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3 勧誘1〜和泉〜

ガラガラ

「っらっしゃい!」

(お、いたいた)


時刻は13時過ぎ、普段ならまだ食事をしている学生が多く残っている時間帯だが、半数以上の学生が(一部の教員も)自主的に春休みに突入しているような時期なので、『鶏煮亭』の店内は3分程度の客の入りだった。


目当ての少年は、カウンター席のほぼ中央に座っていた。左側が2つ、右側が1つ空いており、3つ続けて空いてる箇所は他にもないため、少年の隣に座っても不自然ではなさそうだ。


(両隣りの席が空いてるのに、カバンは足下に置いてるか。マナー的には合格かな)


「大将、麻婆ラーメンのミニ一つ」

「あいよ」


カウンター席に座りつつ注文を済ませて、さりげなく隣の少年を観察する。どうやらスマホで周辺の地図を確認しているようだ。


ふと足下に目をやると、少年のショルダーバッグのサイドポケットから、合格者に配布される入学案内の小冊子が覗いていた。当面のスケジュールや年間の行事予定、各種手続きの窓口などの学内の情報だけでなく、学生に人気のある飲食店やゲーセン・カラオケ・雀荘・プールバーなどの遊び場、最寄りの鉄道やバスの時刻表など至れり尽くせりの内容である。

雀荘を紹介するのはどうか、という声もあったようだが、入学辞退者を減らすためには、近隣の遊興施設の充実度は大きなアピールポイントになるとの声が勝ったらしい。

ちなみに先程の不動産屋もここに掲載されている。


(新入生でほぼ決まりかな)


そう推測したところで、隣の少年が注文した品ができあがった。


「チャーシュー麺お待ちっ!」


箸を取る前に、まずはレンゲでスープをすくい、一口飲んだところで、少年は動きを止めた。次に割り箸の入った箸袋を手に取り、箸袋に書かれた店名を見て、もう一口スープを飲んでから首をひねった。


「ぷっ」


少年の様子をさり気なく見ていたけど、思わず吹き出してしまう。

それに気付いた少年が顔をこちらに向けた。


「ごめんごめん、なんとなく何を考えてたのか想像できちゃったから、つい、ね」

「はあ」

「あたし極大教育学部1回生の橋本、よろしくね」(ザワ)

「あ、4月から極東大学に通うことになる川口といいます。工学部です」

「川口君ね。やっぱり新入生だったか。で、どうだった、スープの味は?」

「え? ああ、騙されたというか何というか、店の名前からスープはてっきり鶏ガラだと思い込んでたんですけど、これ鰹と昆布ですよね」

「やっぱりそこに気付いての、あのリアクションだったんだね。思わず笑っちゃったよ。大将も小さくガッツポーズしてたし」

「してねぇよ」

「あ、冷めないうちに食べちゃってね」


川口君は『鶏煮亭』と書かれた箸袋から割り箸を取り出し食べ始める。


「和泉ちゃん、麻婆ラーメンミニお待ちっ!」


あたしが注文した品も出てきたため、しばらくの間無言で箸とレンゲを動かす。

川口君が最後のチャーシューを口に入れ、あとはスープを残すのみとなったところで、一足先にあたしが麻婆ラーメンミニを完食した。


(さて、そろそろ探りを入れてみるかな)


「えっと、川口君だっけ。いくつか聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」(ザワザワ)

「はい、何でしょう?」

「キミ、出身はどこ?」

「生まれは大阪です」

「地元なんだ」

「いえ、生まれは大阪ですけど、オヤジがいわゆる転勤族で、あちこち連れ回されたので、純粋な大阪人ってわけじゃないです」

「あちこちって、例えばどこ?」

「大阪以外だと、北海道、宮城、東京、神奈川、岐阜、広島、大分くらいですかね」

「今は?」

「今は大阪市内です。大阪に住むのは生まれた時を入れて3回目で、合わせて7年くらいですね」

「なるほど、今は家から通えないわけじゃないけど、いつお父さんが転勤になるか分からないから、大学の近くで住む所を探してる、でも工学部は合格発表が一番遅かったから、その時点でめぼしい物件は残ってなくて途方に暮れている、ってとこかな?」

