街中にて
アルフレッド様の休暇が終わり、日常が戻ってきた。
日常といっても、この国で一人で過ごす時間は屋敷の中で静かに過ごしていた。昼間は時々侍女を連れて買い物に行き、夜は仕事から帰ってきたアルフレッド様を出迎える。そして一緒に食事をして、その後は一日の出来事を話す。
『もう寝る』
食事をしている間から眠そうにうとうとしていた聖獣様は自分のデザートを食べ終わると、さっさと寝室へと戻って行ってしまった。
「体調が悪いのかな?」
仕事が始まってから、ほとんと会話をしなくなった聖獣様にアルフレッド様は心配そうに眉を寄せた。
「体調が悪いわけではなく、眠い時期なんだそうです」
聖獣様は日中もよく寝ている。わたしが自分の尻尾がなくなって手が寂しくなったものだから、聖獣様の尻尾を撫でている。旅行中まではちょくちょく文句を言われていたが、最近は慣れてしまったのか寝ている間に触っていても気にしない。
あまりにも寝ていので心配しているが、医師に見せるわけにもいかず聖獣様の言葉を信じるしかない。
「場所を移動しようか」
食事が終わって、いつものように二人してサロンの方へと移動した。アルフレッド様には酒が、わたしにはお茶が用意されていた。
一人分の隙間を空けて二人並んで座り、一日のことをとりとめもなく話す。
そんな家族のような時間を過ごしていると、ずっと一緒に過ごしているような不思議な感覚になった。
「アルフレッド様は不思議です」
「何が?」
アルフレッド様は自分のグラスに芳醇な香りの酒を注ぎながら、問うような視線を向けてくる。
「まだ出会って1年も経っていないのに、とても落ち着きます」
「それはいいことなのかな? あまり家族っぽく見られたくないんだけど」
揶揄うような口調に隣にいる彼に唇を尖らせた。
「家族では……ないと思います」
「では兄のような?」
「それは」
否定するのが少し難しかった。一緒にいて安心できて、信頼できる。それは自分の兄に対してもそうであるから、違うのかと言われれば難しい。ルシアン様に思っていたような好きという感情とも違っていて、何とも否定しにくい。
ただ前の恋とは違うけれど、兄というのも少し違和感がある。
この言葉にならない気持ちをどう説明しようかと、ぐるぐると悩む。
「できれば恋人のような関係が一番いいね。でも、それもまだ難しいか」
アルフレッド様はグラスを傾けて酒を飲む。わたしの態度から何か感じるものがあるのかもしれない。後ろめたさを感じながらも、誤魔化すようにこちらからも聞いた。
「アルフレッド様だってわたしのことを妹のように思っていませんか?」
「妹か。それはどうだろう? 私には妹がいないからよくわからないな」
私の言った言葉を考えるように言葉を零し、少し微笑む。年の差があるせいなのか、こういう顔をされるとドキリとする。どきどきするその気持ちに気がつきたくなくて、無理に笑みを浮かべる。わたしの心の動きがわかっているのか、面白そうに目を細めた。
「無理しなくてもいいよ。時間はあるのだから、ゆっくりとね」
そのゆっくりとした関係がとても居心地よくて、続いてほしいと思ってしまう。
自分勝手だなと自嘲しながらも、今はまだ甘えていたいというのが本心だった。
******
帰国まで5日を切った。
初めての他国での生活は充実していた。今まで暮らしていた自国とはまた違った空気に直接触れられて良かった。今回は婚約者としての立場だったため、社交はしていない。社交が目的というよりも、他国が初めてのわたしに経験させたかったのだと思う。
『今日は一緒に行くぞ』
「起きていられるんですか?」
