最終話
(瑛子)
父は、家に招き入れたら早々、土下座をして私たちに詫びた。
「今まで済まなかった!」
父は当時、株の運用失敗で母に隠れて大きな損害を出していたこと。
そしてそれを隠して、借金を全力で返して、もう一度綺麗な身になって家族に会えるよう蒸発したこと。
かいつまんで言えばそのようなことを、私達に包み隠さず話した。
勿論、そんなことは許されるはずはない。
しかし私が、我が儘を言った。
「お母さん、今はよく分からない。現実をうまく受け止めきれないかもしれない。でも、今日だけ、今日だけはそんなこと忘れて、お父さんが出ていく前のように、また一緒にご飯食べない?」
私が母に言った。最初で最後の我が儘だった。今までずっと我慢してきた。嫌な顔一つしてこなかった。
高校生になってもお小遣いなしでも、私がほとんどの家事をやったのも、質素なご飯ばかり食べていたのも、一つも文句も言わず、笑って受け止めていた。
だから、今回くらい、いいじゃん。
母は、戸惑いながらも、私の言葉を受け止めてくれた。
そうして、今、私たち家族は三人並んで食事を食べている。
会話はうまくいっているわけでもなく、少しちぐはぐだけれど、そんなことは私にはどうでも良かった。
ただこの時が、幸せだった。
そんなときだった。
ピンポーン。
鳴ったインターホン。
こんな時に誰だよ……と薄ら文句を言いながら出ると、そこに映っていたのは椎菜だった。
「ごめーん! 間違って瑛子の教科書バッグに入れちゃってて、持ってきたから出てきてー!」
なんか、さっきと比べて妙にテンション高いな。
気持ち吹っ切れたのかな。ていうか私椎菜に教科書なんか貸したっけ。
そんなことを思いながらドアを開けた瞬間
グイっと、私の右手が強引に引っ張られ、私は思いっきり胸倉を掴まれた。
突然の椎菜の行動に驚き、思わずドアを離してしまう。ゆっくりと閉まっていき、音を立ててガチャ、と
閉まったところで
「お前!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「お前お前お前!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
人殺しをするような剣幕で、椎菜は私に叫んだ。
「返せ! 私の運を、返せ!!!!!」
わーわーと泣き散らしながら、椎菜は私に向かって、同じことを、何回も、何回も、何回も叫んだ。
「お願いします。返してください」
その時だ。
「あれ? 瑛子さん、椎菜さんに玉を渡すでっちゅか? ならコレ持ってきておいて正解でちた。はい、玉でちゅ」
ミュータンはどこからともなく突然出てきて、玉を私に渡してきた。
「この玉、私自分の部屋に置いておいたはずだけど」
「外から渡すとか、そんな会話をしてたんで、あたいが気を利かせて取ってきたんでっちゅ」
バカ、このガキ。全然気が利いてねえんだよ。ていうか
「ミュータン。あんた椎菜に言ったの?」
「何をでちゅか?」
「私が嘘吐いたこと」
「言ってないでちゅよ。だって言わない方が、面白いと思ったでちゅから」
「じゃあなんで、椎菜が気づいてんのよ!」
「長崎先輩が、あんたと電話してたからよ!」
私とミュータンの会話を、椎菜が無理矢理ねじ切った。
「あんたねえ、許さないわよ! あたしがこんなひどい目に遭って、あんたがこんなに幸せになるなんて……おかしい。絶対に許さない! 早くその玉、返しなさい!」
強引に、玉を取ろうと飛び出してくる椎菜。
嫌だ。絶対にこの玉は、放したくない。死守せねば。
私は右手を丸めて、全身でくるむようにして、しゃがんだ。
「返して! 私の! 玉! 返してよ!!」
「嫌だ! これは私の! 私のよ! 絶対に返さない!!!!」
「私の幸せ、全部、全部あんたが奪ったのよ! 返せ! 返せ! 返せ!」
「何だそれ! その運は……その運は最初からお前のものでは無い!!」
私がそう、今まで出したことのないほど大きな声でそう言うと、椎菜はゆっくりと、私の元から離れた。
「……どういうこと?」
「だって、元が不公平だったんだもん。私は可愛くないし、貧乏だし、勉強もできないし、運動神経もない。彼氏もいない。大好きだった家族も、昨日まで崩壊してた! それなのに。椎菜は、あんたは可愛いし、家はお金持ちだし、勉強もできるし、運動神経も良い。私が好きだった先輩も横から奪って、家族と楽しく悠々と暮らしてる。こんなのおかしい。おかしいよ! 今の状況が不公平なんじゃなくて、前の状況こそが、不公平だったんだ!」
「何を……何言ってんのかあんた分かってる? 頭おかしいわよ! もう一度よーくその足りない頭で考えなさい! 元の現実が、正しいの! 今あんたが見てるあんたにとって都合のいい夢は、あんた以外にとって現実じゃないの! 正しいものじゃないの! 捏造されたものなの! 分かる?」
「分かんない! 分かんない分かんない分かんない! 今更、どっちが現実かなんて今更どうでもいい! 私が幸せなら、それでいい!」
「良くない、全然良くない! 返せ!!!!!」
再び、椎菜が襲い掛かる。私は急いで手を隠そうと準備をするが、それは出来なかった。
椎菜の蹴りが、私の下腹部に思い切り当たった。ゴン、と身体の中から鈍い音がする。口から何かが出る。赤いもの、血?
