侵蝕
とあるバーで、Nやんから聞いた話です。
小学校の帰り道、別居の祖父母の家に立ち寄ってから帰宅するのが日課だった。
ランドセルをカタカタ言わせながら下校をし、もう直ぐ祖父母の家が見えてくると言う距離まで来た所で背中に衝撃を感じた。
慌てて振り返るも特に何も無い、ただの住宅地が視界に映っているだけだった。
何だろう? と首を傾げていると背中に違和感を覚えた。
ナニかが背中から入ってくる感覚。
ズルズルと、ゆっくりと時間を掛けて潜り込んでくる。
正体不明の感覚、感触に涙を浮かべながら唸った。
その不気味さにどうする事も出来ずに身を強張らせて、足を引き摺る様にして祖父母の家に逃げ込んだ。
家の中に入ると、玄関の音を聞きつけた祖父母が現れる。
可愛い孫を見て嬉しそうに笑っているが、両肩を抱いて固まっている俺を見て異変を感じたらしい。
大きな掌で頭を撫でられ、ランドセルを下ろされて抱きしめられた。
ズルズルと入ってくる感触は止んだが、今度は体の中でナニかが蠢いているのを感じて言葉も出ない。
内臓を無遠慮にまさぐられる様な感覚と、味方の存在に感情が爆発したのか声を上げて泣いた。
「中に、中に居るの! なんか分からないけど居るの!」
説明出来ない不快感と嫌悪感を必死に訴えるが、祖父母には当然伝わらない。
両肩を掴まれて問いただされるが、分からない物は分からない。
ただただ狼狽して泣く事しか出来ないで居ると、祖父は急いで俺を連れて玄関を出た。
絶え間無く動き続けるナニか。
恐ろしくてどうにも出来ない。
元々大人しいとは言え、言いつけはきちんと守る孫の様子に尋常じゃない物を感じたのだろう。
祖父は後部座席に俺を座らせて急いで車を出した。
どの位、車は走っただろう?
身を丸めてナニかに耐えていると車が止まった。
「大丈夫だからな。今神様に助けてもらうからな」
祖父はそう言って俺を背負って神社の境内へと走った。
祖父の背にしがみついて震え続ける俺を本殿の前まで運び、その大きな背中から降ろされた。
俺の両手を取って祖父は手を合わさせる。
「良いか? 一生懸命祈れ。自分の名前と助けてくださいって祈るんだよ?」
そう言って祖父は隣に立ち一緒に成って、一心に祈り始める。
嫌悪感は薄まる事無く続いていた。
グネグネと肺と心臓と胃と腸を掻き回され続けた。
どうする事も出来ない絶望感の中、声を上げて泣き続けながら頭の中で“自分の名前“と“助けてください“を繰り返した。
唐突に背後から破裂音がした。
それから直ぐに、正面から何か温かい物が俺の全身を包んだ。
左側、背中側、そして右側とゆっくりと柔らかく包まれる。
そして温かい物が戻っていくと同時に、俺の中に居たナニかも一緒に抜けた。
体内の圧迫感が一気に失せ、動き回るナニかが居なくなったと感じた所で力が抜けた。
不思議と安堵感に包まれていた様な気がする。
話が一段落した所でNやんは大きく溜息を吐いてから続けた。
「後日、何度も頼んで祖父に話してくれる様に頼み込んで、その神社の神主さんから話を聞いたんだが、な? 悪霊の類に憑依と言うか、体内に入り込まれたんだと。嫌悪感で必死に抵抗してて憑依はされなかったのが幸いだったんだと。後温かいと感じたのは神様の手なんじゃないか? って曖昧に言われた」
「憑依ってもっとこう、スルッ、ストンって感じだと思ってたんだけど、そんな激しい物なんだ?」
不思議に思って聞き返してみる。
「どうなんだろうな? 俺もあの怖さから、入り込まれない様に気を張ってたら自然と自分を護れる様になってたから。憑依された経験が無いしな」
何となく、小学生の頃からこんな体験をしているとこんな大人に成るのだろうか? と感じた。
「まあ、余程入り込まれるのが嫌だったんだろうな。後年、霊感の有る人には“君の護りは攻性が随分と強いね”って言われた事が有るな」
なんだろう? 言葉のニュアンスだと触れたら火傷するバリヤーみたいな物を会得した様に聞こえる。
「普通って言うかは分らんが、霊能者、霊感持ちは大半が入り込ませない膜なんだとさ。まあ、自分でも視認出来ないから分らんけどな?」
そう言ってNやんはブランデーの入ったグラスを傾けた。
怪談と言うには得体の知れない恐怖に晒される感覚が強い話だった。
Nやんが良く「オカルトはスリルに留めなきゃ駄目だ、リスクにしてはいけない」と言う言葉の意味が何となく分かった気がした。




