呪具と遠吠え
Nやんから聞いた年内最後のお話です。
「Nやん、また怖い話よろしく~」
いつも俺に怖い話をせがんでくるコイツもいい加減慣れてきてると思う。
一度危なくない範囲で怖い想いをさせた方が良いのでは? と思わないでも無い。
心霊スポットに行かないだけ俺の教えは守っては居る様だが。
十二月も後半。
大掃除を始める所もまあ有るだろう時期。
仕事で神奈川県の古い街に立ち寄った。
街の辻々に歴史を感じる気がする。
建物にでは無い。
道の作りに、だ。
寒波はまだ来ていないとは言え、やはり寒さを頬に感じる。
遠くに見える山も色付いて、冬の山の顔をしている。
そんな事を考えていると、突然全身に鳥肌が立った。
左右を見回して、その気配の元を探す。
右手の路地から嫌な気配が近づいて来る気がした。
「なんだ?」
マスクの下で思わず言葉が漏れる。
アンモニア臭では無く、メタン臭と微かな硫黄の悪臭が漂ってる。
その匂いの傾向から憎しみや怨念の類が染みついたナニかだと判断した。
正体を見て関わるか逃げるかを決めよう、そう考えて道の端で足を止める。
路地から一人の男性がヨロヨロと歩き出た。
両手で黒い箱を持って。
目視した瞬間に全身に怖気が走る。
一目で封印が解けた呪具か呪物の箱だと解かる。
観察していると、生気の薄い顔を涙で濡らした男は視線を彷徨わせていた。
良く見ると眼球がキョトキョトと動き続け、またまばたきを一切していない。
影響力を見るに、相当に不味い。
悪影響を通り越して、人を呪い殺す類だ。
見過ごせば見殺しにしてしまう。
その位にはキツイ代物だった。
一際おかしいのは、俺しかその男性に視線を向けていない事だ。
一見して様子がおかしいと言うのに周囲に居る歩行者は見向きもしないで通り過ぎて行く。
認識阻害なのか、危険回避なのか分からないが誰も近寄ろうとしない。
「はぁ~、……やるしかないか」
諦めが混じった溜息と言葉が漏れる。
気が重いし、足も重たいが仕方が無い。
諦めてその男性の所まで歩を進めた。
「こんにちは、手を貸しますか?」
そう声を掛けるが目の動きは変わらない。
ここまでの道中、誰もが居ない者の様に素通りして絶望していたのかも知れない。
男を目の前にすると悪臭とは別に微かに血の匂いがする。
両手で箱を掴んでいるが、どうやらその手が傷だらけなのだろう。
小さく震えているのが見て取れる。
杖をベルトに挟み、返事を待たずに男の両手首を掴み左右に開こうと力を込める。
全力で締め上げる様に左右から力を込めているらしく、ビクともしない。
既に根深く呪が食い込んでるらしい。
一柱の神の助力を乞うてから、全力で喉に力を入れる。
「ワウォーーーーン!」
肺の中の空気が涸れるまでの長い遠吠えの真似をする。
両手の力が緩んだ所で強引に手を離させた。
そのまま右手で箱を受け取ると男は気が枯れたのか、その場にへたり込む。
何とか呪物から隔離出来た。
大きく息をしてから箱に視線を落とす。
文箱、と言うよりも硯箱だろうか?
漆塗りで、昔は美しかったであろう、漆も所々剥がれ、木地からも棘が浮いている年代物だ。
良くない物を収め続けたからだろう、箱も大概嫌な感じだが、中身はその数倍は嫌な感じだ。
先ずこの厄介な代物をどう処置するか頭を働かせる。
記憶に触れる物が有った。
「ああ、Pさんの話に似てるか。って事は――」
蓋を開けると一枚の丸鏡が裸のまま収められている。
思わず眉がひん曲がる。
箱は少なく見積もっても数十年は経っているのに、鏡は不自然な位に綺麗だった。
「厄介だな」
そう独り言ちて道すがらの景色を思い出す。
座り込んだ男に声を掛ける。
「取り合えず、痛いだろうけど傷口を綺麗に洗った方が良い。後、こいつは預かるが良いか?」
どう考えても誰かに渡せる様な代物では無いので、引き取る旨伝えると男は何度も頷いた。
中々に怖い思いをしたのだろう。
コクコクと首肯するが動けずに居る。
取り敢えず、救急車を呼んだ。
まあ、欲しい訳では無いのだが、返しても誰も幸せに成らない類の物だ。
名前と電話番号だけしか印字されてない名刺を渡して落ち着いたら電話をする様に伝える。
そんな事を考えながら百円均一の店まで急いで戻った。
店内で必要な物を買い揃えて、さっさと処置をしてしまう。
箱の中の鏡を買って来た安物の鏡に被せて、もう一枚の鏡で挟み込む。
同じサイズの四角い鏡を合わせた所で、アルミホイルでぐるぐる巻きにする。
隙間無くワンロール使い切った所で、面の材料にしようと思っていた組み紐で縛り付けて血封を施した。
これでそう簡単に出て来れない。
「道端でやる作業じゃないんだがなぁ」
とは言え、こんな危ない物を持ち運ぶ訳にもいかない。
心が衰弱した人が触れたらややこしい事に成る事請け合いだ。
兎に角、今はこの危険物の処理が先だと自分に言い聞かせる。
潮風に従って歩みを進めると暫くして海に出た。
正確には港だ。
周囲を見回して誰も居ない事を確認して、件の鏡を海に沈めた。
「錆びて朽ち果てろ」
そう言い残して、少しだけ水面を眺めてから家路についた。
「Nやん、良く大丈夫だったね」
「素直に危なかったぞ? あの箱、周囲に悪影響を振り撒く種類のモノだったし。良く魔が差すって言うだろ? 殺したい程憎んでた訳じゃ無いのに刃物に手が延びたり、死を望む程追い詰められてる訳じゃ無いのに惹き込まれてしまう事とか。あの類いを伝播させてたから」
Nやんは警告する様に言葉を重ねた。
「お前の横を通って無いなんて限らないんだからな?」
そんな怖い事を態々言葉にするのは意地悪なのか厳しさなのか、判断に迷った。