「え、なんで住む所を探してるって・・・?」

「ふふふ、お姉さんは何でもお見通しなのだよ。いや、ここは『初歩的なことだよワトソン君』と言うべきかな」

「・・・えーと、ここは突っ込むとこなんでしょうか?」


とりあえず川口君はこちらの会話のペースに乗ってきてくれたようだ。


「川口君、この後何か予定ある?」(ザワザワザワ)

「土地鑑を養うために、この辺りをブラブラしようかと思ってたので、特にはありません」

「この店に入ったのも、その活動の一環?」

「まあ、そんなとこです」

「で、どうだった?」


大将がチラリと視線を送ったのを意識しながら、川口君は答える。


「なんか、すごく答えにくいんですけど」


・・・いや、答えなかった。


「あれ、お気に召さなかった? このお店、味と量がそこそこハイレベルの割に値段が安いって学生に評判なんだけど。学食とかを除いた一般のお店の中では、リピート率もトップ3に入ってたはずだよ?」

「いえ、答えにくいのはお店の人の視線が・・・」

「大将、ご新規さんを威嚇しちゃダメだよ?」

「してねぇよ」

「いくら渾身の力を込めて作ったチャーシュー麺をけなされたからって・・・」

「けなされてねぇよ。・・・ねぇよな?」

「はい、とっても美味しかったです」


ようやく満足げな表情を浮かべる大将。

そこへ新たな火種を投げ込む。


「じゃあ、質問を変えようか。この先にある『肉祭り』と、この『鶏煮亭』とどっちが気に入った?」


一昨日、不動産屋を眺めたあとに『肉祭り』に入っていったところまでは見ていた。まさかあのあと食べずに出てきたってことはないだろう。


「おぉい、そういう質問はオレが聞いてないとこでしてくれよ。気になってしょうがない」

「えー、いいじゃん。単なるリサーチだよ」


あたしとしては大将の反応を楽しむだけのつもりだったので、この反応だけで満足できたが、これに川口君が反応した。


「それより、なんで僕がその『肉祭り』って店を知ってる前提なんですか?」

「ふふふ、初歩的なことだよワトソン君」

「やっぱりツッコミ待ちなんですね。・・・『誰がワトソン君やねん!』」

「オッケーオッケー、いい感じだよ」

「はあ、でもほんと、何でも知ってるんですね」

「何でもは知らないよ。知ってることだけ」


やたっ、いつか言ってみたいセリフシリーズ、一つ消化できた。


「でも僕、『肉祭り』にしてもここにしても、一度しか入ってないですよ」

「むしろその方がいいんだよ。リピーターになるかどうかは、最初の印象が肝心だからね」

「そういうことなら。『肉祭り』は確かにボリュームがあって、ガッツリ食べたって気になりますけど、ランチタイムのメニューで一番安いのが税込800円からとなると、貧乏学生には少し敷居が高いですね。その点、こっちはラーメン、チャーハンが税別300円、ミニサイズは更に100円引きとお手頃価格なので、繰返し利用するとしたら普通はこちらになるんですが・・・」

「普通は、ってことは、何か問題があるの?」

「ええ、個人的に財布に1円玉、5円玉をなるべく入れたくないので、電子マネーが使えないところなら、税込で端数のない価格になっている店やメニューを選ぶことにしてるんです。今日もどちらかというとワンタン麺の気分だったんですけど」

「ああ、税別330円は税込で356円か。チャーシュー麺なら税別380円だから税込410円で10円未満の端数は出ない、と。なるほどね」

「はい、だからあまり頻繁には来ないと思います」


それを聞いてあたしは大将にドヤ顔を向ける。


「だってさ、大将」

「ああ、和泉ちゃん達の提案を受け入れて正解だった、ってことだな」

「でしょ?」


そう言いながら、あたしは懐から学生証を取り出した。


「川口君はさ、4月からウチの学生になるわけじゃない?」

「はい」

「そうすると、これが手に入ることになるんだけど」

「それは・・・学生証ですか?」

「そう。ICカードになっててね、ここに銀行口座を登録してクレジット会社との提携手続きをしておくと、学内の全施設とこのシステムの加盟店がキャッシュレスで利用できるようになるんだよ」