屋敷内では聖獣様と時間が会えばまったりとしていたが、一緒に外出するのは初めてだ。
『前にもらった美味しい菓子、あれを買って帰りたい』
どうやら目的は帰国する時のお土産にあるようだ。くすくすと笑っていると、聖獣様の尻尾で軽く手を叩かれた。
「ちゃんと買って帰ります。屋敷のみんなにも同じものがいいかしら?」
『駄目だ。売っている物は全部私が買う』
「お金、ないでしょう?」
『ちゃんとオーガストに小遣いをもらってある』
嬉しそうに胸を反らすので、頷いておいた。同じ店で他の種類も色々置いてあるだろうから、他のものを見ればいい。
久しぶりに聖獣様と楽しく話しながら、街に向かった。聖獣さまは小さいままで、姿を見せていないから会話をしていても侍女と話しているように見える。屋敷にいる侍女には聖獣様を紹介しているので、道行く人たちと違い認識できる。
『おい』
街中をぶらぶらしていれば、聖獣様がわたしの足を止めるように声を掛けた。
「どうしたの?」
『こっちに行きたい』
聖獣様は突然行きたい場所を告げてくる違和感に首を傾げた。
「聖獣様の好きなお菓子を売っている店は反対側よ?」
そう言って店のある方へと首を巡らせた。
「え?」
驚きに目を大きく見開いた。店の前でアルフレッド様とジェーン様がいる。ジェーン様が一方的に話しているのか、詰め寄っていた。この位置からではアルフレッド様の表情がわからない。
二人の様子に、ルシアン様とレオナ様の二人の姿が重なる。最初の噂を聞いた直後のことを思い出した。あの時もたまたま買い物に出ていて、二人を見つけてしまったのだ。二人もわたしに気がつかずに何かを話していた。勇気を出して声を掛ければいいのに、見なかったことにした。
思わず体が震える。
「お嬢さま」
心配そうに侍女が肩に触れた。目は二人から逸らすことができない。落ち着こうと両手を握りしめた。
『クローディア、帰ろう?』
「……いいえ」
ここで帰ってしまっては前と同じだ。とても怖いと思う。本当は二人は心を通わせているのかもしれない。
でもそれは確認した事実ではない。アルフレッド様はゆっくりでもいい関係を築こうと言ってくれていた。ジェーン様の性格はよくわかっている。聞く気がないのか、わたしがいてもアルフレッド様を諦めようとしない。
『無理しなくても、屋敷に帰った後でもいいではないか』
「いいえ。それではわたしは前に進めない」
わたしは一度大きく息を吸って、笑顔を浮かべた。
大丈夫。
お母さまにも散々教育されてきた。
覚悟を決めると、二人の方へと歩き出した。
「アルフレッド様。お仕事は終わりですか?」
近づいてみれば、二人きりという事ではなかった。少し離れた場所に、二人の男がニヤニヤしてアルフレッド様とジェーン様を見ていたのだ。その関係を見て、ああなるほどと納得する。
アルフレッド様は驚いてわたしの方を見た。その顔にどこかほっとしたような表情が浮かんで嬉しくなる。
にこにこして彼に近づき、そっと腕に自分の腕を絡ませた。
「うふふ、嬉しいですわ。お買い物に来ているということは、もうお仕事は終わったのですね」
「ああ。丁度終わったところだ」
アルフレッド様は私を抱き寄せると、ちゅっと小さく目元にキスを落とした。親愛を込めたその仕草に、思わず頬が熱くなる。
「こんな人の多いところで……恥ずかしいです」
「婚約者なんだから、これぐらいは許してほしい」
二人でそんな会話をしていれば、無視されていたジェーン様が怒って割り込んできた。
「なんなのよ、貴女! 勝手に割り込んでこないで! これから二人で出かけるのだから邪魔しないで頂戴」
「そうなの?」
二人で?
