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鏡の中で

 Nやんから聞いた話です。


「Nやん、また怖い話聞かせてよ」

 二、三か月ぶりに顔を合わせたオカルト友達のNやん。

 仕事帰りに居酒屋で待ち合わせて、食事を終えて呑みに移行した所で強請ねだってみた。

「毎度の事ながら、なんでお前さんは俺と顔を合わせる度に」

 そう苦笑してから、少し考えて彼は口を開いた。



「なあ、Nやん、ちょっと相談良いか?」

「ん? 別に構わんが、久しぶりの挨拶もすっ飛ばすほどか?」

 三年か四年程、連絡が途絶えていた旧友からの急な電話に面食らった。

 そう言うと“ああ、悪い”と言ってそのまま本題を切り出した。

「俺の弟がノイローゼに成ってな。ぶつぶつ同じ事を繰り返すんだ。その内容がお前に相談した方が良い、そう思う内容だったんだ」

 口調とは裏腹に、相当焦ってるらしい事が、話の持って行き方からも分る。

「それで?」

 ため息交じりに先を促すと旧友は安堵して話を続けた。

「先月から、弟が仕事も行かずにベッドで蹲ったままずっと何かぶつぶつ言っている、って妹嫁から連絡が有ったんだ。嫁さんが無理やり病院に連れて行ったんだが、鬱とパニック障害って診断されて。でも前日まで普通だったし、心当たりがないって」

「まあ、最初に病院に行ったのは正解だと思うぞ? 何でもかんでも心霊現象だ! 怪奇現象だ! 呪いだ! とか言い出すよりまともだな」

「ただ、弟の独り言が脈絡無くて、ストレスの原因を取り除かないと改善もしないし。で、よくよく聞いてみたんだけど、ずっと「鏡が、鏡が。見てる見てる見てる……って」

 弟の追い詰められ方が衝撃だったのか、旧友も相当に焦っているのが分かる。

 こんなオカルトマニア? に相談する位だ。

「ふむ、困ったな。キーワードは鏡と見られているって事だけか。その二つが直接繋がっているかは分からないが、参ってるのは分かる」

 確かに、鬱病に成って他人の視線が気になるのは分かるが、鏡が怖いと成る状況が想像出来ない。

「兎に角、一度見てやってくれないか?」

「構わないが、必ず解決出来るとは断言出来ないぞ? 心療内科の領分なら下手な事しない方が良いんだし……」

 本人からの相談でも無い限り、あまり積極的に首を突っ込むのもはばかられる所だ。

「頼む、一度で良いから見てやってくれ」

「分かった。で? いつ行けば良いんだ?」

「あ~、もしNやんが迷惑じゃなければ出来るだけ早く頼みたい」

「明日、仕事が終わってからで良いか?」

「……ああ、明日だな、悪い」

「はぁ~、分かった。今からで良いよ」

 歯切れの悪さから一日置くのも。と言った間を察して折れる。

「悪い! 今から迎えに行くから頼む!」

「はいはい、着いたら電話くれ」

 そう言うと急いで小道具の準備をして、シャワーを浴びる。

 正確には水での禊(禊)・水垢離みずごりだが。


「あ~! 寒い!」

 十二月の水シャワーは慣れた人間でもキツイ。

 ましてや僧侶・神職でも無い自分には身を削る思いだ。

「まあ、確かにスイッチは入るんだけどさ……」

 水道水のあまりの冷たさに普通に風呂に入りたくなったのは俺の弱さではないと思いたい。

 ただ、間違いなく臨戦態勢と言うのか、気構えが出来たとは思う。

 若干、怨霊に憑りつかれていた場合の対処は過剰に成るのは、自業自得と言うか、それこそ因果応報だろう。

 電話を切ってから一時間ほどで旧友から再び電話が掛かってきた。

 家を出て車に飛び乗ると寄り道せずに旧友の実家に連れていかれる。

「悪いな、無理を言って」

「仕方が無いだろう?」

 友人に八つ当たりしても仕方がない、と思い言葉短ことばみじかに返答をする。

 正直に言えば“厄介事を持ち込みやがって!”と思わないでも無いが。

 沸々と沸く怒りを抑え込んで口を閉ざして車に揺られる。


 車内に沈黙が広がったまま、窓の外の夜闇を眺めていると友人の自宅に到着した。

 閑静な住宅地の一軒家。

 地価を考えるとそれなりの値段だろうな、と考えていると家の中に招かれる。

 リビングに通されるとそこには疲れ切った中年の夫婦がソファーに腰掛けて、こちらを胡散臭げに、でも何かを期待する様な顔を向けてくる。

「久しぶりだね、君が家に来るのは何年ぶりだったか……」

「お久しぶりです。十年近い気がします」

 昔はお互いの家を行き来していたが、もう随分と相手の家には行かなくなっていた。

 リビングの隣から猛烈に不快な臭いが漂ってくるのを感じた。

 硫黄、メタン、アンモニアが混じった悪臭。

「座って待っててくれ、今弟を連れてくる」

 友人は俺にソファーを促して隣の部屋に入っていく。

 視線を向けると広めの和室に成っており、仏壇は見当たらなかったが仏間なのだろうと思う。

 何となく、建築する前の地鎮祭以外何もしていない、一般的な家と言った感じだろうか?

