奇跡の種
オーガスト様に案内された部屋に入れば、すでに王妃様が待っていた。今日の夜会には参加していなかったため、夜会用のドレスではなく装飾品が控えめなドレスだった。
華やかなドレスではなくても、王妃様の持つ他を圧倒する雰囲気は存在感を確かなものにしていた。王妃様はオーガスト様の他にも2人子供を産んでいるのだが、その美貌は衰えを知らない。
「クローディア、いらっしゃい。待っていたわ」
微笑みながら王妃様が立ち上がった。わたしは膝を折り、礼をする。
「では母上。私とイザベルは夜会に戻ります」
「二人ともありがとう。クローディアはわたくしがちゃんと送り届けるから心配しなくてもいいわ」
オーガスト様とイザベル様はわたしに優しい笑みを浮かべて、夜会へと戻っていった。二人を見送ると、王妃様がため息をついた。
「さて。今日ここに呼んだ理由はわかるわね?」
「はい」
やっぱりという思いで、気分が沈む。もう先延ばしにはできない。こうしてわたし個人に確認してくれるところが政略的な婚約とはいえ優しい。
促されるまま、王妃様の向かいの席へと腰を下ろす。浅く座って背筋を伸ばした。
「報告は受けているけど、貴女はどう思っているの?」
「昨日まででしたら、大丈夫ですと言えたのですが……。今はもう無理としか」
「そうよねぇ。王家主催の夜会で、婚約者以外をエスコートなんてありえないわ。少し譲歩したとしても、事前の根回しが欲しかったわね。オーガストの後ろ盾として組まれた縁組だったのに……残念だわ」
王妃様は困ったように憂いを含んだため息をつく。クローディアも婚約者を思い、憂鬱になってきた。
今夜だって保護者的な立場で一緒にいたいのなら、やりようはあった。わたしをエスコートして夜会会場に入った後に合流してもよかったはずだ。
幼馴染の彼女、レオナ・マッコードとは面識はある。親しいわけではないが、体裁は整う。
そのひと手間を惜しんだがために、オーガスト様からの拒絶の言葉が出てきてしまったのだ。今日のやり取りは明日には噂として広まってしまうだろう。その先にあるのは、社交界からの爪弾きだ。
現実を考えられないほど、彼は彼女に恋をしてしまったのだろうか。
先ほど二人で並んだ姿が思い出され、胸を苦しくした。
「王妃様、わたしのどこがいけなかったのでしょうか?」
「いけないところはないと思うけど……。彼には今の行動について注意をしているのでしょう?」
「はい」
注意はしている。幼馴染とはいえ、二人の距離感がおかしいと。
違和感を感じたのは、レオナを紹介されて1カ月ほどたってからだった。あまりにも彼女と二人で会う回数が多いのだ。
未婚の令嬢が婚約者のいる男性に頼るには、常識の範囲を超えていた。その都度、二人で会うのはどうかと注意した。注意するとルシアン様は困ったようにそうだね、と一度は頷く。
だが、彼は続けて言うのだ。慣れるまで面倒を見たい、と。
初めは気にならなかった。療養のために領地でずっと暮らしていたため、友人らしい友人もいない。幼馴染に頼るのも理解できた。
ただその面倒を見ることを行った結果、わたしとの時間を犠牲にされ、さらには婚約者としての義務も放棄されるなんて想像していなかった。
彼との温度差に気がついた時に、きちんと婚約者としての立場を考えてほしいとお願いしていたし、彼女の婚姻の相手を見つけるのが目的であるなら、侯爵家の持つ伝手を使うことも提案した。考えておくと言われて、それっきりだ。
会うことが極端に減ったので、手紙を送っているが返事はない。返事がない時点で、彼にとってわたしの存在が重要ではないことに気がついてしまった。
「マッコード伯爵ね。特に可もなく不可もなくと言ったところの伯爵家だわ。特に政治的な野心があるわけじゃないし、社交も最小限しか行わないようね。社交をしなくても今の状況が普通でないことぐらい、わかっているはずなのよね」
王妃様も困ったようにため息をつく。いくら家同士が親しい間柄であっても、婚約者のいる男性にエスコートなど頼まない。常識に当てはめれば、ルシアン様がエスコートを申し出ているとしか思えなかった。
「最近はルシアン様は彼女のことが好きで、わたしのことが疎ましいのではないかと思っています」
「クローディア」
王妃様が少し咎めるような声で名前を呼ぶ。わかっているけど、わたしは後ろ向きになる気持ちを止められなかった。
「愛する気持ちは、好きな人が目の前にいたら抑えきれないものなんでしょう?」
わたしもそうだから。
わたしの家は侯爵家、ルシアン様は伯爵家だから、彼はわたしから婚約破棄を申し出ることを待っているのかもしれない。
ルシアン様が誰よりも好きだから破綻しそうだとわかっていても、自分から婚約破棄することができない。都合よく政略によるものだから現状維持が正しい、と思い込もうとしていた。
「クローディア、今日のことで王家としては彼との婚約を破棄する方向に間違いなく動くわ」
「……」
わかっていたけど涙が零れそうで、ぎゅっと強く目を瞑る。王妃様がふうっと息を吐いた。
「そうね、じゃあ期間を決めましょう」
「期間、ですか?」
王妃様が頷いた。
「貴女が彼を信じて待てるのはいつまで?」
「待てる時間ですか……婚約をした日かしら?」
婚約してから欠かさず二人で過ごしてきた。政略によるものだとわかっていたけど、それでもちゃんと向き合おうと約束した日だ。
「婚約した日、ね。近いかしら?」
「はい。二週間後です」
「二週間。丁度いいわね」
何が丁度いいのかさっぱりだったが、王妃様は少し楽し気だ。
「気休めかもしれないけど、これをあなたに上げるわ」
そう言って王妃様はテーブルの脇に置いてあった指輪を入れる箱のようなものをわたしの目の前に置いた。手のひらに乗る大きさで、綺麗な刺繍が施された薄い青の布張りの箱だ。
「これは?」
「これはね、侯爵家に伝わる『奇跡の種』なの」
聞き覚えのない言葉に、首を傾げた。
「祈りを込めて育てると10日ぐらいでこのぐらいの大きさに育つみたい」
そう言いながら、王妃様は手のひらの大きさを示した。あまり大きくはないが、10日ぐらいで育つとは思えないほどの大きさだ。
「花が咲くころに、願いが叶うと言われているの」
「はあ」
困惑しながらも、箱を開けた。中には小さめの卵のような白い球が入っている。
「球根?」
じっと手に取って観察した。表面はすべすべしている。芽になりそうなところはなく、どこが上であるかもわからない。
「何回か使われていると聞いているわ。わたくしは必要なかったから使わなかったけど」
「……これ、わたしが使ってもいい物でしょうか?」
「わたくしのお母さま、つまり貴女のお祖母さまが王家に嫁ぐと苦労もあるだろうからと言って家宝を持たせてくれたのよ。わたくしの子供たちよりも、貴女の方が使う権利があると思うの」
だからあなたの願いを込めて育ててみなさい。
王妃様は優しく笑った。
「期限は婚約をした日までよ。その日までは準備はするけど、婚約破棄はしないわ」
「ありがとうございます」
この2週間で、心の整理をしろという事なのだろう。
すでにルシアン様は王家に切り捨てられている。
それを挽回できるのは、この種が花を咲かせるまで。
きっと大丈夫。
この種の花が咲くころには、彼も落ち着いて元に戻ってくれるはず。
自分でもあまり信じていないのに強く言い聞かせて、奇跡の種を両手に包み込んだ。