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異郷生態調査録  作者: 東堂幸一
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空鯨の章:序1

 シア荒原地帯が位置するのは大陸中南部、ナブア共和国とナナフ公国に跨るクルエスト山脈の外れだ。

 幾重にも折り重なった山脈の東外れ。北南と西の三方を高い山々に囲まれた地域で、残る東にも高くはないもののやはり山。

 その結果、季節風の影響で東から雲が入る双子宮から天秤宮の間は雨季として広大な花畑となり、西の山脈に雲が阻まれる天蠍宮から金牛宮は乾季として荒野になるという、極端な二つの姿を持つ。

 この二つの極端さには、季節風の他にある生物の影響が極めて大きく関係していて、それが今回調査に来た・・・


 「おい」

 手帳から目を離すと、火を挟んだ向かいの少女は、聴く素振りも見せずに夢中で干肉に食らいついていた。

 「聴いてんのか?」

 「ひーてふ(聴いてる)

 やや浅黒い肌と整った顔立ちに、独特の模様を刻んだ厚手の民族衣裳。

 膝の関節が逆を向いているような奇妙な足と露出した山羊のような足先はサテュロス、曳いては高山地帯に住まうニアフ族の特徴だ。

 ニアフ族は上半身が人、下半身が山羊の亜人種"サテュロス"の血を引くと考えられるが、何故だか山羊足の者と人の足の者が、約半数ずつ産まれる。

 時には兄弟や双子の間でも足の形が異なる事もあるという、謎多き部族だ。・・・いずれはその謎も解明したい。



 話を戻すと、この少女はニアフ族のサティア。

 

 三ヶ月前に立ち寄った村で出会ったのだが、どうやら生物の調査に興味があるらしく、ひとまず村から比較的近いこの荒原の調査に付いてくる事にしたらしい。


 あぐあぐと干肉を頬張り、合間に指を舐めるサティア。

 

 「・・・行儀悪いぞ」

 「母様(アルーシャ)父様(サルーシャ)も居ないし、今はクロアしか居ないもん」


 村を出た頃はもう少しちゃんとしていたのだが、一月も旅すれば途端にこれだ。


 元々好奇心旺盛な娘だと聞いていたし、辺境の村では窮屈な部分もあったのかもしれない。村から離れればば案外こんなものなのだろうか。


 

 「まぁ、何はともあれ、これから4ヶ月間。乾期の間は一緒に過ごす事になるんだ。戻った時に説教されないようにな」


 「んー」とわかっているのか怪しい返事を返し、そのまま横になるサティア。

 黒い蹄がさらさらと砂を押し退け、裾が捲れて艶のある柔らかそうな毛が露出した。

 長時間歩いて来た為に所々土や泥が付いているが、少女は気にしていないようだった。

 それもそうだろう。サテュロスの足元は皮膚も毛も硬い。多少の汚れ程度では、そもそも気付いてすらいないだろう。


 そういった部分故に、都会ならまだしも、辺境の小さな村などではそこまで手入れをする獣足の民は少ない。

 中でもサティアは、もう一ヶ月も旅をしているのだ。

 それでも汚れて尚も艶が見て取れ、硬い毛にも関わらず柔らかそうに見えるのは、単純にサティアの手入れが良く出来ているからだ。

 日々、寝る前や朝起きた直後、水浴びの合間等を見て香油を塗りブラッシングしているのを知っている。


 手帳に目を戻す。十何年か前に書いた文字が、炎の揺らめきと共に揺れていた。

 

**********



 それを見た時、圧倒された。

 陳腐な言葉だが、私はそれ以上の言葉を出せなかった。

 ー否。知らなかったのだ。あの様を映す言葉を。

 谷を抜けた瞬間の光景を鮮明に覚えている。

 クジラだ。背面が黒、腹が白の巨大なクジラ。


 今までも、海で見るクジラは何度も見ていた。

 潮を吹き、尾鰭で力強く海面を叩く者達。


 だが、それは全く異なった存在だった。

 全身を包む筈の水が無く、悠々と大空を泳ぎ潮を吹く。

 何が混じっているのか、潮の粒子は太陽に照らされて煌めき、やがて風と重力に従って流れ落ちる。

 やや垂れたような目は不思議な光を孕み、それが果たして長い年月を生きた故なのか、或いは高空という極限環境で暮らす故かなのか、未だに答えが出ていない。


 「見られている」。瞬間的にそう思った。

 何億年も掛けて進化を続けてきた"彼"に、果たして半世紀前に突然生じた自分はどう映るのか。

 本当に見られていたのかすらわからない。何しろ数百メートルは離れていたのだ。体の大きさだって遥かに"彼"の方が大きい。

 それでも、体が硬直して動けなかった。全て見透されているような、それでいて諸行無常を悟り全てを均しく見るような眼差しに射貫かれて。


 やがて"彼"が高空に舵を切るまで、終ぞ私は動けなかった。

 それが、普段高空を飛ぶ彼らが偶然低く飛んでいた為に特別良く見えたのだと、後に知った。


**********


 

 ーそうだ。覚えている。あの日の全てを鮮明に。

 "彼"は、まだこの空を飛んでいるのだろうか。この広い空の中を、あの極限の中を。

 

 不意にパチリと、薪が爆ぜた。

 視線を上げれば、少女は既に眠っていた。

 途中、落石が多い道があった。下手すると雪崩や崖崩れに巻き込まれる危険があったので、今日はやや強行軍になったのだ。

 疲れて当然である。


 だが幸い、今日で山を抜ける事が出来た。明日からは川に沿って、今頃クジラが集まっているだろう荒原中央部まで向かう予定だ。

 川の近くなら小動物や食べられる植物もいくらか生えているし、水は山の湧水と雪解け水だ。

 そこまで急いだり、食糧を節約する必要も薄れる。ゆっくりと歩むとしよう。

 

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