表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

作者日記〜2年間の全て〜

作者: 城崎 曇

ガラスのハート、鋼鉄の心臓などと比喩される人間に備わっているとされる心

実際にそんな臓器は存在しないのは周知されているし、人間は全て脳によって動いている。


だが、今日僕は脳ではなく心が砕ける音を聞いた。

胸が締め付けられ苦しくなり張り裂けそうになり、なんとそのまま張り裂けてしまった。


僕は鬱になった。


原因はハッキリしていた。

大学生だった僕は都内某所で一人暮らしをしていたが、その頃から寄り添った恋人と死別した。

知らされたのは通夜も葬式も全て終わったあとであった。


メンタルは強い方だと思っていたし、嫌なことはまるごと飲み込んで消化していた。

しかしそれはなかなか喉を通らず、やっと身体に入っていたと思った矢先、胸の中で爆発した。


その瞬間、今まで幼い頃から飲み込んで来たものも一緒に飛び出てきたのである。

それはたちまち走馬灯のように一度に押し寄せ、僕の心を壊した。


その日は眠ることが出来なかった

忘れていた小学生や中学生の傷が全く癒えないのである、もう一度飲み込むことも忘れることも叶わない、その為眠ることは疎か食事も喉を通らなくなってくる。


僕自身は人と話すことが大好きで喋ることも聞くことも好きで、何より人が楽しんでいる姿が大好きであった。わかりやすく人を笑わせることが大好きであった。


何かの病なのか。精神になにか異常が起きているという自覚は持てなかった。

不眠で次の日を迎えると、長年付き合った親友から連絡が来ていた。


親友からの連絡すらも降りかかる後悔や苦しみと同じようなものに見えてしまい、皮肉や嫌味な返信しか送ることが出来なかった。

その時自分の心に余裕や隙間が全くないことに気づいた。

誰かの価値観や意見も拒否してしまい、他人を拒絶してしまう。そんな日々が始まってしまった。


しばらくすると身体は不眠や食事を取らないことに慣れてくる、身体的な辛さはなくなる。しかし心の隙間がないため仲の良い人を傷つけ、拒絶していた日々を過ごすと周りから人がどんどん減っていくのが身に染みて感じられた。


ここで僕は元々嫌いであった自分の事を、自分自身を拒絶してしまったのであった。


この頃から鬱の自覚が芽生え、心療内科にも足を運んでみたが当時余裕のない自分に医者やカウンセラーの言葉が届くことは無かった。


すると余計なことを考えてしまうのである。自分自身を拒絶した自分は何者なのか、今考えている自分と動いている自分は別なのか?


こんな自分は自分じゃなければ楽なのに…と


その刹那、わかりやすく言えば火花

または流星のように頭の中で何か強い光が目の裏から後頭部の方向に移動して自分の後ろに抜けていく感覚がした。

そして光が移動した部分に激痛が走ると、自分の視界に信じられないものが映った。


目の前に、人間の後頭部がある。


それは紛れもない自分の後ろ姿であり、今自分が立っていた場所に自分らしきものが存在して、自分はそれを後ろから見ているのである。


その自分はなんの意図も持たないただ驚いている僕の意思に反して部屋中を暴れて荒らしていった。ものに当たった事がない僕は目の前の映像が怖くて夢のようだと映画を見るように見ていた。


そして朝が来る、あれが夢なんかではないことは部屋の現状を見れば理解するのは容易であった。

僕は自分自身を拒絶した、自分は僕自身を拒絶して身体から追い出したのかもしれない。


当時の自分は全く理解が追いつかない、何故なら心に余裕が無いのでそこまで考えが及ばないのである。


この頃には友達であろうと知り合いであろうとほとんどの人からの連絡を拒否し、遊びに行く…なんて事が出来なくなっていた。

一緒に飲もうと連れていかれても心から楽しむことが難しくなっていった。


そして身体にも大きく影響が出てくる。

常にサングラスをかけているように視界が暗い、清々しく晴れている朝なのに夜のような暗さなのである。夜に関しては人の顔や表情が判別できないほど視界が濁るのである。

突然起きると身体が動かないこともあった。数時間動かしたくても動かないのである、無理矢理動かそうとすると果てしない痛みが伴うのである。


完全に悪化の一途を辿っていた、そして毎晩のようにまた自分自身に身体から切り離されるようになった。

治したくて薬も飲んで、運動やゲームや色んなことを試した。

しかし薬で体重や体調のコントロールが出来なくなり、運動も逆効果で怪我しやすくなっておりゲーム友達すらも拒絶してるため楽しめなくなっていった。


SNSも辞めてしまい、人との関わりがなくなった時誰にも頼れない僕はアルバイトの出勤も減らされ家賃が払えなくなり実家に戻された。親にも相談していない為飽きられたような顔で引越しを手伝ってもらった。

