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残念な戯言的散文

さらば愛しき我が亡霊 ~言葉に恋して~

作者: 残念な戯言遣い

 唐突ですが、“自分は普通だ”と思えるくらいに、狂っていると自覚していますし、“自分は変だ”と思えるくらいに、普通を内包している、と思って生きてきました。

 本当に不自由で辛く、と同時に楽しく幸せを噛みしめて生きてこれた、と自負しております。ただ、後悔としては「もしかしたら周りは迷惑だったかもしれない……」という不安があることでしょうか。

 自分では不器用な方だと思いますが、他人からは器用に生きているように映るらしいこのワタクシです、生きるって不思議なものだなぁ、としみじみ思う今日この頃、季節が変わりこの寒さに自分は生きているなぁと思いながら、文章を書かないと体調が悪くなるので、筆を今日も今日とてトル。あと、外の方が暖かい季節ってのが気に入らない。


 コンバンワ、オハヨウゴザイマス、コンニチワ。

 残念な戯言遣いアルファタウと申します。


 最近、歳をとった思う事が増えてきたな、と思い知らされ途方に暮れております。

 例えば、朝起きる時間が早くなったり、季節の変わり目の気候の変化が堪えるようになったり古傷が痛んだり、読書量が減ったり、若者言葉……ネットスラングに疎くなったり、と、まぁ様々です。

 一番辛いのは、その言葉の感覚が解らない事でしょうか、……解らない感覚が増えてきたというのが、正確な言い方になりますね。いや、若者の言葉が解らなくなったと正直に言いましょう。

 理由としては趣味で書き物をするからですかね、と自己分析してみたりしなかったり……。

 常々、そんなものは自分では平気だと思っていたのです。言葉というものは変化するし、文化と言葉は鏡合わせだと思っていますし、文化の担い手は若者ですから。そう思って毅然としていたつもりでした。寛大な大人のフリを決め込むつもりでした。

「ワイって大人やな」、と。

 でもある時、配信サイトのチャット欄や動画サイトのコメント欄で知らない言葉をみると「?」という記号が頭の上に現れているのではないかと思うくらいに、腕を組み首を傾げて固まってしまいまして。

 まぁ、調べるんですけども……。哀しいサガというヤツです。

 それで、その言葉を知っていても、その言葉に対応する感覚、もしくは感情が解らない。

 言葉の感触・感覚が解らないんですよね。


 すげぇ動揺しました。

 何処行った“寛大な心”。

 大人の自分の霧散が超速です。


 例をだしますと、“推し”、“てぇてぇ”、“エモい”、等々。


 これで見識在る読者のみなさまは解られたと思いますが、この文章はただの愚痴になります。いちオジサンが、時代に着いていけずに途方に暮れているただの愚痴です。

 端的に言えば「歳をとった」は、若者からしたら何言ってんだコイツな話です。


 まぁ、ちょっぴりグチらして下さいな。

 例をあげると“推し”という言葉。これを知ったのは、Twitterだった……はずです。

 個人的に使用してたアカウントではなく、とある宣伝のためにでした。ミクシー以来のSNSに飛び込んで、サブカル関連の記事やらtweetを拝読するようになって、眼にしました。


 推しって……何?


 ダイナミック土下座やイキッた等の言葉の出会いよりも、あの衝撃的な出会いから、数年経っていますがやはり感覚が完全には解りません。ちなみに当時は、Yahoo!知恵袋やらGoogle先生で検索し、結局知り合いに質問しました。

 「推しって、オススメの推しって意味ではなく?」その時に既にお爺ちゃんな脳味噌だった私は、小パニックです。在ったはずの「知識」としての言葉の概念が、蜘蛛の子散らす勢いで霧散した感じです、新体験、新感覚とかいう言葉で片づけたくなる気分でした。

 “推し”とは、大辞泉によると『他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物』との事らしいです。

 最近だったら、身の回りを観察したりネットを調べたりしてある程度の思索を終えているので、『“愛情もしくは情熱をもって”人にすすめたいほど、“命を懸けれるほど”気に入っている人や物。“ただし、同担拒否の場合は、その限りではない”』というのが、個人的な理解になりますかね。


 話を戻しまして。

 なんだかんだ、幾つか人たちを……数ヶ月かけ言動を見届け、恐らく意味合いはあっているだろうという概念にたどり着き、はたと気がつくのです。


 そんな感情感覚が、私の中にないのだが?

