熱
Nやんから聞いた話です。
「Nやん、最近どう? 面白い事は有った?」
桜の花びらが風に煽られて流れる季節。
常連のオープンテラスのカフェで年上の友人に問うた。
「ああ、今年一年は後厄だからかな? 特に女難が続いてるな」
Nやんは大きく溜息を漏らし、苦々しく珈琲を啜る。
「後厄だと女難なの? って関係有るの? それ」
「さあ? ただ、遊女の霊がウロウロしてるし、気が休まらないってのは本音だぞ?」
確かに、友人の多い割に他者との距離感を広めに取りたがるNやんなら、落ち着かないと言うのも有るかも知れない。
そう思って頷こうとするとNやんが語り出した。
二日連続で睡眠時間を削った激務により頭痛と吐き気を伴う疲労感に苛まれていた。
帰宅後、崩れる様にしてベッドに倒れ込んだ。
横たわると一気に体温が上がり、眩暈がして平衡感覚がおかしくなる。
深呼吸をして、身に力を入れて自分の意識を肉体にきちんと留めるルーティンを行った直後に意識を手放した。
どの位寝ていたのか。
異臭で目を覚まして首を巡らした。
直ぐに異変に気が付いた。
壁から人間の頭が生えている。
鼻の下辺りまで壁を通り抜けるかの様な状態で、俺を見下ろしていた。
やせ型と言うよりもやつれていると言った方が正しい風貌。
雨か油か、髪が顔に張り付いた不気味な顔。
感情の読めない目でこちらを見ている。
思わず拳を作って力を籠めようとするが、思う様に力が入らない。
息吹を繰り返してゆっくり、ゆっくりと力を溜めるが時間が掛かりそうだった。
壁から生えた男を睨みつけているとベッド脇に別な気配が生じた。
ちらりと右側を見ると着物を着た女性が立っていた。
今度はこっちか、と呆れと怒りが胸の中に沸いた。
女性は俺の頭上に覆い被さる様に上体を曲げると両の手を伸ばして、壁から生えた頭に手を当てる。
熱で朦朧とし混乱する頭で眺めていると、女性はグイグイとその頭を壁の外に追いやろうとしているのが分かる。
ジワジワと鼻が、目が、額が、そして頭頂部が壁の外に追いやられて行く様は不出来なコントの様だった。
害意を感じさせる霊は排除された事で緊張も解けて、俺は再び眠りについた。
額に触れる感触で眼を開けた。
目の前には先ほどの着物を着た女性が額に触れているらしかった。
寝ている時には感触が有った気がするのだが、今は特に感触も無い。
手で触れると汗で額が濡れているのが分かる。
寝汗で張り付いた前髪を除けてくれたのだと理解する。
理解するが、正直煩わしい。
生来、パーソナルスペースが広めで余程気を許した人以外に触れられるのは苦手だ。
髪すら自分で切る位に避けている。
「ごめんけど、触れられるのは苦手だ……」
そう呟いてから気合を入れて体を起こし、机の上に灰皿を置いて線香に火を灯す。
助けてもらった借りと、邪険にした後ろめたさから線香を立てる器をまじめに考えようと、鈍った頭で考えた。
確か、線香は仏さんのごはんとかおやつとか、そんな感覚の代物だと聞いた事を思い出す。
花柄の茶碗か何か、少し女性へのプレゼント的な物を探そうか、そんな事が頭をよぎる。
自身の女難の大半はこんな性格が招いている気がして眉間に皺が寄る。
「って事が有ってな? 一昨日」
最近の事だとは言っていたが、一昨日か。
途中までは怖いと言うか不気味な話だったのに、最終的にはNやんが押し掛け女房を邪険に出来ないって話だった。
らしいと言えばらしい話だ。
この人の女難は多分一生続くんじゃないかな?
そんな気がして呆れが八割の溜息を吐いた。




