ドイツに住んでいるアラサー男子だけど コロナでロックダウン中のある日のこと 聞く?
2021年4月 現在のドイツはロックダウン(行動制限下)です。
R15は犯罪キーワードが出てくるので。露骨な表現などはありません。
目が覚めると知らない天井だった。
ピ ピ ピと電子音が響く。重たい頭をそちらに動かすと点滴と心拍数を示すモニターが目に入る。
何が起きたのか・・・僕はカナさんの家でコーヒーを飲んでいたはずだ・・・
ひどく疲れている・・・重いまぶたがもう一度下りた。
「日本にいる姪っ子がドイツ語ってかっこいいって。ボールペンがクーゲルシュライバーだし。黒い森はシュヴァルツヴァルト。保険はフェアジッヒャルング。私は犬が鳴いてるみたいな言語だと思ったもんだけどね。ちなみに今日のケーキはビーネンシュティッヒ、蜂の一刺しよ」
いつもより饒舌にそう言って彼女は僕の前にケーキとコーヒーを置いた。ビーネンシュティッヒというケーキはイースト生地の上にアーモンドと砂糖とかを乗せて焼き上げ、生地を半分に切ったところにクリーム(生クリームだったりカスタードだったりそこはレシピによる)を挟んだものだ。ドイツのパン屋なら必ず売っているケーキである。
カリカリと焼き上がったカラメルアーモンドをフォークで崩して口に運ぶ。ドイツの生クリームは日本の生クリームと違って重さがないのは脂肪分が違うからだと教えてくれたのも目の前の彼女だ。重すぎず甘党でない僕でも1切れ全部食べきれる。といってもドイツの標準サイズに慣れたというのもあるよな。大雑把に言えば日本のケーキの2から3倍の大きさだ。
「お口に合うかしら?買ってきたもので悪いけれど」
ブラックコーヒーを飲みながら彼女は僕を見つめた。
ドイツでは家に招いたときに手製のケーキでもてなすというのも彼女が教えてくれた。
僕の彼女はそういう事は言わなかったので、多分僕に作れと言われるのが面倒だったのだろう。実際料理も掃除も僕がしていた。コーヒーは入れてくれたけれど多分に僕の入れるコーヒーが美味しくなかったからだと思う。合理的なドイツ人らしい。
いつものように僕らはこのコロナウィルスの時代に海外に住んでいる不幸を口にする。
米国で起きているアジア人差別に恐怖を感じていること。
家に一人でいるのが苦痛だということ。
ネットフリックスを毎晩深夜まで見ていること。日本のものなら何でもいいと昔はやったアニメを見たら主人公は幼馴染の胸を揉むは、スカートをめくるはで変態大国日本を輸出していて辛いこと。
最近はスーパーでキッコーマンの醤油やポン酢が売られていて嬉しいこと。でもポン酢がレモンで作られているのが嫌でまだ買っていないこと。
現地の市役所も日本領事館も予約制でビザの手続が遅々として進まないこと。
身分証明にパスポートを持ち歩くのが面倒なこと。次のビザ更新では名刺サイズのカード型のビザがもらえるはずだから楽しみにしていること。
ドイツ人のマスクの使い方が下手すぎて呆れること。鼻が出ていたり隙間が空いていたり、顎の下につけて居たりする店員が多いこと。意味ないなと呆れること。
ドイツに住んでドイツ人と同じものを食べていると、日本人は大腸がんや心臓病になりやすいから気をつけたほうがいいこと。
ドイツは日照時間が少ないからビタミンDのサプリをとったほうがいいこと。
美味しいミルク製品が多いから乳糖不耐症が辛いこと。
お互いに大して重くない話題を選んでいるのがわかる。
互いの話題にそうだそうだと相槌をうつ。前回も同じような話をしていたし、次回もそうだろう。頭を使わないで母国語で話せることが何よりのストレス解消になるのだ。
多分カナさんが本当に話したいことはまだ僕は聞かされていない。
お互い本当に話したいことはまだ話していない感じがする。
僕?彼女が出ていって毎晩泣いたとか、最近ちょっとTinder(出会い系アプリ)始めたとか。そういうかっこ悪いプライベートなことは話していない。
ドイツ人にはおおっぴらに言えないドイツここがおかしい、日本のご飯食べたい、天気が悪いそんなことが僕らの共通の話題。
去年の11月から始まった二回目のロックダウンで僕らは自由にレストランにもカフェにも行けず、洋服を買うにも靴を買うにも予約制。あまつさえ今後はコロナテストで陰性を証明しないとその買い物には行けなくなるらしいし。
でもスーパーや薬局はFFP2という鳥の嘴みたいな高性能マスクをつければ利用できるということでその矛盾にドイツに住む僕らは振り回されている。
スーパーが良くて、他の小売店がだめな理由。全くわからないよ。服や靴は試着するけど本屋雑貨屋なんて商品を手にするだけだろ。スーパーと一緒じゃね?
