遊女霊
Nやんから聞いた話です。
「ねえねえ、Nやん。Nやんって基本的にグロテスクな幽霊ばかり見るよね? 何か理由でも有るの?」
怖い話を強請っているのだから当然と言えば当然だけれど、Nやんのお話はどうにも気味の悪い幽霊が多い気がする。
「そりゃ、害の無い幽霊が視界に入らない様にしてるから、な。元々眼も強くないのに、もっと見える様にしてたら脳味噌がイカれる」
「脳が?」
Nやん曰く、本来生まれつき備わった能力以上の事をし続けると何処かに無理が掛かる、と言う事らしい。
「グロテスクな霊か……」
趣味のレザークラフトの材料を買いに、皮の問屋町に来ていた。
買い物を終え、歩きながら不思議な所だと思う。
上野と日暮里の間の駅なのに、人気が少なく感じる。
歴史的な経緯から考えれば妥当と言えば妥当なのかもしれないが。
皮鞣しをするしか生きる道の無かった部落と色町の跡地。
住人が入れ替わっても、土地柄はあまり変わらないのが人の世、か。
考え事をしていたからか、道に迷ってしまったらしい。
周囲を見回してもいまいち駅の方向が掴めない。
取り合えず、歩き回って大通りを探す事にする。
案内標識を見れば駅も分るだろうと判断して。
十分か二十分、暫く歩いていると異臭を感じた。
硫黄、メタン、アンモニア。
オカルト的な物が付近に居る時の臭い。
眉をひそめて路地の角を曲がると大通りに出た。
そして出た瞬間に眼前に居た。
ほつれ、崩れた日本髪。
両目から真っすぐに零れる涙。
不自然に低い鼻。
歯茎が見えるほど痩せた唇。
黒く染まった歯。
痩せて、こけた頬。
くすんで柄も判別出来ない着物。
思わず腰が引ける。
詳しくは無いし、何となくでしか無いが梅毒で死んだ遊女か何かだろう、と思った。
もしかしたら夜鷹と呼ばれる最下級の売春婦かも知れない。
数秒視界に映っていたが、直ぐに姿が消える。
消えたのだが、存在感と言うか気配はその場に有るのも感じる。
伝わってくる念は悲しみや絶望感。
恨みや憎しみは伝わってこない。
害の無い幽霊だと思う。
無視しても誰も困らない類だ。
そして、誰にも害を成さない霊に辛く当たる趣味も無い。
一度深呼吸をして口を開く。
「あんたはどうしたい? 今度こそ幸せな人生を望むなら輪廻の輪に戻れば良いし、静かに眠るなら黄泉に行けば良い。手を貸してやる」
不審者に見られたくないので、携帯を耳に当てながらそこに居るはずの霊に話しかけた。
正直に言えば、この状態の霊に悟りへの道を説くお経は逆に酷な気もする。
誰が望んで遊女に成るだろう?
そして打ち捨てられる様に死んだ者に「こだわりなんて意味がない。執着を捨てて悟りを目指せ」なんて俺には言えない。
最後位は、死んだ後にもこんな思いをし続けたのだ。
こんな時位はあまり惨い事はしたくないとも感じる。
もう目には見えないが、何となく霊が上を見た気がした。
霊に、その場で待ってろと告げる。
そう言って左右を見るとコンビニが目に付いたので線香を買って戻る。
「あんたの宗派が分からないから当たり障りなく、だ。勘弁しろ?」
線香の束から一本だけ抜き出して、一緒に買った蝋燭に火を灯して、そこから線香に火を付ける。
直ぐ近くの街路樹の根本の土に指して立てる。
ガードレールに腰掛けながら、目を閉じる。
真昼間に、歩道で線香を焚く。
盛大に不審人物だと自分でも思うが、最後位は良いだろう。
ため息交じりに開き直って線香が燃え尽きるまで、付き合う事にする。
「俺に出来るのはここまでだ。真っすぐ迷わずに逝け」
そう呟いてから誰の耳にも届かない音量でお経を唱えた。
道路を行きかう車が起こす風の中、線香の煙は左右に触れながらも途切れる事無く上り続けた。
「なんか、珍しく霊に優しいじゃん」
切な気な、やるせない様な顔をするNやんをからかう言い回しで混ぜっ返した。
「別に。俺だって幽霊死すべし! 例外は無い! なんて事はしてないぞ?」
不服そうに煙草に火を付けるNやんの優しさを私は笑った。
この話を文章お越し終えて、ベランダで煙草に火を付けて気が付いた。
至近距離に女郎蜘蛛が巣を作ってる最中だった、この時期に。




