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始まりはあの日の夜会


 一人で参加する夜会ほど悲しいものはない。


 婚約者であるゴードン伯爵家の次男、ルシアン様から今朝になってエスコートできなくなったと連絡をもらった。せめて二日ほど前であるなら、代わりにお願いする相手を見つけることができただろうにと少しだけ彼を恨めしく思う。


 それも今日は王城で催される夜会だ。一月(ひとつき)に1度開催される定例の夜会であるため格式ばったものではないが、参加する貴族が多い。この夜会では様々な話題を聞くことができるので、わたしも社交界に出てからは欠かすことなく参加している。

 

 夜会には常にルシアン様にエスコートしてもらっていた。そのエスコートを断られるなど、初めてのことだ。


 ルシアン様がわたしとの約束を破り始めたのは3か月前。

 王宮騎士である彼の休みは不定期で、それに合わせてわたしは予定を調整していた。


 ところが、彼の幼馴染だと言う令嬢が王都にやってきてからおかしくなり始めた。


 初めは10日に1回程度だったけど、そのうち徐々に増えていって、ついには今夜、夜会までエスコートされなくなった。


 沈む気持ちを励ましながら夜会に来てみれば、会場で楽しげに話す男女を見つけた。

 一人はルシアン様、もう一人は幼馴染の令嬢だ。


 二人の姿を見て、やはりと言う思いがこみ上げてくる。二人の姿を見てしまうと、夜会会場に入っていく元気がなくなった。胸がずきずきと痛むし、同情の眼差しで見られたらきっと涙がこぼれてしまう。


 こんな弱い自分は嫌いだが、ここ3か月の間に積み重なった不安は無視できないほど大きく育っていた。

 もうこのまま逃げかえってしまいたいぐらいに。

 侯爵家の娘としての矜持もこの心の痛みに、何の役に立たなかった。


「クローディア。こんなところでどうした」


 もう帰ろうかどうしようかと悩んでいると、声がかけられた。パッと顔を上げれば、従兄であり王太子でもあるオーガスト様が心配そうに立っていた。


 彼の母とわたしの父は姉弟だ。だからこうしてわたしの姿を見かけると、いつだって声を掛けてくれる。

 とても優しい兄のような人。


「オーガスト様」


 甘えられる存在を見つけて、ぽろりと涙が零れ落ちた。オーガスト様はわたしの視線を追って、夜会会場を見る。すぐに険しい表情に変わった。


「恥さらしな」


 冷ややかな呟きに、わたしは慌てた。


「彼を責めないでください。幼馴染の令嬢は体が弱くて、つい最近まで領地で療養していたのです。王都の習慣に慣れていないだけですから」

「慣れていない? それなら社交界にデビューしたばかりの令嬢は皆そうなるな」

「オーガスト様」

「今日は王宮で催される夜会だ。婚約者がいるにもかかわらず、身内でもない令嬢をエスコートするのは常識外れとしか言いようがない」


 わたしもそう思う。

 でも認めてしまったら、彼の評価が下がってしまう。


 辛辣な言葉にどう答えていいのか上手な言い訳が出てこなくて俯いた。オーガスト様のため息が聞こえた。


「オーガスト様、クローディアをあまり虐めないでくださいませ。今にも倒れてしまいそうだわ」

「イザベル」


 虐めるなと言われて不本意なのか、オーガスト様が眉を寄せた。王太子妃であるイザベル様が来てくれたことに、ほっとした。オーガスト様の言い分はとても正しいのだけど、わたしがそれを認めるわけにはいかない。

 イザベル様がくすりと笑ってわたしに耳打ちする。


「クローディアのことになると、オーガスト様は途端にポンコツになるのよ」


 その言い方が面白くて、少しだけ笑った。


「そうよ。クローディアには笑顔が似合うわ」

「イザベル、お前がよければ私がクローディアをエスコートしてもいいか?」

「ええ、構わないわ」

 

 二人してどんどんと話を進めてしまうので、わたしは慌てた。

 イザベル様は幼いころからオーガスト様の婚約者で、オーガスト様と共にわたしのことを妹のようにかわいがってくれた。気持ちは嬉しいけど、そこまでしてもらうわけにはいかない。


「そんなことをしてもらうわけにはいかないわ!」

「では、3人で会場に入りましょうか」


 いいことを思いついたと言わんばかりにイザベル様が提案する。流石に夫婦の間にわたしが入ることはおかしすぎる。止めてもらおうとオーガスト様を見れば、オーガスト様はいい案だと言わんばかりに笑顔だ。


「心配いらない。お前は私たちにとって大切な妹なのだから」


 二人の優しさに心が温かくなりながらも、ルシアン様の行動に胸が痛い。

 無理やり笑顔を浮かべて、促されるまま夜会会場に入った。


 夜会会場ではやはり好奇の目に晒された。わたしに対しては同情の目が多いが、ルシアン様と幼馴染の彼女の方へは厳しめの視線が向けられている。


 それも当然だ。

 わたしとルシアン様の婚約は王太子派の我が家と中立派の彼の家を繋ぐものだと誰もが知っている。この国は比較的平和で、政争というものは起きていない。それでもやはり地盤固めは必要なことだ。

