丑の刻参り
Nやんから聞いた話です。
「ねえNやん、丑の刻参りって有るでしょ? あれって絵にすると相当怖いけど、物凄く無理があると思うんだけど、本当の所はどうなの?」
ファミレスでハンバーグを食べながら私はNやんに訊ねた。
食事中になんて事を言い出すんだ、と言わんばかりに嫌そうな顔をしてNやんがご飯を嚥下して溜息を吐いた。
「お前なあ、その感性は正直どうかと思うぞ? 人間性を疑う……」
「まあまあ、そう言わないで。で? 丑の刻参りって本当に有るの?」
「有るだろうさ、日本中の神社がそれなりに迷惑してると思うぞ?」
「あ~、やっぱり今でも有るんだ」
Nやんは残ったご飯を綺麗に食べ終えてから話し始めた(律儀か!)
京都観光と言うか、寺社巡りをしていると色々と感じ入る事がある。
歴史や年月の蓄積。
神域や御仏の懐を感じる事も多い。
そんな中、Aに連れられて俺は貴船神社に立ち寄った。
道路の傍らには涼やかな川が流れ、両側を多しい木々と力強い山々に挟まれた雰囲気を楽しんでいた。
「Nやん、そこ右側――貴船の川床。帰り寄ってみる?」
Aの声に運転をしながらチラリと視線を向けるとあの有名な川床が敷かれた宴会場が見えた。
「いや、桜も咲いてない時期に降りるとか罰ゲームだろ」
そう答えながら前方に向き直って車を進める。
夏でも涼しい川床を春が訪れる前に堪能するのは俺には無理だ。
それでも、木々が徐々に緑を纏う山々。
その雄々しさは心地良く感じる。
この時期の京都は好きだ。
走行中の車の中でも清流の音が聞こえてきそうだ。
「まあ、四季の京都はどれも良いが、さ」
「ん? なにが?」
「いや、京都が好きだな、と我ながら思っただけ」
「そうだね、良い所だよね」
そう他愛の無い会話をしてはいたが、前方から素晴らしいとは言いたくない気配も感じたのだが。
「しかし、何で貴船神社なんだろう……」
「何でって、Nやんが気になるって言うから案内してるのに」
もう一人の連れに車を預けて俺とAは石段を登り、貴船神社へと向かった。
正直自分でも貴船神社に立ち寄る理由が思い浮かばないのだが、それでも何かに呼ばれる様に行き先を考える度に思い浮かぶ不思議な感覚に戸惑っていた。
「丑の刻参りの発祥の地、か……」
「なに? Nやんも誰か呪いたいの?」
「まさか。特に誰にも憎しみを感じてないから、余計に気になってる理由が分からなくてさ」
石段を登り神社の本宮で参拝をして、さて戻ろうかと思っていると違和感を覚えた。
帰り道に石段を見下ろした所で怖気に襲われたのだ。
全身に怖気が走り、鳥肌が立った。
不快感に眉を顰める。
綺麗に掃き清められた石段にも関わらず、良くない物の気配が有った。
脇に緋色の灯篭が並んでいるのに、禍々しいと言うか、関わりたくないと感じる何かが傍に在る気がした。
「なあ、これって……」
「うん、残ってるね……」
俺とAはどうやら同じ物を感じているらしい。
人間の情念の残り香と言うには強い。
硫黄にも似た、不快な臭いを伴う感情。
神域のお膝元にも関わらずこの臭いが残っている事が異常だ。
その臭いの元を辿る様に首を回すと一か所、山に分け入った様な真新しい獣道が有った。
その獣道の先、本当に数m程行った所の木には遠目にもハッキリと判る藁人形。
不思議だ。
神域で、神様の住まう所で誰かを呪うと言う行為。
むしろ罰が当たって余計に悪い方向にしか行かない気がするのだが。
「神社の方々の苦労が偲ばれるな……」
「本当だね。木も可哀そう」
五寸釘を何本も何本も怨念籠めて打ち込まれる木が可哀そうで、Aの言う通りだと同意する。
「そもそも、丑の刻参りとして成立して無い気もするんだが、ここまで強い怨念だと作法をすっ飛ばしても効果が出そうなのが怖い」
「え? Nやん、丑の刻参りの作法なんて知ってるの?」
「細かくは知らないがな。確か、白い着物で頭に燭台を逆さに被り、燭台の脚に蝋燭を刺して火を灯し、その火が消えない様にこの石段を駆けあがって、本宮の奥にまで行って藁人形を和釘で打ち付けてから下に戻り、それを何十回と繰り返すのを朝まで、だったと思うけど」
「ん? それって無理じゃない?」
「ああ、無理だし、最初の段階で火傷して酷い目に遭うはずなんだよ」
「無理な話が伝わってるって変な話」
「無理な話だから広めたんだろ、多分。苦肉の策で、さ」
そう言って石段を下りると脇に湧き水が流れ出、水を汲める所が有った。
その湧き水の清らかな存在感に救われた気分になり、そして自分が何故ここに来たのかを悟った。
「ああ、この水を持ち帰る意味がある訳か……」
大病で苦しむ幼馴染の弱々しい笑顔が脳裏に過る。
俺はその水を汲んで東京へと帰った。
「へえ、丑の刻参りって無理筋な話なんだね」
「そうだな、蝋燭の火を消さない様に石段を上がり、尚且つ誰にも見られない様にと成ると速度的にも無理があるな」
「走ったり、釘を打ったりしたら蝋が垂れてきそうだよね」
「そうな、火傷する程じゃないだろうが、まあ酷い有様に成るだろうな」
笑い、呆れ、そして人間の業の深さに彼は深い溜息を吐いた。