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ルシアン様とわたし



 ルシアン様と引き合わされたのは、王城の庭だった。

 王族が招待する時に使うお茶会用の庭だ。庭師によって整えられた花の咲き誇る庭で、わたしは自分の婚約者となった彼と出会った。


 大人として認められるのはこの国では15歳だ。11歳のわたしは両親の庇護のもと何も心配することなくふわふわと暮らしていた。

 社交の練習の一つとして、お母さまのお茶会についていくことはある。だがそれは大人の社交と違って、同年齢の令嬢達と知り合うためのものだ。気の合う友人たちとのお茶会は楽しさの方が多く、駆け引きも少ない。


 こうしてきちんと場を設けられ、お母さまのおまけではなくて一人の令嬢として紹介されるのは初めてのことだった。


 きちんと挨拶できるだろうかとどきどきしていると、彼の方から挨拶をされた。


「はじめまして。ルシアン・ゴードンです」


 3歳年上の彼は伯爵家の次男で、すでに騎士になるために見習いとして騎士団に所属していた。背が高く、ひょろりとしているが、鍛えていることがわかるほど姿勢がよい。今日は騎士服の正装をしていたため、実際の年齢よりもすごく年上に思えた。


 落ち着いた眼差しで見つめられて、息が詰まりそうになる。

 どう反応していいのかわからず、困って俯く。


 お母さまに習ったように挨拶をすればいいのはわかっていた。今までだってそれぐらいはやってきている。でも、突然、頭が真っ白になってしまった。どうしようと慌てれば慌てるほど、体は震える。


 彼はそんなわたしの前に片膝をつき、わたしの手を取ると下から見上げるように覗き込まれた。あまりの距離の近さに、固まった。彼の目から視線を逸らすことができない。


 混乱して、何度も口を開けたり閉じたりしていると、ほほ笑まれた。

 握りしめていたわたしの手を持ち上げ、そっと指先に唇を当てた。唇の、少し暖かな感触が指先に残る。


「ル、ルシアン様……!」


 驚いて咄嗟に手を引いたが、思いのほか強く握られていて自分の手なのに自由にならない。目を大きく見開いて訴えるように見つめた。彼は暖かな色をした茶色の瞳を細めて、微笑む。


「時間をかけてゆっくり仲良くなろう」

「ゆっくり?」

「そう、ゆっくり。きちんと関係を築きたいと思うのは欲張りかな?」


 どこか気恥ずかしさを感じているような彼の笑顔に、わたしは釘付けになった。

 お兄さまや弟とは違う、優しい男性。


 この人がわたしの夫になる人。


 すとんと気持ちの中に何かが落ちた。それを自覚すると暖かな感情が全身を駆け巡り、顔が熱くなる。


「顔が真っ赤。嫌いじゃないと思ってもいい?」

「……聞かないでください」 


 ゆっくりと、ゆっくりと、わたしたちは絆を深めていった。


 思っていること、考えたこと、何でも話した。


 ルシアン様は騎士団に所属しているから、休みもまちまちだ。前日や当日であっても連絡があれば、わたしはなるべく彼に会えるようにと時間を空けた。彼は申し訳なさそうにしながらも、わたしに会いたかったと抱きしめてくれる。


 11歳で婚約した時はまだ世間を知らない子供だった。

 12歳になった時には彼のことが大好きになっていた。


 憧れだけでできているふわふわした恋が、現実を見据えた恋に変わってくのを自分でも感じていた。


 彼の横に立てるような素敵な女性になろう。


 そんな気持ちがわたしの取り組む姿勢を変えた。お母さまはわたしの変化を喜んだ。貴族夫人としての在り方を沢山学んだ。

 お父さまはいつまでもぐちぐちと子供のままでいいと呟き、お母さまの鉄扇を食らっていた。わたしの変化は伯母である王妃様を感心させ、オーガスト様はいい子だと頭を撫でた。子ども扱いに少し思うところもあるが、それも今だけだと我慢する。


 ルシアン様が大好き。

 11歳の時よりも、12歳の時よりも。

 一緒に過ごすたびに確かな好きになっていく。好きは好きでも、成長するたびに、「好き」の中に含まれる気持ちが違う。


 18歳になったら、結婚する。


 結婚して、夫婦になり、そのうち子供が生まれて。

 確かな未来が見えていた。それはルシアン様も同じだと思っていた。


 それなのに、確かに感じていたものは3カ月前から徐々に壊れ、今はばらばらになった破片が残っているだけ。いつまでも未練たらしくその破片を集めて、元通りになることを祈っている。


 ルシアン様はわたしを見なくなった。会いたいと伝えても、忙しいとしか返ってこない。仕事ならば仕方がないと自分を納得させた。噂も無理に笑って否定した。

 心がぎしぎしと痛み出し始めたころ、街中で幼馴染の彼女、レオナ様と一緒に歩いているのをたまたま見てしまった。仲のいい二人の姿に声がかけられなかった。見ているだけでも辛いのに、目が逸らせなくていつまでも見ていた。


 二人で出かけないでと言えば、彼女が幸せな結婚をするまで我慢してほしい、と。


 彼女のルシアン様を見る目が、熱を持っているのを知っているの?

 彼女の望みがルシアン様との結婚だと考えない理由は何なの?


 今までは何でも不安に思ったことや、心配に思ったことを相談してきた。それはルシアン様がそうしてくれるから成り立っていたのだと、初めて気がついた。


 理由はわからないけど、嫌われたらどうしよう――と。


 悩みながらも、腑に落ちないこともある。

 あんな風にわたしを蔑ろにするのはどうしてなんだろうと。

 もし恋に落ちて何を捨ててでも彼女を選びたいと思ったのなら、わたしの知っている彼なら頭を下げて婚約破棄を願うだろう。私から婚約破棄しても、彼から申し出ても、どちらにしろすべてを失うのだから。


 わたしの知っているルシアン様と今のルシアン様の行動が一致しない。

 そのちぐはぐさがとても気持ち悪い。







「ということで、よろしくお願いします」

『何がだ!?』


 縋るように聖獣様をぎゅっと右手に掴む。ぎょっとした聖獣様が慌ててわたしの手の中から抜け出そうと暴れる。


「だってお兄さまに相談しても無視されそうだもの。わたしには聖獣様しか頼れる方がいないの」

『き、気持ちは分かった! だからもう少し握る手を緩めろ!』

「どうしてわたしでは駄目だったか、知りたいの」


 聖獣様がぴたりと抵抗をやめた。少しばかり心配そうに下から眺めてくる。透明感のある人ではない目がわたしの心の中まで知ろうと向けられる。


『理由を知ってどうする?』

「このままでは気持ちに整理がつかない」

『……わかった。手助けができる人物の所に送ってやろう』

「手助け?」


 何度も目を瞬けば、聖獣様はわたしの手から逃れると大きくなり、ふわりと尻尾を振った。


『その男に相談しろ』


 どういうことだと確認する前に、景色が変わった。お気に入りの家具で整えられた部屋ではなく、高級な調度品でありながら無機質な部屋へと変わる。


「クローディア?」

「オーガスト様」


 どうやら聖獣様はオーガスト様に丸投げしたようだ。

 ただオーガスト様の視線がわたしの耳に釘付けなので、相談できるまでには時間がかかりそう。




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