見えない目的
娘の婚約者の行動がおかしい。
そのことに気がついたのは、娘の冴えない様子からだった。息子二人の間にいる一人娘のためか、どちらかというとのんびりとした性格の娘が塞ぎ込んでいる。部屋でぼんやりしていたと思えば、悩ましいため息をついている。
使用人や妻に確認すれば、どうやら婚約者と行き違いがあるらしい。
何をとち狂ったのか、ルシアンは幼馴染の令嬢と二人でよく出かけていた。この中にクローディアがいればまだ体裁を保てただろうが、娘は一緒ではない。対外的には悪くても、娘の目の前で繰り広げる非常識さはなかったと胸をなでおろすべきなのか、怒りを爆発させればいいものか、考えあぐねていた。
ルシアンは騎士団に所属している武官であるが、温厚で広い目で見ることができる。その彼が、婚約者であるクローディアを蔑ろにする現実に感情が追いつかなかった。
毎日、娘のしょげる様子を見守ってきた。だが、もう2カ月近くこの状態だ。夜の食事の後、お茶に誘ったが、気分が乗らないのか断られてしまった。部屋に戻る娘の後姿を見送りながら、つい言葉が零れてしまった。
「クローディアは大丈夫なのか?」
「あなた」
声を掛けられて、妻のマルチナの方へと視線を向けた。彼女も困ったような変な表情をしている。
「どうなっているんだ。彼はあんな配慮に欠けたことをするような性分ではないと思っていたのだが。人が変わってしまったようではないか」
「……詳しいお話はあちらで。お茶を用意しますわ」
そうマルチナに促されてサロンへと入った。サロンには侍女によってお茶の準備がされていた。
マルチナが侍女を下げ、お茶を淹れる。その香りから、私の好きな茶葉を使っていることに気がつき、思わず口元が緩んだ。
「それでクローディアとルシアン殿のことですけど。どうやらルシアン殿の幼馴染という令嬢が色々と邪魔をしているようですわ。ほとんどの噂は彼女が広めているようです」
「噂を広めている? 自分の醜聞をか?」
「ええ。ルシアン殿と出かけて、周囲の人に見せつけるようにしているみたいです」
すでに情報を入手していたのか、妻はよどみなく説明する。
「その幼馴染の令嬢はどこの家の者だ?」
「マッコード伯爵家の娘ですわ」
マッコード伯爵と聞いて、首を傾げた。
「息子はいたのを知っているが……あの家に娘などいたか?」
「後妻の連れ子です。今は令嬢として扱われていますが、マッコード伯爵家の血を継いでいるわけではないので18歳になったら家を出て市井に降りるようです」
なんとなく嫌な予感がした。
思いが顔に出たのか、マルチナはくすりと笑う。
「恐らく幼馴染という関係を武器に、ルシアン殿を篭絡しようとしているのでしょうね」
「そのことについて、ゴードン伯爵家は何と言っている?」
ゴードン伯爵は温厚であるが、道義に反した行動を許すとは思えない。そのことを息子たちはよく理解しているし、父親を尊敬していたはずだ。だから余計にルシアンの行動は不可解だった。たとえ幼馴染の令嬢であっても、上手く付き合う方法はいくらでもある。
「それがゴードン伯爵は今、療養中ですの。代わりに次代の伯爵が対応してくださいました」
「療養中? 私は聞いていない」
「ゴードン伯爵が病気で倒れて、今、領地にいます。ゴードン伯爵の代理に長男の彼がとりしきっているようです。王都からも離れていますし、ルシアン殿は寄宿舎暮らしですからね。なかなか細かいところまでは注意が行き届かないみたいです」
すべてが後手になっているようで気持ちの悪さを感じた。
どれを取ってみても顔をしかめるような内容であっても、大げさに叱責するような内容でもない。ゴードン伯爵も領地にいるのであれば、子細を知ることができずにいるだろう。マッコード伯爵家にしても、市井に降りる予定の娘がとんでもないことをしているなど考えていないかもしれない。
「このまま放っておいていいものか」
「ですが、今の曖昧な状態ではせいぜい注意を促すくらいでしょう」
マルチナの言うことももっともだった。
「クローディアは彼についてどう思っているんだ?」
「お茶会や友人たちとの会話の中で色々な噂を聞いているのでしょう。手紙で距離感が近すぎると注意しているようです。あの子、とても不安そうですわ」