悔しさとやるせない気持ちであった。

唯一異変を感じてくれたのは幼い頃から厳格に育ててくれた祖父であった。

祖父は何も言わなかったが、ただ僕の中に起きている異変を理解し、受け止めてくれた。


僕の哲学や価値観の基礎を作ってくれた祖父がその後すぐに亡くなった。

これで僕の理解者はいなくなり、僕の周りの人は不幸になると悟り、余計に人を拒絶した。


引越しを終え、祖父がいなくなったショックもあり完全にドン底まで落ちた僕は自分も他人も周りの全てを信じられなくなり、近寄る人は不幸になると思い余計拒絶してしまった。


鬱になってから1年半が過ぎ、僕は特別な出会いをした。

その人ととの出会いが立ち直るきっかけになるのだが、当然僕はその人も拒絶した


拒絶して拒否して否定して避けていたのにその人は何度も立ち向かってきた。


そして22度目の誕生日を迎えた時も1人盛大に祝ってくれた。

心が少しずつ動いていくのは分かったようなきがした。


次の日、僕は交通事故で気を失った状態で病院に運ばれた。

元々信号無視車両が多い田舎の信号を渡っていた時に案の定ぶつかった。


病院のベッドで目覚めた時

なぜ死ななかったのだろう…そう感じた。

生きててよかったなんて1ミリも思えなかった。

足や腰の骨はしっかり折れていたが、手術が成功し、半身不随や慢性的な症状は避けてくれた。今思えば感謝の気持ちしかないのだが失礼な話、当時は余計なお世話だと思った。


半年近くの入院だと聞かされ、人と関わらなくていい半年間は最高だとまで感じた。


しかしそうはならなかった。

何度LINEを無視しても呼びかけに応じなくても、失礼に応対しても連絡し続けてくる存在がいた。

誕生日の日に心が少し動かされているのを覚えていた僕は、連絡くらいはとたまに返信し始めた。ミュート聞き専で良いからと通話にも誘われ、グループの通話がない時は個人通話もかけてきて一方的に話し続けるこの人がとてもおかしな存在だった。


半年間それが続き、僕は退院した。

それまで毎日連絡してきていた人にも報告した。


SNSも久しぶりに更新し、退院した事を報告すると関係が終わっていたと思っていた人達や拒絶してしまったはずの人達からもメッセージが届いた。何度も嫌味な返ししかせず喧嘩ばかりになった親友も泣きながら退院を喜んでくれた。


10割人を拒絶し、体の全てに余裕がなかった自分に少し余裕が出来た気がした。

周りに少しは人がいるんだと感じた。


退院してその感謝を話せるようになった口で伝えるとその人は喜んでくれたし、これからも変わらずそうすると言ってくれた。


自分の事しか考えられず、その自分にすら拒否された僕が初めて他人の為に何かしたいと2年振りに思えた。


性別が同じのはずのその人から告白を受けた時は正直驚いたし拒否したが、この人になら心を開いてもいいのかもしれないと思い始めた。

そもそも鬱病に恋愛感情などあるわけがないので、男性だろうと女性だろうと魅力的に感じたとしてもそこまで行くことが叶わないのでその前に拒否してしまうオチだった。


しかしその人は拒絶した後も同じように繰り返し接してきた。

意識せざるを得ない僕はその方が全てを晒して自分の為に尽くしてくれていると感じ、自分からも何かを返していきたいと思えるようになった。


僕らは恋人になった、世間的にはまだまだ受け入れられない同性の恋人であった為周囲には言えなかったし言うつもりもなかったが、お互いにどうでも良いという感じで僕も覚悟もしていた。


恋人になってからは相手の為に尽くすことができ、この病気と戦うのも1人ではなかったので苦しくなかった。この人の為ならと耐えられ、この病を克服するのにもう時間は要らないほどになった。


