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レンズ越しには見えない

 Nやんから聞いた話です。


 週末、町場のバーで待ち合わせをすると、程無くしてNやんが現れる。

 待ち合わせの時間には比較的正確な辺り、何となく性格が表れていると思う。

 穏やかなジャズが流れる店内のカウンターに腰掛けた。


「いやはや、やっぱり妖怪って奴は怖いな」

 よほど話したかったのか、Nやんはアルコールを注文し終えると直ぐに口を開いた。

「妖怪って、あの妖怪?」

 霊感とか霊能の話は比較的良く聞くけれど、Nやんの口から“妖怪”と言う単語が出る事がまず珍しい。

 蘊蓄うんちくの類なら時折有ったけれど。

 そんな意外な単語に首をかしげて訊ねるとNやんは一つ頷いてから語り始めた。


 東北自動車道、東京方面のサービスエリア。

 春の陽気が待ち遠しい、少し寒いが冬のそれでは無い空気。

 喫煙所で煙草を吸いながら眼前の山々を眺めやる。

 新緑が山に広がり、懐かしい日本の原風景を思わせる景観に気持ちが緩む。

 ベンチに腰掛けて端末に目を落としていると、視界の隅に何かが入って来たのが分かった。

 眼鏡のレンズの外、ぼやけた視界の中に白く長い物が見えた気がした。

 顔を上げて視界の真ん中に収めようとするが、白い物は特に見当たらなかった。

 首を傾げ、気のせいかと思って端末に顔を向けるとやはりレンズ上部の外に何かが見える。

 再度顔を上げてもやはり特に変わった物は見当たらない。

 眼鏡にゴミでも着いたか? と思い外して視線を泳がせると正面、山と自分の間に白いモノが見えた。

 視線をそのままに眼鏡を掛けると白いモノは視界から消えた。

 眉を歪ませて眼鏡を外すとやはり白いモノは視界に入ってくる。

 その“白いモノ”は一メートル程の長さの帯状の物で、風に流されているのか上下にフヨフヨと漂う様に向かって左方向へとゆっくりと進んでいる。

 ビニール袋が風に煽られているのか? とも思ったが、眼鏡のレンズ越しには見えないと言う現象は説明出来る物でも無い。

「あれは何だ?」

 思わず呟いた所で、その白いモノの先端がクイッとこちらを向いた。

 全身に怖気が走る。

 異常事態が発生したと思った。

 レンズ越しには見えない白いモノが見え、そしてその先端が明らかに自分の方を向いた。

 全身に鳥肌が立ち、嫌な汗が滲む。

 怪異がこちらを見ている、そんな経験は幾度も有る。

 幽霊が、悪霊がこちらを見つめている、そんな経験は多い。

 極めて例外的なケースでは“こっちを向いたら俺は死ぬ”そんな黒鬼を遠目に視た事も有る。

 参拝中、ぼんやりとこちらを視界に収めている神様の視線を感じた事も有る。

 だが、これは違う。

 これは猩々(しょうじょう)にロックオンされた時と同質のそれだ。

 至近距離で虎や羆と目が合うのと似ている。

 違うのは、俺とソレの間に檻が無い事。

 残念ながら護法の道具を持ち合わせていない。

 愛用のダーツが一本有るだけだ。

 緊迫感で心臓が痛い。

 胃が締め付けられる様だ。

 全身からぬるぬるとした脂汗が出ているのを感じる。

 動けない。

 胸ポケットのダーツに手を伸ばした瞬間に襲い掛かられる気がする。

 身を強張らせて、指先一つ動かせない。

 長い時間だった様な、短い時間だった様な。

 暫くして、関心が薄れたのか白いモノは再び先端を動かして、さっきまで向かっていた方向へと流れて行った。


 ぼやけた視界の真ん中の、はっきりと視認出来るモノ。

 大きく溜息が漏れる。

「助かった……んだよな?」

 首を動かして行く末を見つめて、見えなくなった所で絞り出す様な声が出せた。

 寿命が縮んだ気がする。

 正体は分からない。

 ただ、先ほど視たモノと良く似た話は知っている。

 一反木綿いったんもめんと言う妖怪。

 九州で語り継がれる妖怪で、白い帯状の怪異。

 首もしくは顔に巻き付き人間をくびり殺すとされるモノ。

 指に挟んだまま消えた煙草を吸い殻入れに押し込んで、新しい煙草に火を点ける。

 肺に煙を入れて、吐き出してようやく人心地が付いた気がする。

「ってか、九州の妖怪がなんで東北に居るんだよ……。ってか妖怪って怖過ぎるだろ……」

 思い出して身震いをしつつ、偽らざる本音が零れた。


「って事が先週有ってな?」

「いや、怖過ぎるから!」

 思わずノリツッコミをしてしまった。

 なんでこの人はこんな変な目に頻繁に遭うのだろう?

 日頃の行い、だろうと思う。

 普通、心霊スポットで怖い思いをする人は居ても、日常的におかしなモノに遭遇する方が変なのだ。

「Nやん、少しは悔い改めた方が良いと思うよ?」

「いや、今回は俺悪くないと思うんだが?」

 私の言葉に心外だ、と言う顔をするがそんな事は無い筈だ。

「絶対、自業自得だと思うよ?」

 そう言うと不服そうにNやんは手の中のグラスを傾けた。


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