【海統領カイセンドン】
リュウキュウ基地のグラウンドに声なき叫びが響き渡る。エルメルの首には指一本分の棘が突き立っていた。それはエルメルの声帯のみを貫き、彼から声を失わせた。
尻もちついたエルメルは、何とか声を振り絞るがカスカスの掠れ声しか出ない。
「はっ、はっ!?」
「エルメル。アタイ命令したはずよねぇ。マルセラ・マゼランを捕まえたら殺せって。なに甘いこと言ってんのかしら?」
エルメルは、荒い息でヅーラ男爵を見上げている。声を失い、痛みを伝えることもできない。そんなエルメルの頭をヅーラ男爵は軍靴のヒールで蹴り飛ばした。
「かはっ!」
蹴り飛ばされたエルメルは、勢い余ってマルセラの前まで飛ばされた。生きてはいるが、彼のアイデンティティは踏みにじられたに等しい。エルメルのことはその通り名でしか知らないマルセラだったが、あまりに痛々しい姿に同情する。
「惨い……仲間になんて仕打ちをするのだ」
静かな怒りが込められた声をヅーラ男爵がせせら笑う。
「ほほほっ、仲間? やあねえ、これはアタイのお気に入りのおもちゃ。おもちゃを仲間なんて言わないでしょ? いらなくなったら壊すか捨てる。それがアタイよ」
「なるほど。つまり貴様は――心も体も腐った外道であるな?」
マルセラは腰回りの二本のベルトを抜き取る。啖呵を切ったマルセラだったが、ヅーラ男爵は前髪を手で払う淡白な反応で返した。
「失敬な小娘ね。アタイが腐ってるのは心だけよ」
ヅーラ男爵が手を挙げて迷宮軍全体に合図を送る。前衛の兵士たちが一斉に刃を向け、アーツ銃士隊の銃口に色とりどりのアーツ弾が光り、戦場から逃すまいとマルセラを狙い澄ます。
「小娘を切り殺しなさい!」
「「「おおおおおおっ!」」」
迫りくる兵士たちを前に、マルセラはベルトに喝を入れる。
「【アムズ・タチウオ】」
彼女の呪言で、二本のベルトはピンとその背を伸ばして双剣となる。革のベルトと侮るなかれ。カースによって強化されたベルトは下手な刀剣よりも強靭となる。
「怯むな、相手は一人だ!」
「囲め囲めー!」
更に多対一の戦いはマルセラも望むところだった。マルセラの一番得意とする戦い方は、超近接戦闘による攪乱と奇襲。混戦になればなるほど、マルセラに有利な条件が整う。
「ここは既に吾輩のナワバリである」
瞬間、マルセラを囲むように展開していた迷宮軍が悲鳴を上げ始めた。マルセラは事前に【アムズ・ナワバリ】にて、長いロープを何本も武装化していたのである。兵士たちの足や手に蛇の如く絡みつき、軍隊としての機能を奪っていく。何十人といた兵士たちはあっという間に戦線を崩された。
「所詮は縄だろう! さっさと斬れ!」
「ダメだ硬すぎて斬れない! 誰か火のアーツを使ってくれ!」
「バカ、それだと燃え移るだろうが!」
次々と戦闘不能にされていく兵士たちを尻目に、マルセラが双剣タチウオの切っ先を地面に這わせる。皮ベルトのはずの刃先が、地面とこすれて火花を散らす。
「旬に香るは秋の刀魚」
混乱に乗じて、マルセラの姿がかき消えた。爆発的な瞬発力で走り出し、すれ違いざまの無事な兵士たちを目にも止まらぬ剣技で斬り伏せる。
その剣術は、マルセラが冒険者活動をする上で生み出した我流剣術であった。マルセラが駆け抜けた台地には二本の剣閃が迸り、焼き焦げた跡が地面を燻していた。
「何が……」
「ぐあ……」
「旬香秋刀。安心するのだ。切れ味は落としたのであ――るっ!?」
不殺を伝える前に、火、水、風の力を込められたアーツ弾がマルセラを襲う。それらを紙一重で回避していくが、いくつかマントや髪をかすっていく。あいにく、マルセラには物量攻撃への対抗手段が少ない。時間が立てばたつほど、マルセラがじり貧になっていくのは明白だった。
「ガンガン撃ちぬぁさ~い! あの小娘を仕留めれば金も騎士号も思いのままにくれてやるわよぉ!」
「倒れた部下を気にも留めないのであるな……糞味噌の詰まったウニなのだ」