ありえないなと思いながらちらりとアルフレッド様を見た。彼は苦い笑みを浮かべる。
「ここまではあそこにいる二人を含めて四人で仕事で来ていた。仕事はここまでで帰るところだった」
「フレディ様、いくら婚約者がいるからって嘘をつく必要はないわ」
自信満々にしているジェーン様を見ているうちに、気持ちが落ち着いてくる。アルフレッド様の優しい目がわたしに自信を与える。
「一つ聞いてもいいでしょうか?」
「何よ」
「結局何がしたいのですか?」
こんなところで騒いで噂にしたところで、わたしたちは3日後にはこの国を去る。帰国して2か月後には婚儀だ。恐らくこのようなトラブルがあると知ったら、アルフレッド様の赴任国が変わるだけ。
「だから、わたしとフレディ様は相思相愛で……」
「それがよくわかりません。わたしたちの婚約は王命によって結ばれています。貴女の言うように仮に相思相愛だとしても、だから何だというのです?」
「何って……」
ようやく質問の意図が呑み込めてきたのか、ジェーン様の言葉に勢いがなくなる。
「ジェーン様が我が国にとってとても重要な人物で、アルフレッド様と婚姻を結ばなければ利益にならないような何かをお持ちなのでしょうか?」
「それは」
ジェーン様がついには黙り込んだ。しっかりと理解してもらわないと困る。アルフレッド様の腕を離し、一歩前に出た。ジェーン様の目をしっかりと覗き込み、視線を合わせる。
「わたし、これでも侯爵家の娘ですの。王太子殿下の従妹でもあります。平民なら知らないこともあるだろうと一度は怒りも抑えられますが、貴女は貴族令嬢ですわよね? 理解しての行動のようですから、正式に国へ抗議させてもらうわ」
「待ってください」
ずっと様子を見ながらにやにやしていた二人のうち、一人が慌てて近寄ってきた。わたしはジェーン様から男性の方へと目を向ける。
「なんでしょうか」
「ちょっとしたおふざけですから、そう目くじらを立てなくても。これ以降は気を付けますから」
にこやかにふざけていただけだと宣う。わたしはにっこりとお母さまに教わった威圧のある笑みを浮かべた。男性がやや顔色を悪くした。一歩、後ろに足を下げなかったのでまだまだお母さまの域には達していない。もっと精進が必要だなと思いながらも笑みを深める。
「まあ、そうでしたの。ではわたしもこんなおふざけがあったのです、と我が国の王太子殿下にお話ししますわ。もちろん、とても面白い方々でしたとお名前も伝えておきます」
「いや、それはちょっと」
「そんなに心配しなくても、大丈夫です。王太子殿下はとても面白いことが好きな方ですから。ちょっとしたお土産話です」
だいぶ脅しが効いているのか、三人が顔色を悪くして視線をうろつかせていた。お互いに責任を擦り付けているのか、小突き合っている。その程度の覚悟でわたしたちの間を乱そうとするのが許せない。
「クローディア」
「はい、何ですか?」
アルフレッド様がぽんとわたしの背中に手を当てた。手のひらの温かさが、じんわりと体に伝わってくる。知らない間に緊張していたのか、体が冷えていた。
「もう買い物は終わったのかい?」
「いいえ。まだ半分も終わっていません」
「じゃあ、一緒に行こうか」
「嬉しいです」
わたしの意識は三人からアルフレッド様へと変わった。視線をそらしてしまえば、威圧感を感じなくなったのか三人が力を抜いたのが雰囲気でわかった。
アルフレッド様はわたしの腰に腕を回す。
「最後にこんなことになってしまって残念だよ。きちんと君たちには伝えていたはずだ。面白がって、事態を悪化させた責任は取ってもらう」
「ま、待ってくれ!」
男はぎょっとしてアルフレッド様を引き留める。
「クローディアにここまで言わせたんだ。穏便に済ませる段階は過ぎた」
それだけ告げて、わたしたちは目的の店へと向かった。無言で歩き、ある程度の距離ができたところで、アルフレッド様を見上げた。いつもよりも厳しい表情をしている。
「やりすぎました?」
「いいや。丁度いいぐらいだ。同じことを何度も説明したはずなのに、どうしてああなってしまったのか」
「あの二人、ジェーン様と親しい方では?」
婚約者がいると言われても会ったことがないから、ジェーン様との噂で彼女の思いを成就させようとしたのではないか、なんて勝手なことを考える。どちらにしろ、やり過ぎていい話ではない。
「……そうかもな。どれぐらい親しいかは知らないが」
「仕事、やりにくくならなければいいけど」
オーガスト様の従妹だとは言わずにおけばよかった、と少しだけ反省する。
「仕事、ね。こんな街中で目撃されているんだ。あることないこと面白く噂されるきっかけを作った人間といい仕事ができるとは思えない」
「もう少し、穏便にした方がよかったかも」
「気にしなくてもいい。帰国したらしばらくは国内になるだろうから」
それもそうかと頷くと、その話題はそれっきりとなった。