久しぶりに会う彼
そっと劇場のホールを覗き込めば、彼はいた。相変わらずレオナ様をエスコートしている。夜会と違って平民でも入ることができる劇場だから、二人が一緒にいても変な目で見ている人は少ない。
仲良く話している二人の様子を物陰からじっと見守る。
劇場で令嬢が一人、物陰に潜んでいれば怪しまれる。そう思われないように、聖獣様には認識がしにくくなるようにしてもらっていた。力を使ったことで大きな姿になっていたが、特定の人以外は見えないらしい。なかなか便利な能力だ。観察し放題で、とてもいい。
ルシアン様は黒の正装、レオナ様は淡い色のドレスだった。少し子供っぽい意匠ではあったが、レオナ様の金髪と青い目にはよく似合っている。
華奢で花のような雰囲気を持つレオナ様は何もかもわたしとは違う。わたしはお母さま譲りの赤茶色の髪に緑の瞳だ。さほど派手ではない色合いのためか飾り気の少ないドレスの方がよく似合い、ふわふわしたドレスは着たことがない。ああいう感じが好きだったのかと思えば、少し落ち込んだ。
『お前は綺麗だ』
落ち込んでいるのが分かったのか、慰めの言葉をぽつりと呟いたのは足元に座っている聖獣様だ。
聖獣様はこの劇場に入る直前にぺろりと頬を舐めて耳と尻尾を消した。たったそれだけで半日ぐらいは消せるそうだ。初めて大きな姿を見た時には食われると思ってしまったが、聖獣様はほんのちょっとペロッとしただけだった。あんなに怖がっていたのが馬鹿みたいだ。
「わかっています。気にしていません」
落ち込んでいると思われたくなくて、ついきつい口調になってしまう。つんとして言い放てば、聖獣様が大きな尻尾でわたしの背中を撫でた。やっぱり慰められている。
『だったら泣くな』
「泣いておりませんわ。目の縁に水が溜まっているだけです」
『……わかった』
わたしの強がりを受け入れたのか、聖獣様は見ないことにしてくれた。ハンカチを取り出すと、そっと目元に当てた。
沈む気持ちを奮い立たせると、二人の方へと目を向けた。
ルシアン様と二人で話せるようにオーガスト様に相談してた結果、アルフレッド様が手を貸してくれることになった。ただ、どのように貸してくれるのかはわかっていない。口の上手い彼のことだ、状況に応じて対応するのかもしれない。
痛む胸を我慢しながら、じっとルシアン様とレオナ様を見続けていれば、アルフレッド様が二人に近づいた。よそ見をしていたレオナ様がアルフレッド様とぶつかった。
「どうしたのかしら?」
あまりにもさりげない接触だった。それだけでなく、何やらアルフレッド様もレオナ様も慌てている。
『あの女のドレスのレースがアルフレッドの袖口のボタンに引っかかったようだ』
「……そんなこと故意にできるの?」
『アルフレッドならできないことはなさそうだ』
聖獣様と3人のやり取りを見ていた。どうやら複雑に引っかかったようで、アルフレッド様はレオナ様と二人でその場から移動した。恐らく控えの部屋で待機している侍女に解いてもらうつもりなのだろう。
「嘘みたい」
ホールに残されたのはルシアン様だけだった。彼は二人を見送ると、ため息をついて目立たない壁際へと向かう。
『行くぞ』
聖獣様の掛け声に従って、淑女としてはありえないほどの速さでルシアン様に突撃した。後ろから忍びより、ぐっと腕をつかむ。
「何?」
突然腕を掴まれたルシアン様が呆けた声を出した。だがそれに構っている場合じゃない。無言でぐいぐいと引っ張り、そのままベランダの方へと向かった。
ルシアン様は腐っても騎士。体格差のある彼を押していくのは大変だが、そこは聖獣様の後押しがあった。聖獣様の力により、ルシアン様の足は勝手にわたしについてくる。意志とは異なる動きをする体にルシアン様が驚いていた。
不意打ちは成功し、わたしは見事にルシアン様を人気のないベランダに連れ出すことに成功した。
「クローディア?」
「お久しぶりです」
暗がりで表情がよく見えないが、それでも彼が突然のことに戸惑っているのがわかる。わたしは掴んでいた腕を離し、真正面から彼を見上げた。
ずっと変わらない瞳がそこにある。
無表情でも、わたしを嫌悪するものでもない。
