結界
Nやんから聞いた話だ。
「Nやんって自分の事いつも三流四流って言うけど、上を目指した事は無かったの?」
余り気持ちの良い事では無いけれど、一度切り込んでみようと思ってこの話題を口にした。
彼はグラスの中身を一口含んで、かなり間を置いてから口を開いた。
「俺は最初から、それこそ幼少の頃から霊能者とか霊媒師に成りたいと思った事は無いな。ただ、悪質な輩から身を守る事しか頭に無かったな。修行したのも、独学で身に着けた結界も結局は守る事を主眼に置いていた訳だしな」
結界?
今まで出てこなかったワードだ。
どうやらNやんの引き出しはまだ有るらしい。
氷を鳴らしながらグラスを傾けて、続く言葉を待った。
霊媒体質の友人からのSOSにその都度応じていた。
そして時折、自身の未熟さと護りの薄さで霊障に苦しんだ事も時折有る。
このまま、振り回される生活に飽き飽きしていた、と言うのが本音だ。
霊媒師や霊能者として生きるつもりは毛頭なかった。
だから誰かに師事する事も考えてはいなかった。
なによりも、本物を見つけるのが困難だったのも有る。
出会いとは日々のすれ違いの中に埋もれている物だと言う。
ならば、出会わないのは出会うべき時では無いのかも知れない。
一度は自分で頑張ってみる、そんな時期なのかも知れないと思い研究を始めた。
身を護る術、様々な伝承を漁り、俺自身が必要としている事をまず知る必要が有る。
漠然としたまま走っても意味が無いのだから。
数週間、何の手応えも無い時間が過ぎた。
目を通した資料を頭の中で整理する。
その上で何が必要なのかを考える。
身を護る事。
悪意有る霊に入り込まれない様にする事。
身の内に入り込まれたら障りが出る。
入り込ませない壁が必要だ。
求めるは防壁の類。
しかし、一方を防ぐだけでは足りない。
可能なら全方位から侵入を防ぐ物が欲しい。
イメージするのは防御膜、か。
残念ながらそれらしい資料も無く、完全に手探りの状態だ。
考える。
考える。
人は嫉妬や怒りの念で鬼にも成る。
物に意志が宿り付喪神に成る。
ネックに成るのは想念、だと感じる。
ならば総ての始まりはイメージだ。
自己の認識をイメージに繋げる。
ベッドに腰掛けて精神を集中する。
修行時代に教わった呼吸法で身の内に力を満たしていく。
血液とは違うルートで全身を走るソレが皮膚の辺りまで満ちたと感じた所で次の段階に進む。
多分、ここまでは珍しいモノでは無いと思う。
霊能者と呼ばれる人なら恐らく全員出来る、もしくは無自覚に行っているはずだ。
ただ、四流の俺が同じ事をやってもそこまで効果は見込めない。
――だから、俺はその先に踏み込む。
満ちたソレを両の掌に集めて、柏手を打つ。
パンッ! と強い音が部屋に響いた瞬間、予想より強い力が掌に生じた。
フワフワとしたゼリーかシリコンの様な感触とは違った固さ。
冷たくて固い、ガラスを掌で叩いた様な感覚。
切っ掛けを掴んだ気がした。
全身に強烈な倦怠感を感じて力を抜く。
ベッドに身を預けて、額に浮かぶ汗を拭いながら考える。
先ほどの、硬質なソレを身の回りに創れば、悪意の干渉を阻める予感がする。
切っ掛けを掴んでから半年余り。
ようやく形に成った。
運用が可能な所まで漕ぎ付けたと思う。
悪意や邪気に対しては硬く、それ以外には薄いゴム風船よりも柔らかい領域。
これは何と定義すれば良いのだろう?
「ああ、これが結界、か……」
言葉にした瞬間に腑に落ちたのか、スッと身の内に落ち着いた。
「へ~、それが、Nやんが初めて結界を作ったお話なんだぁ」
「まあ、実際には結界みたいなナニか、なんだろうがな。お陰様で、この結界を突破された事って一回しか無いな」
「有るんだったら駄目じゃん!」
「いや、神様には流石に、な」
そう苦笑を浮かべるNやんは少しだけ諦めの色が浮かんでいた。
確かに、神様まで拒絶出来る結界をポンポン作れたらそれはそれで怖いけど。
しかし、聞いてると怪談と言うより歴史上の異能者に近い人物なんだと改めて思った。
珈琲が苦いと感じるのは珈琲が冷めたからか、Nやんの異質さを知ったからか。
どちらだろう?