自由に友人や家族を訪ねることも出来ず(新規感染者数値に寄って変わるけど今は他の世帯を訪ねていいのは大人一人だけだ14歳以下の子供はカウントしない)仕事はホームオフィス、孤独に弱いドイツ人たちはメンタルを病んでいる人も多い。僕だって日本に帰りたい。でも仕事があるし帰っても隔離期間を考えると高い飛行機代払って自腹で2週間ホテルに缶詰で、何の罰ゲームだと思うからぐっと我慢している。
コロナ離婚が増えているという話題の出始めた去年秋、僕も彼女と大きな喧嘩をした。一緒に住んでいたアパートから出ていけと言われ、お互いの頭をさますためにベッドを分けた。
理論的で合理的な喧嘩をしたがる彼女にいつもうまく対戦できず無口になる僕、そんないつもの喧嘩だったはずなのに、ゲストルームのベッドで眠り、翌日顔を合わせないようにしていたらいつの間にか彼女のほうが出ていった。それもそうだ、ここは僕の借りている部屋だ。いつの間にか居座ったのは彼女の方だった。窓際に置かれた観葉植物がちゃんとお水をくださいね、と言わんばかりに秋風に揺れた。
誰からも マイン シャッツ(私の宝物)と言われない日々。
僕は孤独耐性がやたらと高い自信があったのだけれど、しばらくは灰色の瞳に甘く見つめられていた日々が恋しかった。骨太で僕より背が高く横も広い彼女。ひょろひょろの僕。少しでも頼りになるように筋トレ頑張ってたんだけど、一人になって暇だったのでもっと筋トレ時間を増やした。そしたら腰を痛めた。泣きっ面に蜂だ。
恋しかったとはいえ何も出来ないまま彼女のフェイスブックのアカウントがアップデートされるとつい覗いてしまう。どうやら隣の街の実家にいるらしく犬の散歩の写真がよくあげられている。ドイツの森の小径で見つけた大きなキノコや鳥、雪景色、クリスマスのデコレーション。雪ノ下から顔を出した黄色い花、ビーバーがかじった川沿いの木。彼女が出ていってから確実に季節が移っていく。
クリスマスシーズンに入るころ、やはり彼女は僕のところには戻るつもりはないのだと諦めをつけた。
クリスマスらしい飾り付けもない殺風景な部屋を見ていると、窓の外のドイツの冬のくもり空もあいまってどんよりとした気分になった。
ぐじぐじとしながら日々を過ごしていたときに日本人が使う掲示板に互助会ボランティア募集のお知らせを見つけた。
ホームオフィスだけで仕事以外の人間と会話しないまま新年が過ぎたころそのボランティアに登録した。何度かお年寄りの買い物の手伝いをしたあと依頼されたのが週イチの会話ボランティアだった。老人ホームにでも行かされるかと思っていたら、駐車場に高級車が並ぶ一等地のマンションの一室で待っていたのは40歳くらいに見える日本人女性だった。シュミットさんだかシュタイナーさんだか名乗られたのだけどなんども聞き返す事ができず曖昧なままだ。日本人同士でも名前呼びがドイツあるあるなので、僕はカナさんとよび彼女は僕をけんじくんと呼んでいる。少しぼんやりとした元気のない人という印象だったが、会話ボランティアを頼む人だからまあそんなもんだろう。
ふと窓へと目を移す。4月になったというのに今日も雪だ。昨日は20度近くまで気温が上がっていたのに。流石に5月になれば雪はふらないだろうと僕がいうと夏には大きなヒョウとかあられとか降るから気をつけないとねと彼女は言う。
ドイツに住んで20年近いという彼女は最近は地球温暖化のせいで雪が減ったけど嵐が増えた気がするわ、とつぶやいた。
コーヒーのおかわりも飲み終わりそろそろお暇しようかなと言い出すと彼女は少し慌てた。
「まだあと少し、いいじゃない?」
コーヒーカップを流しに戻そうとして立ち上がろうとした体がぐらりと傾いだ。そのまま体を支えようとしたテーブルの上に崩れ落ちる。動かない体、急激な眠気。あぁ、薬をもられたのかと自分の不用心さに舌打ちをしようとして、舌が上顎に触ったまでは覚えている。
冷静に僕を眺めるカナさんを見つめ返そうとして意識が飛んだ。
目が覚めると知らない天井だった。
ピ ピ ピと電子音が響く。重たい頭を動かすと点滴と心拍数を示すモニターが目に入る。
