契約破棄
Nやんから聞いた話です。
「最近、何か変わった事は有った?」
「そうだな、なんだかバタバタしてたとは思うけど、言える話が少ないんだよな……」
随分と厄介な事が起きていたのだろう事が見て取れた。
「言える範囲のお話でも、口にしたらスッキリしたり――しないかな?」
基本的に話好きなNやんの事だ、喋っていたらストレス解消にも成るだろう、と思う。
「そうだな、じゃあ、管狐の話をしようか……」
「Nやん、前に管狐を“あの人を守れ”って命じて付けてるって言ってたよね?」
電話が鳴り、挨拶もそこそこに親友に振られた話に首を傾げつつ首を縦にする。
「それ、回収した方が良いかも。確か相手は霊感の類は無かったんだよね?」
「ああ、無かった筈だ。回収しないと拙いのか?」
「うん、ちょっと例えが難しいんだけど……」
親友の阿闍梨はどう説明した物か? と言う風に少し考えて言葉を続けた。
「管狐って基本的には所有者・契約者の望みを叶えるんだけど、その叶え方が問題でね? ちょっと頭が残念で、願いの善悪を判断は出来ないんだよ。ただ、願いを叶える事しか出来ない存在でさ」
親友の言葉に首を傾げて言わんとする事を汲み取る。
「それって、例えば宝くじを見せて“これを当ててくれ”って願うとドングリがポトンって当たる、とかそう言う?」
「まあ、可愛く例えるとそうなんだけど、もっと質悪くてさ。今付けてる相手が何かストレスを溜め込んで誰かへの怒りを口にしただけで、願い=呪詛として成立しかねないんだよね。特にNやんの手元に居ないから相手を契約者だと誤認してたら……」
その言葉に背筋が凍る。
年明けに昏倒する程の力を抜かれた事を思い出した。
「俺が昏倒する程の気を抜かれたのは話したと思うけど。俺がダメージを負う位には大事に対処したって事か。昏倒する直前に車が頭に浮かんだんだが、あれって……」
「多分、交通事故で相手が怪我をするのを無理矢理回避したんだと思うよ」
今までの話の流れで推測すると、管狐の願いの叶え方は物騒極まりないのが分かる。
下手をするとドライバー側が無事かどうかも定かでは無い、と言うのが怖い話だ。
そして最悪、大切な人が“呪詛を振りまく人間”と成りかねない。
そう考えると回収する以外に無い、と結論に達する。
人生、場面場面で危険が潜んでいる物だ。
しかし、自身が災厄の出処に成る事を、俺が強いるのも筋が違う。
暫く、熟考をして心を決める。
「分かった、回収する」
そう言って親友に断りを入れて電話を切った。
“声に比較的強く言霊を乗せられる”
それがここ暫くの間に体験し、指摘された俺の二つ目の特性らしい。
その声を使えば遠距離でも、契約が結ばれた式を呼び戻せるかも知れなかった。
下腹部に力を溜めてから、腹から声を上げる。
「帰ってこい」
その一言の数秒後には左腕に絡みつく毛皮の感触。
陽炎の様に揺らめく何かが目に映る。
これで“無自覚の台風の目”の可能性は無くなった。
ただし、自分自身管狐を持ち続けるのにも抵抗が有る。
危険性は知ってはいるから、下手な願い事をするつもりも無いし、ましてや誰かを呪う事など考えられない。
親友に再度電話をすると、無事回収が出来た旨を告げる。
「それは良かった。素人が憑けてて良いモノじゃないしね」
「そうだな……。割合聞き分けが良いヤツだし、特に悪い方に使った事も無かったから考えもしなかった」
そもそも管狐と縁を結んだのも偶然と言うか、自ら望んでの事でも無かったし、利用方法なんて考えもしなかったのが本音では有る。
卒倒、昏倒する程の事も珍しかったのも有ってか、危険性を深く考えてこなかった俺の手抜かりだろうと思う。