駄目だ。手に力が入らない。膝から崩れ落ちる。痛い、痛いよ。お母さん。
「返せ! 返せ! 返せ!」
椎菜が泣きながら、私を殴り続ける。
痛い、痛い、痛い。
手から玉が離れていくのが感覚で分かった。
その瞬間、椎菜は殴るのをやめた。
私は痛くて、身体が起こせないけれど、未だ椎菜の声は聞こえる。
「これ、もし百%相手から運を取ると、どうなるの?」
「椎菜さん、人間の運の内訳、教えてあげるでっちゅよ」
「は? 何それ、今関係ある?」
「人間は、生きているだけでラッキーと言われてるでっちゅ。何故なら、人間は地球上に生息する全ての生物の中で最も高い知能と文明を持っているからでっちゅ。だから生まれてくるとき、人間に生まれてきたのは、そして今も、人間として生きながらえているのは、とてもラッキーなことなんでっちゅ。それを一括りにして、二十%。百%中二十%を、人間は生きていくための運として使っているでっちゅ。だからもし瑛子さんから運を百%取るつもりなら……」
「取る、つもりなら」
「瑛子さんは、死ぬでっちゅ」
「……その運を丸ごと貰った私は、どうなる?」
「そうでっちゅね。三十%を使って元の状態に戻って、後の七十%は『人を殺しても、運が良かったからたまたまバレなかった』で全部使っちゃうでっちゅね」
「瑛子の今の状況、どうかな?」
「虫の息でっちゅ。あと一回や二回殴れば、必ず死ぬでっちゅ」
「そう」
「鶴嶋瑛子から、ラッキーを百%貰う」
「さよなら」
※
とある日、ミュータンは自分の生まれた星に手紙を書いた。
メムカモミミ星の、親愛なるパパとママへ
元気でお過ごしですか? あたいはいまだに勉強中でっちゅ。
地球という星は面白く、ある程度文明レベルが高い人間という生物もいるでちゅ。しかしその人間という
生物は、感情というよく分からないものを基準において動いているので、理論のみで行動を選択するあたい達には、たまに理解できない行動を取ることがあるでちゅ。それがとても面白いでっちゅ。
この前、一つ実験をしたら、面白い結果が出たので、報告するでっちゅ。
地球に住むとある二人の仲の良い人間に、運を移動することができる機械がある、と嘘を吐いたでっちゅ。
あたい達の星にある望遠鏡。そこから地球を見ると、地球人にとって少し先の未来が見えることは、誰でも知っていることでちゅね。あたいは少し前、その望遠鏡を見て、数奇な運命を辿る不思議な二人を見たのでちゅ。
一人は元から家庭環境が悪く、容姿も優れているわけではなく、お金もあまりない状況。その中でもう一人の女の子に自分の好きな人を横取りされるのでちゅ。失意のどん底にいた彼女でちゅが、事態は急変、それから三日にかけて、彼女は素晴らしい幸せを得ることになるでちゅ。
もう一人は元から家庭環境が良く、容姿も優れ、非の打ちどころのない人間でちた。恋した男とも結ばれ、幸せの絶頂だったはずが、ある日を境に不幸に襲われることになるでちゅ。小指に足をぶつけ、翌日はクズな男にいいように遊ばれ、翌日は父親が性犯罪で容疑を賭けられ、家庭が崩壊するでっちゅ。
これらの運命は既に決まっているものでちた。しかしこれを弄れば面白くなって、感情というものを知るための素晴らしい資料となると信じて、私はありもしない機械をでっちあげ、筋書き通りになるように誘導したでっちゅ。
人間の感情を百年かけて研究したうえでの誘導だったので、二人は自分の思い通りに機械を使って、そしてだんだんと疑心暗鬼になり、お互いを攻撃しあったでっちゅ。
大事な親友を一時の感情で殺したあの子が今どこにいて、何をしているのかは分からないでちゅが、あたいは感情ごときで同族を殺せるのが心底怖いと思ったでちゅ。
やっぱり人間は、愚かでっちゅ。
少し背が伸びた、ミュータンより。
好評なら次の話も考えます。