そういえば先程も同じ景色だったなと思い出す。
「シャッツ・・・」
やさしくかけられた懐かしい声に視線を動かせば半年ぶりに彼女の優しい灰色の目が僕を見つめていた。
僕がフェイスブックで彼女を毎日見ていることを知っていたこと。電話を待っていたこと。
携帯を触らない日が3日間あっておかしく思ったこと。
GPSを使って僕の居場所を探したこと。
とりあえずGPS反応のあるアパートを一部屋一部屋まわったこと。
近所の人と警察を巻き込んでカナさんの部屋の鍵を壊して僕を見つけたこと。
脱水症状以外は体に異常はなさそうだということ。目がさめたら退院出来ると言われているということ。僕が一人で生きていけないようなのでしばらく付き添うことにしたこと。
理論的な彼女らしい言葉に僕はようやく微笑んだ。私がいなきゃダメなんでしょう。ってことか。
「つまり僕の彼女はツンデレストーカーだったわけだ」そう言うと、
目だけで笑って彼女はマスク越しにキスをくれた。
退院してから僕はカナさんの部屋へ行ってみた。家具付きの貸し部屋だったということでカナさんの足取りはとれなかったと警察からの説明を受けていたとおり、今はその部屋に誰も住んでいなかった。日本のパスポートは高く売れるからそのせいで狙われたんだろう。移民系ギャングたちの資金源になっているようだから。と警察には同情された。
僕がとられたのは財布と身分証明にするパスポートだけだった。
再発行の手続きを思うとうんざりするけれど命まで取られなくて幸いだった。
たまには善行をつもうと思ってボランティアしたらこんな目に合うなんて。
まったくもってついていない。
僕はため息一つついて盗む価値なしとされた古いスマフォを取り出した。
「けんじくん?ごめんなさい。すぐに日本に行きたいという人がいたの。どうしても日本の家族に会いたいって、だから」
怯えて床に座るのはカナさんだ。ブルブルと手が震えている。カナさんを見つけるのは簡単だった。蛇の道はへびってやつだ。
「さてどうしましょう。かなさんはもう若くはないけれど、アジア人女性は若く見えるし、とりあえず真面目に働いてもらうとしましょう。でも薬はやめてもらいますよ」
薬に反応したのかカナさんが先程までの怯えた様子とはうらはらに殺気さえ感じる強い視線を向けてきた。これだからヤク中は。
「今すぐ売り飛ばしてもいいんですけどね。ほら、日本人同士のよしみで」
「日本人じゃないくせに」
かなさんは負け惜しみを吐き捨てるように言った。
カナさんは薬買う金欲しさに僕に薬を盛ってパスポートを盗んだ。が、パスポートを持ち込んだ先のその先のギャングたち(まあ元締めみたいなもんだ)はすぐにその写真で持ち主に気づいた。あっさり僕の仲間に捕まったカナさんはここで軟禁されていたってわけ。どうやら仲間のうちの誰かが僕に関してなにか言ったようだ。口の軽いやつは〆ないとな。
移民系ギャングなんて大そうに言われているけど、僕は真面目にマネーロンダリングに精を出すホワイトカラーだ。生まれも育ちも日本だけど、まぁ確かに国籍は違うというか、ない。だからパスポートビジネスにも詳しくなったわけだけどさ。
あとヨロシク。と見張りの彼につぶやいて僕は部屋をあとにした。
さ、またしばらくはホームオフィスの日々だ。
論理的な彼女も帰ってきたことだし晩ごはんは白アスパラにホランデーズソース、シュニッツェルとゆでポテトでも添えるかな。
スーパーに入る前にぼくはFFP2マスクをつけた。
ドイツのロックダウンはまだしばらく続く。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
ドイツのロックダウン中の鬱々とした日々が少しでも伝わりましたでしょうか。
少しでも早く日常が戻ってくるといいなと思いながら書きました。
面白かったよと思われたら 評価の☆を★にしていただけましたらうれしいです。
普段は異世界物を書くことが多いです。よろしければそちらも御覧ください。
皆様もお体に気をつけて。お元気にお過ごしください。
Bleib gesund! ブライブ ゲズンド!(お元気で!)