「それでNやんは管狐をどうする?」
「そうだな、元の住処の八王子に帰そうかな。願い事も特に無いし、ただ縛り付けておくのも可哀相だし」
親友にそう伝えてその日は終わった。
ちょうど翌日、自身の産土神様の所に挨拶に行こうと思っていたし、同じ地域なのでそのまま帰しに行く事にする。
産土神様の元を訪れて、その後に管狐と巡り合った森に到着する。
元々管狐は木の洞に住み、縁を結んだ人間の元に留まると聞く。
小一時間掛けて遠い記憶に成っていた出会いの場所に着いた。
「さて、●○長い間縛ってすまなかったな。お前の住処に帰れ」
そう声を掛けて左腕を洞に向けると毛皮のスルリとした感触を残して離れた。
離れたのを確認して、懐から取り出した竹筒を地面に置いて、カッターの刃を当てて転がっている石で叩いて割る。
これで俺と管狐の結びつきは切れた。
竹筒を通してじわじわと吸われている感覚が失せる。
一息吐いて、若干の感傷を胸にその森を離れた。
数日後、親友に招かれてお宅訪問をした折、怪訝な顔をされた。
「あれ? 管狐、帰したんじゃなかったのか?」
「ん? 帰したぞ?」
そう言うと親友は俺の左腕に視線を向ける。
はて? と首を傾げていると言葉が続いた。
「まだ居るぞ、そこに」
頭の周りに?マークが並んだのが自分でも分かる。
契約は切ったし、既に俺から何の力も流れていない。
何よりも俺にはもう管狐の気配は感じられなかった。
「懐かれて着いて来ちゃったか~」
そんな親友の言葉に困惑しか浮かばない。
「右近の声は特別だから、離れたくないんだろうさ。でも、管狐の制御は難しいから、どうにかした方が良いと思うぞ?」
繰り返される忠告に眉間に皺が寄る。
「契約も切れてるのに憑いて来る式の切り離し方は分からないんだが……、もう一度契約し直して筒に収めた方が良いか」
「そうだな。その後で誰かに渡すか、神様にお願いするか、が良いと思うぞ?」
もう長い間憑いていた管狐を、再度邪険にするのも心苦しい。
最初に触れた時に伝わって来たのは“寂しい”と言う感情だったのを思い出す。
これまでも特に筒に封じた事も無かったし、ましてや呪詛に使った事も無かった。
只々、側で懐いていたし、可愛がるだけの関係だった。
そう言う部分も居心地が良かったのかも知れない。
最も、今の状況で管狐が俺の小さな願いを汲み取るだけで危険だと言うのも解っている。
「管狐はなぁ、右近が“ああ、お金欲しい”って呟いただけで願いを叶えようと身内を殺すからな。長く抱えるもんじゃないさ」
そんな言葉に人間と式との難しさを感じた。
後日、管狐と再契約を行い、お神酒で洗い清めて新調した竹筒を住まいとさせた。
筒の中に大人しく収まった所で、水で伸ばした米糊に浸した和紙で口を塞ぎ、針で穴を開けた親指で血封を施して文字通り“管狐の住まう筒”を作った。
声に力を込めて軽い儀式風の段取りを行い、筒を譲渡した。
「筒の中にこいつの名前を書いた紙を入れてあるから。再契約する際には破いて古い名前を破棄してから再契約する様にしてある。封の効力はそれなりに長いと思うけど、今まで口を封じた事も無かったから長期間そのままだと暴れると思う」
そう言うと親友は“そんな長く閉じ込めておく事はしない”と言ってくれて少し安心した。
「それで? その後はどうなったの? その管狐は」
「さて、ちょっと管狐の話題を出してないから、今度聞いておくさ」
そう言ってNやんは少しだけ寂しそうに左手に視線を送った。
超常の存在と人間との関わり合いはやっぱり不思議だ。
式神とかそれに類する契約が必要な存在の扱いにくさを改めて感じさせられた。
基本善人のNやんには向かないのだとも、思った。




