1 いざ長浜 〜安治〜
「あっちゃー、次の新快速、湖西線方面行きやんか」
大阪駅のホームで電光掲示板を見た途端、仁さんが嘆息する。
「あきちゃん、悪いけどいっこ先の新快速の行き先と時間見てきてくれる?」
「わかりました」
「私も一緒に見てきてあげる」
仁さんに指示された亀山が小走りに時刻表に向かい、美乃さんがその後ろからついていく。
「そこそこ長い時間乗ることになるから、僕らは電車ん中で食べるお菓子でも買うとくか」
「美乃さん達が戻ってからでいいんじゃないですか? どうせ乗る電車はしばらく来ないんでしょ?」
「それもそやな。でもまあ品揃えだけでも見とこか」
そんなことを言いつつ売店に向かって歩き始めたところで、美乃さんが「仁君、仁君」と大声で叫びながら戻ってきた。
「どないしたん?」
「仁君、私、JR西日本の底力を見せつけられたわ・・・。次の快速電車、なんとアメリカ行きよっ!」
「『米』はアメリカとちゃうわ、米原や米原っ!」
「ぶふぉっ」
あ、スーツ着たおじさんが缶コーヒーを鼻から吹いた。ウチの先輩のせいで申し訳ありませんでした、と心の中で謝っておく。
「だいたい行き先ならサンフランシスコとかロスアンゼルスとかニューヨークとか、都市名になってると思わへん?」
「仁君、サンフランシスコとかロスアンゼルスはともかく、東海岸のニューヨークは行き先としてちょっと現実的じゃないわね」
「アメリカ自体が現実的とちゃうからね?」
ウチのサークルで、今年度はアメリカンフットボール部の支援を行うと聞かされたのが、約3週間前。なんでも、昨年の高校の全国大会でベスト4(関西決勝)まで残ったチームのエースQBが、昨年はなんとか4部転落を回避した、というレベルでしかないウチの大学に入学したので、彼が在学中になんとか2部昇格を目指そうと盛り上がっているらしい。
役割分担は、アメフトに詳しい部長の貴さんと3回生の久さんが戦術面でのバックアップ、町江さんが各種分析用のツール作成、和泉さんが技術指導、それ以外のメンバーは、データ入力や集計、スカウティング映像の編集など、主に試合当日以外の雑用らしい。
「亀山、どうだった?」
仁さんと美乃さんの掛け合いはスルーして、戻ってきた亀山に話し掛ける。
「うん、次の新快速は15分後の長浜行きじゃった」
「電車の中で食べるお菓子でも買おうか、って話してたんだけど」
「どのくらいの時間乗るん?」
「2時間はかからなかったはず」
「電車でお菓子食べるって、そもそも座れるんかね?」
「乗ってすぐは難しいかな。少なくとも4人一緒に、ってのはまず無理。でも京都過ぎたら空くらしいから1時間以上は座っていくことになると思う」
「ほいじゃ、何か用意しとった方がええね」
ほとんどがアメフトの試合なんて観たことがないというウチのサークルメンバーに対して、まずは生で1試合観ることを勧めてきたのがアメフト部のヘッドコーチである。
極大の春のシーズン最初の試合は、2週間後に同じ3部の大学との対戦が予定されているので、てっきりこの試合がアメフト初観戦になると思っていた。ところが初の生観戦が3部校同士の試合ではアメフトの面白さが伝わりにくい、もっとレベルの高い試合を観るべきだと言って、ゴールデンウィーク初日に開催される長浜ボウルのチケットを人数分用意してくれたのだ。
長浜ボウルは、日本で最も歴史があるボウルゲームと言われているらしく、メインの試合は全国的に見ても上位に入る大学の対戦が組まれている。自校の試合ならスタッフのパスで無料で入場できるのに太っ腹なことであるが、それも僕達に少しでもアメフトに対する興味を持ってもらおうとしてのことなので、素直に感謝しておく。ただチケット代より大阪〜長浜間の片道の電車賃の方が高いことには、残念ながら配慮されていなかった。
「まんまる焼売ってないかな?」
「これから滋賀県行くのに、なんで滋賀県のお土産買おうとしてるん?」
「鮒寿司買うより良いでしょ?」
「確かに電車で鮒寿司食べたら迷惑やけど! っていうか鮒寿司も滋賀県のお土産やからね」
今日の参加者は、我々4人の他に、久さん、香さん、町江さん、和泉さんの4人がアメフト部の車に乗せてもらって先行している。アメフト部側でも新しく入ったスタッフにスカウティングの体験学習みたいなことを企画していたらしいので、それに便乗した形で先のメンバーが一緒に現地入りして、機材の搬入や設置の手伝いを行うことになっている。
部長の貴さんは、今日は欠席だ。なんでも、滋賀県まで行ったことが実家にバレると「なんで帰ってこなかった?」と文句を言われて面倒くさいらしい。
「川口君は何買うん?」
「するめと、あとはチップスターかポッキーで悩み中」
「私がポッキー買うて川口君のチップスターとシェアするってのはどう?」
「お、じゃあそれでいこうか」
亀山の提案に従って、スルメとチップスターとペットボトルのスポーツドリンクを購入する。ふと横を見ると、亀山がきのこの山とチップスターとカルピスウォーターを買おうとしている。
「おい、ちょっと待て亀山。お前ポッキー担当するはずだよな」
「え、そうじゃった? ごめん、間違えた」
「あぶねえな。危うくチップスターとチップスターでシェアする羽目になるとこだったわ」
「バター醤油味にしとく?」
「いいからポッキーを買え」
大学に入る前は、正直言ってサークル活動などするつもりはなかった。
衣食相当分の仕送りはしてもらえることになっていたが、住、つまり借りた部屋の家賃と光熱費くらいはバイトで稼ぐ必要があったからだ。安アパートを借りて食費や光熱費をギリギリまで切り詰めれば、バイトなしでも生活は維持できる見込みだったが、バイトせずに空いた時間に何かやりたいことがあるわけではなかったし、第一何かするにも普通はお金が掛かる。
なので、新生活ではバイト必須だった。だったはずだった。
「この近江舞子行きが出たら乗車位置に並ぶからね。京都過ぎたら多分一緒に座れると思うけど、それまでは各自空いてる席を見つけたら適当に座っといて」
「あ、仁君と一緒に座るのが嫌だったら、京都過ぎても別々でいいからね」
「ちょっとそれひど過ぎひん?」
2か月余り前、このサークルに誘われてなかったら、多分この連休は友達と遊ぶ余裕もなくバイトに明け暮れることになっていただろう。それ以前に一緒に遊ぶ友達すらできていなかったかも知れない。
そう思うと、やっぱり自分はすごく幸運だったんだろうと思う。この幸運に、そして騒がしくもたまらなく愉快なこの日常を与えてくれている「極東大学秘密倶楽部」のみんなに、ただただ感謝したいと思う。
「あっ、この場所から乗ったら米原で切り離されてしまうがな。みんな、移動するで~」
うん、ちょっと騒がしすぎるとは思うけど・・・。