 ……いや、ないが?

 ……、やっぱりな(略)


 困った。

 困りました、本当に。

 助けてソシュールさま、バルトさま、ポンティさま、と言いたくなるくらいに困りました。

 まぁ、大先生たちは誰も助けてはくれないのは知っているので、絶望も何もしませんが。

 そもそも私が何に困っていたかというと、言葉を飲み込めないことに困っていました。

 私は知らない言葉を見つけると意味を調べ自分の中にその感覚を見つけ、「納得」する形で自分の中に言葉を蓄え、文章を書くときに言葉の感触という形で言葉選びをしていたので、感覚が解らないモノは使用できないのです。理解できないのです。

 この話を始めると言語化出来ていない部分が多く、循環定義に陥りそうなので言及はやめときますが、まぁ、“推し”という単語を調べ終わって私は思考停止しました。

「感覚、質感、匂い、諸々がわからん。いや、そもそも宇宙的恐怖すら感じる。は!窓に!」

 という、解るための手がかりがない状態に陥ったのです。言語内に置いてサンチガピンチです。

 で、結局、悩んだ末、諦めることにしました。

 熱意の(「あき)象徴のテ(らめん)ニス野郎(なよぉ!」)に怒られそうですが、その時に気がついたのです。

 あぁ、これが、()()なのだと。

「歳をとったわー」と嘆いた大人を見ていたあの頃の私よ、安心しろ、あの大人たちと同じ様なことを言っとる。ただ、あの大人たちとお前の違いは、言語化を試みる(ただし成功するとは限らない)ことだ。そこに優位さはないが、とりあえずやってみる精神は残っとる、安心しろ。

 そんな風に自分で自分を慰めつつ、 “自分の中にある考えや思考に新たな名前をつけて説明しようとする派”と“自分の中にある考えや思考を今ある言葉で説明しようとする派”の、哲学的なやりとりなのかもしれんと、妙に納得した記憶もありつつ、その言葉たちを納得することをやめることにしました。

 意味合いを否定したいわけでもなく、そんなのは言葉じゃないと否定したいわけでもなく、ただ歳をとったなぁという感慨を肯定しながら、自分の解らん感触の言葉は使わないゾイ、という楽観的で、奇妙な納得でした。


 若者ってすげぇなぁ、と考えつつ、思考は自分の過去を振り返りにブレていくわけで……。


 昔、自分はそこまでのめり込めるモノはあったかなぁ、と。

 思い出しますに、十代の頃はあった……と思います。

 あまり覚えてはないのですが。

 アニオタ、声優オタだった頃は、そうだった……筈です。決してファッションオタクとは言わせない。

 例えば、全26話のアニメが12話しか放送されなかっただけで、放課後に友人たちと憤慨し、これを観てくれと夕方帯にやっていたエヴァンゲリオンを勧めたが誰も観てくれず深夜帯の再放送に周囲のブームがきてブチギレし、ガンダムという単語を冠したカードゲームをいきつけのゲーム屋の店長に勧められ(売れ残ってるから買ってくれと友人の一人が懇願された)、買い込んでルール判らずに対戦をしてみたり(GWをゴールデンウィークと呼称してやした)、友人たちとうまい棒を大人買いしたり、何故か放課後30分経過後に唐突に始まる鬼ごっこ……あ、これは関係ないっすね。


 あの頃に今のようなメディア展開されていれば、声優さんが結婚したと聞いて私も円盤を割る祭に参加したのでしょうか……。


 遠い眼を近年に戻しながら、思うんです。

 この十年、いや……この二十年間で、そこまでのめり込んだものはないという事。

 これは加齢とともに情熱そのものが萎んだからだ、と思っていました。少々それが早かっただけ、昔から早熟だったしなワイ、「うん、あっし、もう枯れきったわぁ」と縁側で茶でも啜っていたい。

 加齢すると人生に冷めていく、達観していくのが人生、そしていずれ地仙と成り天仙に至る……と思う事にしてしていた数年前のある日、とあるタレントさんがラジオにて「“推し”を作ろうと思う」と有言実行されたことがとても衝撃でした。