 そして、開け放たれた仏間からは臭いが強くなった。

 内心で“面倒にも程がある”と感じる。

 準備を始めた方が良い、そう感じて深く息をする。

 鼻で吸って口で吐く。

 肺の中身を絞り出すようにして下っ腹、丹田に少しずつ力を集めていく。

 拳大に不可視無形の力が溜まった所でソレを回転させる。

 溜めながら廻す。

 気、霊力、法力、色々な言い方が有るだろうソレを集め、溜め、広げていく。

 体を臨戦態勢に持って行こうとしていると友人が弟を伴ってリビングに現れた。

 一目で生気を奪われているのが分かる。

 そして肩口にナニかが居た。

 瞼を開いて見つめると頭の中にスライドショーの様に映像が連続で浮かぶ。

 自動車。

 空。

 アスファルト。

 人だかり。

 カーブミラー。

 そう言う事か、と納得する。

 取り合えず、根本原因は理解したが状況確認も必要だ。

 促されるままにソファーに腰掛けると正面に友人とその弟が座る。

「信じていただけるかは分かりませんが、交通事故で命を落とした霊に憑りつかれている様に私には見えますが、どうでしょうか?」

 親しくは無いが何度か顔を合わせた事が有る相手の為、ズバリと切り出した。

 弟は青褪めた顔を上げてか細い声を上げる。

「えっと……交通事故かは分かりません。血だらけの……女が鏡越しに俺……を見てるんです。鏡だけじゃなくて……ガラスとかTVと……かの反射の中にも……。ずっと見てくるんです」

 相当に参っているらしく、何度も吐きそうになりながらつっかえつっかえ訴える。

「夢の中、寝ている時はどうですか? 恐らくだけれどあなたを見つめているはずですが」

 根拠としては極めて薄い。

 が、最後に見たのがカーブミラーだった事。

 鏡、鏡面から犯人を捜しているのだろう事は連想ゲームにも成らない。

「はい、逃げた先々で丸い鏡から……」

「見つめている、ですね?」

 最後の確認として、推測を口にする。

 本来的にはこちらから誘導するのではなく、相手(相談者)に言わせなければならないのだが、仕事では無いしセオリーは無視してしまう。

 ここまで口にすると弟は声を上げて泣き出した。

 自身の恐怖を共有してくれる存在に、感情が決壊したらしい。

 まあ、まだ何も解決していないのだが、錯覚でも気持ちが救われたのなら良い傾向と言える。

 無気力、無感情だと全部俺の力で対処する羽目になるから。

 不可能だとは思わないが、相当に骨が折れると言うか、俺自身が潰れかねない。

「最後に一つ、何か心当たりは?」

 弟が真犯人だとは思わないが、何故憑りつかれたのか? が引っかかる。

 俺の問いに暫く泣き、落ち着いてから弟は口を開いた。

「全く無いです。でも、仕事の外回りの時に“お前か”って声が……。それからだったと思います」

 うん、盛大な勘違いと言うか、とばっちりだった。

「車で、ですか?」

「いや、免許無いんで……」

 全力で理不尽案件である。

 大きく溜息を吐いた。

「取り合えず、特に因縁いんねんが有る訳でも無いでしょうから、祓いましょうか」

 内ポケットからダーツを取り出して胸ポケットに差し直して、立ち上がる。


 さて、どうした物か?

 交通事故で命を落とした霊。

 犯人捜しをしているが、全然関係ない人間に憑りついている。

 この時点で悪霊の類と判断して良いだろう。

 自分の中で結論を出して対峙する事にする。

 丹田を中心に回転させた気が四肢にまで広がったのを確認して、両の手を合わせる。

 右手を少しだけ下げてから打ち合わせる。

 パンッ!

 柏手でその場を自身の領域に変え、左手を伸ばして弟の肩口の霊の頭を掴む。

 空を掴むより少しだけの抵抗感が手の中に伝わってくる。

 そのまま腕を振って引き剥がす。

「恨み辛みも有るだろう。だが、お前は道理を踏み外した。だから、お前はここでちろ」

 囁く様に小さく、でも強く断ずる。

 内ポケットから手鏡を取り出して、引き剥がした霊を押し付ける。

 鏡自体は安物だが、枠は桃の木材を削りだしたお手製。

 道具としてはそこまで強くは無いが、三流四流の俺でも制御出来る程度には力の有るモノ。

 悪霊を鏡に押し込み、その上から風呂敷を被せる。

 鏡面側と枠側それぞれに結び目を作り結界を創る。

 胸ポケットからダーツを取り出し、結び目の上から思い切り突き立てた。

 鏡と背板を貫通し砕けるのが音と感触で判る。

 砕けた所で強烈な悪臭が霧散していく。

 憑依も比較的楽に剝せたし、退治もほぼ抵抗される事なく終わって安堵した。

 若干、簡単過ぎるのが気にはなったが、それも警戒し過ぎて神経過敏になっているのかも知れない。

 友人一家がこれ以上の悲劇に見舞われる事なく終息した事を喜ぼうと、改めて思い直す。


「う~ん、結局弟さんはなんで憑りつかれたの?」

「不明だな。多分似ていたか、似ていたと感じたから祟ったって感じだったな」

「はた迷惑~」

 あまりにあまりなNやんの返答に思わず顔を顰める。

「だから俺は、悪霊は殺すべしって成るのさ」

 厳しいを通り越して苛烈とも言えるリアクションに困惑を混ぜた苦笑をした。


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