しかし治る方向に向き始めた病魔は突如僕達に牙を向いた。

僕が恋人を受け入れ始めてから態度が変わってしまったあの人を疑いたくはなかったのに最悪の状態で会ってしまった。

薬も飲んで毎日の発病もなくなり数日ごとに減っていった症状がその日一気に押し寄せた。

結果僕達は短い恋人期間を終える。



しかし数日後、拒絶されていた自分の体が自分のものに戻ってきた。

後は心だけ、そう思っていたしあの人にも何か恩返しが出来るものだと思った。


もう関係が終わった僕達だったが、そこで俺は遠回しに以前向こうの知人から知らされていた男癖の悪さや売春について聞いてしまった。

はぐらかす相手にしつこくしつこく問い詰めた。

その解答であの熱心な行動も、恋人としての日常も嘘と茶番に溢れたものであり、自分に対しての気持ちも偽りだったことが判明してしまった。


結果僕らはこれ以上ないくらいの溝を作り関係を断絶した。


僕は命の恩人であり、この病を回復に向けた本人を恨むことは出来なかったが、断絶した状態で相手に出来ることを考えた。


何度考えてもそっとしておくべき、何もしない事が適切だった。

ただ僕は別の道を選んだ。どんなに自分が悪くなろうと悪しき存在として扱われようと相手を大きく傷つけようとネットに依存した相手を解放すること。売春も浮気癖も辞めさせてあげたい。好きでそんなことしてるとは思えなかった。これは大きな間違いであり、判断もおせっかいで受け入れ難いものだろう、反省すべき事だ。


いつか本当に愛する相手を見つけた時にそんな状態で出会って欲しくないと思っている。


僕は僕で新しい道を進み。新しい人生を歩む


精神が戻ってからは今まで2年間の自分の行いに対する罪悪感と取り返すことの出来ない関係などに落ち込むことばかりであったが、それは紛れもない自分のやったことであり、過去を振り返ることよりも過去に行ったことを取り返すチャンスがあるならどんな些細なことでも尽くそう。まずは動こう。


単純にその発想が戻ったこと、動こうと思ったら身体が自由に動くことに喜びを感じる暇もなく僕は勝手に動き出した。


昔を知る友人や家族はすぐに受け入れてくれたが、知らぬ人達はこの事実を簡単には受け入れられない様子である。当然だと思う。

自分が苦手だと思っていた人間が、精神病で本当は違うんだ!などと急に言い出しても頭の中で?マークが浮かび上がるに違いない。


病気のことを知ってほしいのではない。単純に自分という人間を知って欲しい。そう考えていた。それもまたおこがましいし、鬱陶しい考えなのだが、何もせず関係を絶ってしまうより、自分なりに本心と本音でぶつかりその結果向こうに嫌われてもしょうがないと開き直った。

前の方が良かった。という言葉には流石に傷ついた笑


再度の入院を経て、激動の2年間に終止符を打ち、再スタート!とは行かず。まずは失い空白となっていた2年間の生活の精算と返済に追われる日々だが、それも自分を取り戻してもらえた事の喜びに満たされた状態では何も苦にならない。


文章1文字1文字を書くのも苦しかった小説も書けば書くほど楽しく、文章力や発想も2年間があったからこそ書けるものが増えた。

ペンを走らせ当時の自分を振り返り、紙に殴るとまるでそこに過去の自分やマイナスの事が封印されるような感覚になる。


道行く人はどんな人も闇を感じさせず生活しているが。それぞれ色んなものを抱え過ごしている。僕自身も何食わぬ顔で道を歩いているのだと思う。


人の痛みや傷に敏感になれた。道行く人や今まで景色のように感じていた人1人に対しても人間1人として認識できるようになれた。


自分に大きな痛みや心の苦しみを感じたからこそ他人にはあの苦しみを経験して欲しくないし、もし今苦しいのならその痛みを少しでも負担してあげたいと考える。

僕が原稿に書きなぐったように、あの人が俺の心を少しずつ溶かしたように。


誰に言われた訳でもないが、今の自分も昔の自分も皮肉にも1番大切とする考えや理念は

『人との繋がりを大切にせよ』

親に言われたわけでも先生が叫んでいた訳でもない。ただ物心ついた頃からそれを最も大切に生きてきた。

そんな男が人との繋がりを拒絶した2年間は今考えると死ぬまでに経験しなければいけなかったのかと思う。

祖父が最期に俺に伝えたのは

『自分がゆく道に自信をもて、お前らしく生きろ』

これからどんなことがあろうとも、『人との繋がりを大切にする』という考えは捨てる気は無い。

むしろもっと大切に固く固く心に誓うことが出来た。


そんな2年間だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