 四十代の彼の人(とあるタレントさん)の話を聞くに、(私個人の解釈ですが)「好き」っていう感情の延長線上に「推し」って感情を作り上げるみたいなことを仰っていて「おぉすごい知らん解らん感情だ」と感動したものです。そして、少しだけ単語の感触を理解しました。

 なるほど、個人差はあるかもしれないが、単純に加齢の問題で片づけてはならないと認識したのですが、やっぱり私の中の明確な“推し”は見つけられず、現在に至りやす。


 ただ明確に二つの事実を残しました。

 私の中で、“推し”というモノの再定義を行わなくてはならなくなった。

 加齢によって単語の感触を拾得できない、()()()()()()

 とりあえず、“推し”という感覚は、幾つかの方法と長い思考の末、その断片は手に入れたとしておきましょう。中身おじいちゃんのオジサンには、これが限界なのです。



 では、戯言(蛇足)

 This is a question.

 どうすれば、もはや解らぬ言葉の感触を手に入れることが出来るか。です。

 考えました。

 思考停止していモノを掘り返して考えました。停止していたモノを再び動かすって、どうしてこうも面倒なんでしょうね。まぁ、自業自得なんですがハハハ。あぁアレですね、アレに似ています。書きかけてそのままにしていた小説をまた書き始めるくらい面倒ですね。小っ恥ずかしさと昔の自分探しと、物語の破片を引上げ作業(サルベージ)が相まって、色々雑念が渦巻いて、悶える感じです。

 ちょいと考えをまとめてみます。


 ・加齢を理由にしてはならない。

  当然の前提条件です。解ろうとしろ私。


 ・時間をかけて、調べ思考すればその片鱗くらいは解る(解った気になる)

  今回、気がつけたことです。


 ・長時間思考するので、興味を維持し続ける方法を考える。

  幼少から集中力がないと定評のある私にどうしろと?


 ビビり散らかす程度には難問です。猫的な粗相的な、散らかし具合です。

 そこで、日々の生活の片隅に、その単語を置いておく、という方法を考えました。なるほど、確かに作業の合間、仕事の途中でそれを考える時間があれば、断続的ですが長時間の思考が可能です。百聞は一見にしかず、百見は一考にしかず、百考は一行にしかず、百行は一果にしかず。

 その言葉が日常生活に入り込む……。起きてアラームが鳴っている携帯端末を止めると予定表に書いてある、その単語を思い出したら即検索(意味を知っていても)、その単語を使っている人の言動を観察する(出来れば使用例の収集)。


 結果。

 そんな生活は三日で……、二日で嫌になったわ。

 んで、

 何の成果もえられませんでしたぁ……。


 マジで。

 尻かきながら、ふて寝します。もう自分自身に絶望するレベルですよ。



 とりあえず思考停止(考えるのをやめます)のある日、私の理解出来ない別の単語でを語っている人をみていて(とあるVな配信者)、「このたちは、恋に近い感情と好きという感情を言語化(発露)していなからこそ、“推し”を維持できるのでは?」という仮説をぼんやりと思いつきました。

(これはワイ天才の発想では?)と、テンションがぶち上がり、検索「推しスペース語るスペース(サジェスト)限界化」……、限界化ってなんぞ?

 まぁ、一旦おいておいて、動画を……。

 語ると幸せそうな声、必死に言葉を紡ごうとして早口になる言語、追いつかない口と思考。ただ、その想いだけが先行(トロール)して、空回りな様子。やはり、私の推測に間違いはないのでは?

 これは答えに至ったな(勝ったな)

 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。いやいや、ルートヴィヒさん語らせてあげてよ。沈黙するにはもったないエンターテイメントですよ、コレ。


 もう一度立ち返って、こんな私もこんな感じになった事はあったかと、省みました。

 出てこい、とびきり全快な感覚(パワー)


 うーん(腕組み)……いや、ないが?

 うーん(腕組み)……、やっぱりないが……。


 やっぱり解らないまま、日々を暮らしております。解らない言葉が増えていく、そんな素敵な日々です。

 そんな思考の円環の中にいます。


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