 それを蔑ろにするのは貴族社会では致命的な失態だった。今後のことを考えると、とても頭が痛い。


「一曲、踊ろうか」


 オーガスト様が優雅な仕草で手を差し出した。イザベル様は笑顔で踊っていらっしゃいと背中を押す。

 いいのかなと思いつつも、その手を取ればぐっと引っ張られた。


「見せつけてやろう」


 にやりと笑うオーガスト様は非常に悪者に見えた。


「折角の美貌がその笑顔で台無しです」

「仕方ないさ。可愛い従妹を泣かせるような奴がいるんだ。魔王にもなる」


 オーガスト様はダンスを踊り始めると、的確なリードでわたしを引っ張っていく。曲を聴くだけで自然と足がステップを刻む。その楽しさに、気持ちがやや晴れてきた。


「ところで、クライドはどうしたんだ? 妹の危機に来ていないなんて」

「お兄さまは領地の方へ戻っています」

「……ああそうか。橋が雨で流されたんだったか?」


 あまり極端な雨が降ることのない地方に領地はあったが、時々狂ったような嵐が来る。その影響で、古かった橋が壊れてしまっていた。橋の状況確認と復旧の指示のため、お兄さまは領地に出かけていた。


「復旧のメドが立ったようですので、2、3日中には戻ってくると思います」

「そうか」


 軽く頷くと、彼はくるりとわたしの体を持ち上げてターンした。その際にドレスの裾がふわりと踊る。


「オーガスト様ったら」


 わたしがまだ幼かった時に何度も何度もせがんでやってもらったお気に入りのターンだった。


「クローディア。ダンスが終わったら、母上の所へ行くぞ」

「王妃様の所へ?」


 急に話題が変わって、目を丸くした。オーガスト様は口元を少しだけ歪めた。


「母上がとても心配している」

「……わかりました」


 あまりいい話じゃないなと思いながら、頷いた。こんな気持ちのままで王妃様とは会いたくないが、断ることはできない。

 ダンスが終わって、二人でイザベル様のいる場所へと下がる。


「クローディア」


 名前を呼ばれて顔を上げれば、ルシアン様と彼の幼馴染の令嬢がいる。彼女はルシアン様に隠れるようにして背中に張り付いていた。だが、わたしを見る目は勝ち誇っており、優越感で笑顔が歪んでいる。


 彼女と顔を合わせるのは二度目だ。一度目はルシアン様から紹介された。まだ王都に来たばかりの頃だった。その時は友人になれたらいいなと暢気なことを考えていた。


 綺麗な人だと思う。艶やかな金髪と空のような青い瞳。とびぬけている美貌ではないが、庇護欲をそそる儚さがあった。それが病弱からくるものなのか、生来のものであるのかわからない。


 彼女の顔を見て胸は痛んだが、一緒にいる王太子夫妻を無視してわたしに声を掛けてきたことに驚いて返事が出てこない。


「申し訳ないが、母上を待たせている」


 驚きに茫然とするわたしが返事をする前に、オーガスト様がわたしを庇うように一歩前に出た。

 ルシアン様は今気がついたのか、慌ててオーガスト様に挨拶をした。そして、後ろに隠れている幼馴染の彼女を自分の隣に立たせた。


「王太子殿下、紹介します。こちらは……」

「不要だ」


 ルシアン様が紹介しようとしたが、不愉快そうにオーガスト様が中断した。ルシアン様はオーガスト様の拒絶に驚いた顔をする。彼の後ろに隠れている彼女はどこか不満そうな顔をした。


 ルシアン様の行動にわたしはただ驚いてしまった。


 不興を買ったと思ったのか、ルシアン様が助けを求める様にわたしの方を見た。わたしは困ったように首を傾げて見せる。わたしに助けを求めたことでオーガスト様はさらに厳しい目を向けた。


「婚約者がいながら、別の令嬢をエスコートするような恥知らずは見ていて不愉快だ。去れ」


 強い口調で断言されて、周囲から音が消えた。皆が注目している。誰も声を出すものはいない。


「そんなつもりは……」

「言い訳は必要ない」


 それだけ言い残して、オーガスト様はわたしとイザベル様を連れて、会場から退場した。

 ルシアン様の行動が恥ずかしくて顔を上げられなかった。


 いつからあんなにも常識外れになってしまったのだろう。

 考えてみれば、彼と最後に会ったのは2カ月前だ。

 手紙のやり取りはあるが、それっきり。


 それまではとても大らかであっても、常識外れではなかったはず。


 いくら考えてもよくわからなかった。




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