片翼の蠅
狭い部屋に漂う熱気と音を最小にまで絞られたラジカセから流れる戦勝報告が作り出す憂鬱。ひそひそと談笑する同居人を僕は遠巻きに眺める。
別に友達作りが苦手だとか、そんな子供じみた理由ではない。
ただ、彼らの会話に規則違反にあたる内容が含まれていて、僕がそんなものと関わりたくないという、ただそれだけのこと。
窓もないこの部屋は反逆か昇進かどちらかへの欲求を発生させるにはうってつけの装置であった。
西日本軍S区画、キャンプ・タカシマ。僕はこの施設にそういう名称がついていることを知っている。文字が読めるということはこういう時に役に立つのである。端末の読み上げに頼りきって生きてきた人種にはこの価値も分からんだろう。
絶望を理解できぬものに希望は無用なのである。地図に書かれた文字も、ただの角ばった模様にしか見えないとは実に憐みの目を向けたくなるものである。
「それで、このマークのところを」
「204を誘って」
「天才じゃん786」
またこんな会話をしている。僕はなぜ反逆を企てるようなろくでなしどもと同じ部屋になったのだろう。僕は昇進を選ぶことにさせてもらおう。
ラジカセを、盛り上がり切って完全に地図に集中している彼らのすぐ背面に置き直した。
「406、来い、A‐8区画の24号室に移動だ、荷物を纏めろ」やっとこの日が来たようだ。僕は大してあるわけでもない荷物をそそくさと鞄に詰める。粛々と新しい部屋に向けて足を進めながら、僕は全力で口角を下方向へ押し戻していた。
「お、新入りだってよ」
「歓迎会しないとだな、なんか用意できるわけでもないけど」
そこには僕の目指していたものがあった。窓、そして、網戸。蒸し暑く、虫の多い地域には必要不可欠でありながら、新兵時代には得られなかったもの。そして
「君、文字を読むんだってね、ライトノベルについて語れる相手ができそうで有難い限りだよ」
「うわ、室長の高尚なお話が始まるやつだ」
「俺たちにはあんな高尚なもん分かんねえよ、名前が文字で書いてある時点でお手上げだ」
ここの室長は文字に強いという噂は本物であったようだ。
「食堂に行くぞ、新人。確か、406君というんだったか」
「はい、よろしくお願いします。室長」
「789でいい。今日はカレーだ。早く食堂に向かおうではないか」
それから僕らはライトノベルで描かれたカレーライスを夢想しながら茶色くて甘ったるい、胡椒の香りのするソースで煮込まれた芋と肉を胃に流し込んだ。
「肉は久々であっただろう、406」
「はい、とてもおいしかったです」
「あんな煮込んでも筋の残るような代物を美味しいというか、406。この程度の不満は規約違反にならんぞ」
「いえ、その、ええと」
僕はやわらかい肉というものを食べたことがなかった。
「そうですね、すこし、おいしくなかったかも……」
肉なるものを初めて食べたのはこの軍に入ってからであったのだが、上官の求める答えに合わせておいて損はない。
「ああ、それでいい」
室長は満足げに微笑んでいた。
「何か、言い残すことは」
「外が見たかっただけなんです」読んでいた本に出てくるような生活を欲した。ただ、それだけ。それが招いた結果が、この手に掛かる鉄の輪なのであろうか。この首にかかる縄なのであろうか。
「執行」
新兵時代の同胞と同じ末路を辿ったのは、僕が、彼らと同じように願い過ぎたからなのだろうか。
身体が宙に浮くような感覚とともに、意識がブラックアウトしていった。