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距離

 Nやんから聞いた話です。


「Nやん。Nやんはこう……近づいたら駄目な場所、とかそう言うのは分かるの? 分かるとしたらどの位の距離で分かるの?」

「ん~、俺は才能も能力も盛大に劣るからなぁ。大した距離では無いな」

 自嘲気味に笑うNやんは一つ、体験談を語り始めた。

「十年以上も昔、良く話に出てくるAがまだ仏門に入る前の話だ」

 Nやんの声に耳を傾けながら視線を落とすと、グラスの炭酸飲料の泡が上っては消えていく。


 歴史マニア。

 特に幕末、新選組が大好きな友人が試衛館しえいかんに行ってみたいと言い出した。

「脈絡が無いな、相変わらず」

「脈絡がないのは右近の方だと思うけど?」

 苦笑すると手痛いツッコミが返ってきた。

 基本的に自由人な質だと自覚しているから返す言葉も無い。

「日野か、まあ苦に成る距離でも無いがさ……」

 友人の頼みを断る程面倒でも無い為に承諾してハンドルを切った。


 小平の大きな霊園を越えて、国立の病院を過ぎた辺りで微かな違和感を覚えた。

 後頭部と言うのか、首筋と言うのか、その辺りが妙に冷える感覚。

 あまり好ましくないが、助手席のAの強い霊媒体質も有ってままある事ではある。

 まだ修行をして土台を作っている時期だった事も有って余計に敏感なのかも知れない。

 特に心霊スポットに行く訳でも無いし、ただの夜のドライブだ。

 こんな事でオタオタしていたら日常生活もままならないだろう。

 危険だと感じたら止めれば良い、そう判断してそのまま車を走らせる。

「窪、か……」

 視界に入った道路標識から地名を呟く。

 特に意識した訳でも無いのに、ポロリとでた言葉に自分で驚いた。

「そうそう、知ってる? 窪って付く地名ってね? 無理心中とか入水自殺が続いた沼を指してるんだよ?」

 唐突にAが俺の言葉に被せてくる。

「そう言うの、止めようぜ? あまり――お前誰だ?」

「……あれ?」

 助手席から伝わる気配が友人の物では無かった。

 濡れた犬の臭いと言うのか、不快な方向の獣臭いと言うか。

 直ぐに意識を取り戻して、車内の臭いも消えたけれど。

「お前またか……」

「ごめん、また入られた……」

「入られたと言うか、まだ出て行ってないけどな」

 溜息を吐いて車をコンビニの駐車場に押し込んで停める。

 車を降りてAの除霊を開始する。

「烏枢沙摩明王の威を借りん、オン シュリ マリ ママリ マリシュシュリ ソワカ」

 背後に回って両肩を叩き、首と背中の間辺りをポンと叩き拳を握る。

 叩いた拍子に浮いた霊体を掴んで固定する。

「よし、前に一歩。自分の意志で出てくれ」

 Aが前に出ると同時に拳を引き、憑りついた霊体を引っこ抜く。

 この瞬間の感触は今でも慣れない。

 ぬるぬるとした、なんと言うのか巨大なナマコを引き出す様な感触が右手に伝わってくる。

 ジッポライターの火を迦楼羅炎に見立てて、右手の中の穢れを焼き清める。

 そのまま煙草に火を点けて一服していると、スッキリしたのか、憑き物の取れた様な顔をしたAが眉をひそめている。

「煙草臭い」

「目の前で吸ってるからな。ほら除霊代の珈琲でも買ってこい」

 指先で追い散らす様に促すと不服そうにAは店内に向かう。


「しかし、ここどこだ?」

 と言うのも、Aが憑依された途端、現在地がイマイチ分からなくなっていた。

 コンビニまでの十数分間、本来ならその半分で付くはずの距離だった。

 それが倍も掛かった理由が分からない。

 頭の中の地図、そして走り慣れた感覚と今の状況に乖離が有る。

「まあ、ループしないだけまし、かねぇ……」

 煙草をもみ消してから心を落ち着けて意識の中で周囲を探る。

 頭の中でストリートビューを作る様な感覚で目的地へのルートを辿っていくと違和感のある場所で引っかかる。

「ここを避ければ良い訳か」

 何の変哲もない交差点だが、何か避けるべき物もしくは者が在るのだろう。

「ブラックで良いんだよね?」

「ああ、サンキュ」

 受け取った温かい珈琲を含みながらその違和感の話をAにする。

「どうも、俺かお前さんか、どっちかが避けるべきものがこの先に居るか有るらしい。日野には別ルートで行くぞ」

 そう言って車に乗り込んで、俺達は歴史の一端に触れに行った。

 愛車のリアウィンドウにへばりついた掌を引き連れて。



「ちょっと待って? 最後! 最後の部分は?」

 Nやんは切りの悪い所で話を切り上げてしまった。

 最後の一言の掌に背筋を強張らせながら声を上げた。

「まあ、その話はまた後で、な?」

 そう言って頑としてNやんは話を終えてしまった。


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