜めに傾いた陽の光が一瞬、横切っていくみたいに、


 白石の爪が一直線に貫いた。 

読んでいただき、ありがとうございます。

まだまだ手探りで執筆中です。

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