驚いた眼差しを受けて、息が止まりそうだった。
「どうして……ああ、そうか。婚約破棄になるんだ。文句の一つも言いたいといったところか」
「文句は言いたいですが、それよりもどうしてこのようなことをしたのか理由を教えていただきたいです」
ぎゅっと両手を握りしめ、彼を見つめた。ルシアン様はわたしの問いただす眼差しに耐えられなかったのか、視線が床に落ちてしまう。後ろめたいことがあるような仕草に、目の奥が熱くなった。
「ごめん、謝ることしかできない」
「そんな言葉を聞きたいわけではありません。わたしのどこがいけなかったのですか?」
声が震えないように気を付けたが、どうしても絞り出すような情けない声になってしまう。ルシアン様はわたしの言葉を否定するように顔を上げ、頭を左右に振った。
「違う。悪いのは俺なんだ。クローディアはとても素敵な女性だよ。俺にはもったいないぐらいに」
「だったら、何故!」
「……それは言えない」
ルシアン様は視線を再び床の上に落とした。理由を言うつもりはないようだ。
「何でも話そうって約束したじゃない」
少し責めるような言葉がぽろりと零れ落ちる。ルシアン様はゆっくりと視線を上げた。
「うん、そうだね」
「……レオナ様は知っているの?」
「……」
返事はなかったが、返事がないことが答えだった。わたしは体から力が抜けそうだった。急激に悲しみが湧いてくる。
「わたしには相談できなくても、彼女にならできるのね」
息が苦しい。
胸が苦しい。
大きく息を吸って、喉に込み上げてくる何かを飲み込んだ。飲み込んでも飲み込んでも、胸の苦しさは取れない。現実がわたしを押しつぶしてしまいそう。
逃げたくなる気持ちを無理やり奮い立たせた。ここまで会いに来たのだから、彼の気持ちを確認しないといけない。わたしの思い込みだけではきっと引きずってしまう。
「最後に教えてください」
「答えられることなら」
「レオナ様が好きですか?」
声が掠れた。もっとしっかりとした態度で、声で聞こうと思っていたのに、声は小さく掠れ、しかも震えている。両手を握りしめて、震えを抑え込む。
「レオナか。好きだよ」
ルシアン様の口から零れた言葉は、とても冷ややかで恋する男のものではなかった。好きという言葉とその態度の剥離に、わたしは顔を上げた。わたしの視線が彼と絡み合う。
ルシアン様の目は仄暗く、憎しみの色さえ浮かんでいた。
だけどその色はすぐに消える。
彼の心の変化が理解できなくて言葉を返せないでいると、ルシアン様が頬をするりと優しく撫でた。
「こんなにも傷つけてすまない。こんな俺から願われても嫌だろうけど、幸せを願っている」
それだけを告げると、ルシアン様はバルコニーからホールへと戻っていった。その後姿を見送れば、アルフレッド様に連れられたレオナ様が彼を見つけて歩み寄る。彼女は楽し気に何かを言っているが、ルシアン様は表情を変えることなく静かに聞いていた。
その姿を見て、彼には彼の抱えているものがあるのだと知った。きっと婚約破棄をしなくてはいけないほどの何かを抱えている。それを支えるのがわたしではなく、彼女だったのだろう。
「レオナ様との関係が始まりつつあった時にちゃんと聞いていたら、結果は違ったかしら」
わたしの呟きに、聖獣様は尻尾を一振りした。
『可能性の話だ。そうならないことも多い』
それでも後悔してしまう。あの時、こうしていたら、と。
引き返せないところにくる前に、怖がらずにちゃんと真正面からぶつかればよかった。
そうしたら、二人で歩く未来もあったかもしれない。
「クローディア嬢」
ぼんやりとルシアン様を見ていれば、声を掛けられた。顔を巡らせば、アルフレッド様がいる。
「その顔だとちゃんと話せたのかな?」
「はい。ありがとうございます」
喉の奥がツンとした。こらえきれず、ポタリと涙が落ちる。慌ててハンカチを出そうとすれば、アルフレッド様が先にハンカチを差し出した。そのハンカチを受け取り、目を覆う。
「オーガスト殿下の所に戻ろう」
声を出したら大声で泣いてしまいそうで、頷くだけにした。アルフレッド様に促され、劇場を後にした。