迷走
Nやんから聞いた話です。
「Nやん、幽霊とかの話も良いんだけど、たまには違う話が聞きたいな」
「違うって言われてもな。なんだ、神様の話か? 妖怪の話か? 化け物の話か?」
「あ~、そうじゃなくて、怖い場所とか、そう言う話も聞いてみたいな、ってさ」
そう言うとNやんは顎髭を撫でながら考えて口を開いた。
「俺が温泉が好きなのは知ってると思うんだが、そんな温泉地のついでに遭遇した困った話をするか」
そう言ってウィスキーで唇を濡らしてからNやんは話し始めた。
弟分と一緒に日帰りで温泉に来た。
その温泉地は東京から高速で二時間ほどの場所にある、山と谷と渓流の中にある静かな温泉地。
街灯も街の明かりも無い、星の数が何倍も見える、そんな田舎。
「なあ、K。お前直ぐ温泉入りたいか? ちょっと俺満腹で直ぐに入ると気持ち悪くなりそうなんだが……」
「そうだね、ちょっと休憩してからが俺も良いな~」
「じゃ、腹が落ち着くまでどこかで時間潰すか……、そう言えばここってあれが近いよな……」
「ん? Nやん、あれって?」
「ああ、殺生石が近所にある筈だなってな」
「殺生石ってなんだっけ?」
「まあ、ざっくり言うと京都の御所を追われた九尾の狐が討伐されてその死骸と言うか遺体が毒霧を放つ石に成ったって伝説の石だな。実際は硫黄噴き出す温泉地って話なんだろうがな」
そうKに説明しながら携帯で殺生石の所在地を調べてカーナビに入力する。
「ん? 行くの?」
「まあ、遠目に見るだけでも面白いかな? と思ってな」
そう言って二人は車を走らせる。
道中、目当ての温泉の近辺の天狗の噂やK自身の体験談を聞きながら車で移動をする。
木々に囲まれる山の自動車道を走らせて目的地まで二十分程走った所で違和感を覚える。
「なあK、ここさっき通らなかったか?」
「うん、なんか見た看板だと俺も思う……」
目的地付近だとカーナビが言うがそれらしい場所には行きつかず、それどころか自動車道のただ中で案内が終わる。
観光名所で有る筈の殺生石の案内図の類も無いし、何よりも自動車道のど真ん中にある筈も無い。
「見落としたかな……、もう一度検索するか」
そう言って一度車を寄せてカーナビを操作して再度出発する。
そのまま三十分が過ぎたが未だに自動車道を走っていた。
「自動車道の終わりも無いんだが、これどうなってるんだろうな?」
「ごめん、俺運転できないから良く分からないけど、自動車道って円で繋がってるものなの?」
「いや、それだと山の外周を意味も無く回るだけの道になるし、そんな作りじゃないはずなんだが……」
異変には気が付いているが、その異変の解消方法が分からず言葉が尻切れに成ってしまう。
「いかんな……、距離感が狂うってより道が変だ」
そう言いながら異変から脱出するにも動くしか無い訳で、そのまま車を走らせ続ける。
「Nやん、この自動車道って俺もスノボに行く時のバスで通った事有るけど、これ会津に出る筈なんだよ……」
「ああ、その筈なんだが……、同じ道をグルグル回ってるな。なんだかハムスターに成った気分なんだが」
延々と同じ道、終わりのない輪っかの上をなぞり続けている気がして気持ちが悪い。
「悪いK、ちょっと携帯で動画を流してくれ」
「なんの動画?」
「そうだな、般若心経で頼む」
「了解……」
Kは携帯電話で動画サイトに接続して誰かが唱える般若心経を流し始めた。
「ねえ、Nやん、なんで般若心経?」
「ああ、こういう時は驚かず、怯えず、悠然と泰然と向き合う方が良いと思ってな」
色即是空空即是色と呟いて道路を見据えて車を走らせ続ける。
そう考えても場がおかしい。
しかし、こんなややこしい事が早々頻繁に怒るとも思えない。
何となく、作為的な悪意あるナニかに不快感を感じながら結局更にそこから一時間程もタイヤはアスファルトを駆けていく。
「なんだか、道と言うか場所と言うか距離感とか色々、化かされてる気がする」
左右の木々の雰囲気が変わり何かが終わった気がした所で視界に別な道が見えてくる。
それは自動車道の出口、もしくは俺達は入って来た入り口。
ウィンカーを付けてそちらに車を進めてようやく俺達は迷路から脱出をした。
ヌルヌルと、脂汗と言うか手汗でハンドルが気持ち悪い。
「ようやく出れたか……。悪い、疲れたから少し停めるぞ」
そう言って車を自動販売機の脇に寄せて停車させる。
大きく溜息を吐いて背中をシートに預けると突然Kが声を上げる。
「ねえNやん、あれ……」
Kが緊張した様に声を上げながらフロントガラスを指さした。
そこに有るのは何かの看板で、その看板には可愛らしい狸のイラストが有った。
偶然かも知れないし、違うかも知れない。
ただ脳裏には昔、修行時代に聞いた話を思い出していた。
“キツネは悪戯で困らせるが、タヌキは悪戯で殺す”そんな逸話だ。
「Nやん、俺達化かされてたって事かな?」
「多分な……、俺もお前も狐と相性は悪く無い筈だから、狸なんだろうな……」
俺達は地仙の狸に揶揄われた、と言う事なのだろう。
もし向こうが本気だったら俺達は終わりのない道をいつまでも走り続ける羽目になっていたのかも知れない。
そう思うと背筋に来るものが有った。
少しだけ休憩してから俺達は本来の目的の温泉に浸かって頭の中と気分を入れ替えてから慎重に東京への道のりを走った。
「Nやん、それってどう言う事? 狸に化かされたって事?」
「ああ、そうなんだと思う。化かされて馬鹿にされただけで済んで良かったよ。しかしな、結局あれから何度も行ったんだけど、殺生石にはたどり着けなかったんだよな」
Nやんのぼやきに、心霊現象と言うには規模が大き過ぎる出来事に理解が及ばなくて首を傾げてしまう。
どう言う理屈でそんな事が起きているのだろう?
Nやんに聞いても、分からないし説明も出来ない、と言われてしまう。
そんな不思議なお話。