「なぁにそれ、褒め言葉のつもり?」
嫌味な言葉もヅーラ男爵には通じないらしい。にやにやとしながら次弾の発砲を合図している。
ここで二の足を踏んでいてはハチの巣にされるだけだ。地面に転がる兵士たちには悪いが、マルセラは大将首のヅーラ男爵を倒し、手記の保管場所を吐かせることを決めた。
タチウオの刃を地面に這わせ、もう一度、旬香秋刀の構えに入る。
「旬香秋刀」
「雑兵ども、アタイの前へ」
男爵の命令で兵士たちが立ちはだかる。マルセラを通らせないよう、一片の隙間もない密集陣形が形成されている。マルセラ最速の剣戟をもってしても、圧倒的な肉の壁の前には無意味。
「「「うわあああっ!」」」
「……っ!」
数人を吹き飛ばしつつも、勢いを殺されたマルセラは歯噛みする。しかし、それでも彼女は一歩を踏み出した。目前で踏ん反り返るヅーラ男爵を倒せば逆転の目は幾らでもある。
マルセラは細い勝機の糸を手繰りよせようと思考するが――
「【ハリセンボム】」
突如、兵士たちを巻き添えに三十センチほどの針の雨が飛んでくる。それはまるで弩弓による一斉射のように降り注いだ。不可避の物量と不意打ち気味の攻撃がマルセラを襲う。
「っ!? 【アムズ・ナワバリ】!」
マルセラは左手のベルトに新しく呪言をかけ直し、目の前で高速回転させて針の豪雨を防いだ。しかし、撃ち漏らした数本の針が右肩と左太腿に突き刺さる。
そのせいで明らかに動きが鈍ったマルセラの前に、ヅーラ男爵が肉迫する。
「【サメノテ】」
ヅーラ男爵の右手の平に凶悪なサメの牙が何本も並ぶ。ヤバい、と直感が告げていたが、負傷したマルセラは【サメノテ】の一撃を避けることは叶わなかった。がら空きの脇腹に噛みつかれ、千切られるように肉がごっそり持って行かれる。
「ゔあ゛っ!」
「捕まえた♡」
寒気のするおぞましい声音と共に、マルセラの左腕に【サメノテ】が噛みついた。
ヅーラ男爵は【サメノテ】のままマルセラを吊り上げる。その手の握力――否、顎がマルセラの手首をメキメキと噛み砕く。神経ごとイカれてしまいそうな激痛が走った。
「ああああああっ!」
「あなたのカースならそれなりに知っているわ。手で握らないと力が使えないのは不便よねえ」
グチャと肉と骨の潰れる音が響く。マルセラの両手から力を失ったベルトが落ちた。
「はっ、はっ、そう言う貴様の力……遺物であるな。その頭のティアラか」
「うふ♡ そうよ。海洋生物の力を得る遺物【海統領カイセンドン】、リュウキュウの王たるアタイにピッタリの素晴らしい力よねぇ」
異世界文化遺産であるカオスピアの中には、破壊不可能の宝物が存在する。
それが遺物。その多くは特殊な力を有しており、その権能は凡人すら英雄に変わるとまで言われる代物である。
だが強力な力を秘める遺物には、比例するように強力なデメリットが存在する。
カオスピア内に存在する遺物をカオスピアの外に持ち出すことは、神が定めた禁忌に抵触するのである。遺物を外に持ち出した者は、その身に呪印を刻まれ、呪体者となる。
しかし、ヅーラ男爵は呪体者ではない。外界限定とはいえ、7日間で死に至る永遠の呪いを受けるなど、目の前の卑劣な男が受け入れるとは、マルセラには考えられなかった。
であるなら他に思い当たるのは一つだ。
「貴様、その遺物。他の者に盗ませたのであるか!」
「あ、た、り! ワオッ!」
ヅーラ男爵が満面の笑みでマルセラの腹を殴りつける。
筋骨隆々の男が放つ拳が叩き込まれ、マルセラは一瞬息が途切れた。しかしマルセラの瞳はヅーラを捉え続けていた。その目に怒りを燃やしながら、呼吸が落ち着くのを待つ。
「ゲホッ! ゲホッ! 呪いを受ける覚悟もない恥知らずめ」
「あら、威勢がいいわね。やっぱり女は痛めつけるだけじゃダメね」
マルセラの強気な態度を気に入ったヅーラ男爵は、その豊満な胸筋から一冊の手記を取り出した。
キリがいいとこまで書いたら少し長くなりました。