「加盟店って、どのくらいあるんですか?」

「大学周辺と駅前の商店街にある店舗の内、チェーン店で店舗にシステム導入の権限がないようなところ以外は一通り声を掛けたんだけど」

「はい」

「運用が始まった去年の10月時点ではまだ4割切ってた加盟率が、年明けには65%まで伸びたんだ。特に大学から歩いて5分以内の飲食店は9割を軽く超えてるよ」

「すごいですね」

「まあ、システムの運用が始まった途端に、そのエリアの非加盟店は軒並み売上げが落ちてね。酷いところは 1/3 以下に激減して、慌てて加盟申請してきたよ」


運用開始前のキャンペーン期間が終わって、加盟手数料を取るようになってたにも関わらず、みんな迷わず加盟してたからなあ。まあ、売上げで2~3人分、粗利でも10人分もあればお釣りがくる程度の手数料だったから、選択の余地はないよね。


「なんでそこまで差がついたんですか?」

「ひとつは、これは割とどこでもやってるポイント制度だね。支払い額の1%がポイントとしてプールされて、ってやつ」

「次回以降の支払い時に使える、ってやつですか? でも、それだけじゃそこまで劇的な差はつかないでしょ?」

「そう。もう一つはね、通称裏ポイント。まあ裏とは言っても普通のポイントの使い道が違うだけなんだけど、学内でいろんな非売品が買えるんだ」

「非売品?」

「例えば教授の似顔絵のLINEスタンプとか」

「うわっ、学生にウケそうですね」

「実際バカウケだったから。最初のシリーズが出てからクレジット手続きをする学生が急増したからね。大学側としてはクレジット会社との契約上、提携手続きをする学生数を増やしたいって思惑があったから、全面協力とまではいかないけど、かなり協力的だったよ」

「他にはどんなのがあるんですか、その非売品ってやつ」

「ウチの大学では学生一人ひとりが学内のサーバにサイトを持てるようになっているんだけど、そこで使える拡張スキンセットだとか、あとサーバの容量の拡大だとか」

「あと、アレとかな」


大将が後ろを指差してるので振り返ってみると、テーブル席の客の内の4~5人が、同じ写真が表に印刷されたノートやクリアファイルをこちらに向けて掲げていた、って、ちょ


「ちょっと、それ学校の外で出さないでって言ってるでしょ!」

「あれ、あの写真」


同じように振り向いた川口君もその光景を見て何かに気付いた。気付いちゃった。

足下のカバンから入学案内の小冊子を取り出してる。あ~あ。


「この表紙と同じ写真、ってかこの左側に写ってるの、橋本先輩ですよね。今気付きました」

「大学からモデル頼まれてね。バイト料もそこそこ良かったし、うっかりオッケーしちゃったんだよ」

「そのグッズのシリーズが出てから、学生のポイント集めが過熱してな。バイク買った奴もいるし、クルマ買おうとしたけど、限度額のせいで買えなかったって話も聞いた。今じゃ男子学生のほとんどがそのグッズ持ってるらしいぞ」

「っていうか、なんでみんなして人の話を聞いてるかな」

「なんでって当たり前だろ。あの"橋本和泉"が逆ナンしてるんだ、気にならない方がおかしい。おかげでそっちのテーブル席に座ってる奴ら、とっくに食い終わってるのに誰も帰りゃしねぇ。繁忙期だったら、とんだ迷惑だ」

「ぎゃ、逆ナンってそんな・・・あれ? でもそういうことになるのかな?」

「いや、爆弾発言はもういいから、食い終わったんならとっとと帰れよ」

「あ、ごめんね、大将。川口君はもうちょっと付き合ってくれるかな? マスター、お会計お願い」

「マスター?」

「うん、マスター」

「そこの大将って人が店長じゃないんですか?」

「この店の責任者は別に居るよ。マスター、今日支配人は?」

「今の時期は割と暇だから、交代で休暇取ることにしてて、今日は兄さんの番なんだ。気になってる店で昼食べたあと、海遊館でも行こうかって言ってたよ」

「どの魚が美味しそう、とか考えながら観てるのかな」

「ははは、否定できないなあ。っと、はい、君は90円のお釣り、また来てね」

「はい、ごちそう様でした。支配人にもよろしく」


割と長い時間話し込んじゃったな。早くあの2人のとこに戻らないと。


「あの、マスターとか支配人って・・・」

「ああ、大将も入れて3人兄弟でさ、支配人が一番上で専門は和食、マスターが二番目で専門は喫茶、大将が一番下で専門は中華。責任者は支配人だけど、まあ3人の共同経営だね。店の名前もそれに因んでるんだ」

「店の名前? 鷄煮・・・ああっ TRINITY か・・・」

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