「そうか。それでも行動を改めないという事か。どうしたものか」
ため息をついた。クローディアとルシアンの結婚は政略によるものだ。極端な話、ルシアンが別の女に心を寄せていたとしても問題はないのだ。
世間体を取り繕えるのであれば陰で愛人を囲っていたとしても、眉を顰められる程度だ。実際に、愛人を囲っている貴族など星の数ほどいる。家や国の利益を優先する政略結婚による弊害だ。
「ルシアン殿は噂になっていることを知っているはずなのに、それを止めようとしないのが気になります。何か理由があるのかしら?」
マルチナが不思議そうに呟いた。侯爵夫人として社交を行っている彼女であっても、ルシアンの狙いはよくわからないらしい。
「君も予想がつかないのか?」
「あの二人の行動は社交界から追放されるだけですわ。それぐらい愚かな行動をしています」
「社交界からの追放」
貴族にしたら、いずれは破滅する状況だ。それを自ら引き起こしているとは考えにくかった。
「まさか、本当に恋に浮かれて?」
「それはどうかしら。ルシアン殿は今までずっとクローディアと仲良くやってきたでしょう? その様子を見ていれば、ルシアン殿の態度は確かに妹に対するようなものなのよ。一緒に出掛けているけど、礼儀正しく、どこかにしけこんでいることもないようですし」
私はわずかに眉をひそめた。婚約していない男女二人で出かけるなど、恋の熱にやられているとしか思えない。
「妹のよう、というのが理解できない。幼馴染だといっても適齢期の男女だろう?」
「もちろん、あの令嬢はルシアン殿が好きなんでしょうね。彼を振り向かせようと必死よ。お茶会で聞いた噂だと、彼と結婚して子爵夫人になりたいみたい」
「子爵夫人?」
予想外の言葉に固まった。探るように目の前に座るマルチナを見る。マルチナは涼しい顔をしてお茶を楽しんでいた。
「ふふ。面白いわよね。ルシアン殿が子爵家を継承できるのも、これから近衛騎士に抜擢されるのも、クローディアとの婚姻が条件であるのに。愛人ではなくて、妻の座に座りたいようだと先日、ある伯爵夫人のお茶会で教えてもらいましたのよ」
「一体どこからその情報を……」
「ほほほ。女性の情報網を知ろうなんてしない方がよろしいですわ」
目を細めて、マルチナが笑う。その笑みに背筋が寒くなった。
「……状況は分かった。これからをどうするかだな」
「そうですね。マッコード伯爵家の方も調べていますけど、あの家は最小限しか王都に来ないで領地に引きこもっているので、なかなか情報が得られないのですわ」
「娘一人だけが王都にいるのか」
「そうです。だからこそ、やりたい放題なのかもしれませんね」
貴族令嬢であれば当主の言葉に従うものだが、連れ子でのちに市井に降りる予定であるなら従うことはないだろう。今後の生活のためと称して王都にでも来ているのかもしれない。貴族としての常識が通用しないとなると、行動を予想することが難しい。
「厄介だな」
「よほどのことを起こさない限り、眉は顰められますけど何とかなります」
「そうだろうか」
「本当ならクローディアがうじうじしていないで、もっとガツンとその小娘に言えばいいのです。婚約者ですもの、張り手ぐらいしても許されます」
過激な意見に、マルチナからほんの少しだけ、距離を作る。
「あの子は……優しいから仕方がない」
「貴方がそうやって甘やかすから、あの子はいつまでたってもぼんやりしているのです。自ら取りに行く気概がなくて困ります。何度か注意していますけど、他人事で」
矛先が自分に向いてきたのを感じて、慌てて話題を逸らす。
「そ、それで。彼にはクライドからさりげなく伝えてもらおうか。その間にゴードン伯爵と会う調整をしよう」
「まあ、今はそれでもいいですわ」
マルチナが矛を収めたのでほっと息をついた。
ゴードン伯爵の体調がなかなか良くならず調整が難航し、日程がようやく決まろうとしていた。マルチナと話し合ってから1カ月が経過していた。
クローディアの婚約者はついにやらかした。
夜会の後、王妃である姉の用意した馬車で帰ってきたクローディアは泣いてはいなかったが、顔色が悪かった。
「お父さま。ごめんなさい。婚約破棄になってしまいそう」
「クローディア」
今にも泣き崩れてしまいそうな娘を抱きしめた。




