強制転移
上空から為す術もなく落下し、エファとクオルは森に張り巡らされた木々の枝に飛び込むような形となった。
枝を折って進む過程で多少の擦り傷を負ったが、それらは緩衝剤ともなったらしく、むしろエファ達は命を救われた。
落下の際、クオルは空中で一旦ばらけてしまったエファをキャッチして、抱え込むようにして彼女を守りながら落下していた。
騒々しい音を立てながら、クオルとエファは地面に到達する。
森の中は今までいた上空とはうって変わって、四方を木々に囲まれた空間だった。むんと湿っぽい土の匂いが漂う。雨粒が葉を打つ音だけが際立って響いていた。
「クオル……平気?」
エファはすぐに起き上がると、クオルの様子を窺った。
クオルも仰向けからすぐに起き上がる。幸い、それだけの余力はあるようだった。
《平気よ。あなたは大丈夫?》
クオルはすぐさまそう答えた。しかし、エファはクオルの翼を見てすぐにクオルの言葉が嘘であると気づく。
「あなた、翼に怪我をしている」
クオルは翼にひどいやけどを負っていた。
それは、光の束からエファを守った時にできたものだろう。背中にエファを乗せていたクオルは、彼女を守るために、前面を光線の側に晒さなくてはならなかった。
その時クオルは、内臓へのダメージを最小限にとどめるため、とっさに翼で体の前面を覆ったのだ。
その傷具合を見る限り、脆いエファの体が晒されていたらおそらく助からなかっただろうことはわかる。エファは彼女に命を救われたのだ。
「クオル…………ありがとう。そしてごめんなさいね」
エファは後悔に打ちのめされていた。自分の考えの甘さに対してのものだ。
ただ真摯に向き合えば分かり合えるという希望的観測を元に、なんの段階も踏まず、敵国に入ったのはエファの失態だ。
話し合いの余地すらなく撃墜され、エファは痛いほど己の甘さを思い知った。
彼女は、独りよがりの考えにクオルを巻き込み、あげくに大けがをさせてしまったのだ。
エファの顔付きが変わった。彼女の顔から色味が失せる。
エファはポーチの中から残りのミルキーワームをすべて取り出す。
その数は二十五匹。
それは五回分の使用量だった。これだけの量を使えばかなりの量のマナ増幅を起こせることだろう。しかし反面、体はどうなってしまうかわからなかった。
ただでさえ、エファはここに来るまでの間に幾度もマナ増幅を繰り返してきた。
この状況でこの過剰量のミルキーワームを一気に摂取すれば、体をおかしくする危険性すらあった。
しかしエファは躊躇もなく、その二十五匹の死骸、二度に分けて口に放り込んだ。そして、ろくに噛まずに嚥下すると、残りの半分も立て続けに頬張る。
《何のつもり? エファ》
気が触れたようなエファの行動に、クオルは驚嘆する。
エファが摂食したミルキーワームは致死量に匹敵しかねなかった。
《すぐに吐きなさい》
クオルは今にもエファに突進しかねない勢いだった。
しかし、エファは静かな顔をして、ただクオルの飛竜珠に触れる。
今のエファには全身のいたる箇所で鋭い痛みが奔っていることだろう。しかし、引きつりそうになる顔をエファは努めて平静に繕った。
そして劇薬によって生み出されたマナを可能な限りクオルに送り込む。
「今からあなたを〝亜天上界〟に帰します。……少しの間、翼は不自由かもしれないけど、今私が渡したマナとあなた自身のマナで生きてはいけるはず」
エファは静かな目をしてクオルに告げた。
《何を言っているの。今この状況で私がいなくなったら……》
クオルは妖術でそう言った後、高ぶったように獣の息を吐いた。
しかし、エファは首を振る。
「これ以上はあなたを巻き込めないでしょう。飛べなければここから逃げられない。そして捕まればどうなるかわからないもの」
《私は、エファと運命を共にする》
クオルは牙を剥きだしにして、断固とした反抗の意を示した。
しかし、エファはクオルに向けて右手をかざす。
その瞬間、クオルの真下に綜界陣が描かれ始めた。空間魔法術を発動させるため、マナの粒子によって紋様が形成していく。
クオルは獣の咆哮を小さく上げた。召喚主の強行策に反発するように。
しかしその態度を前にしても、エファは綜界陣の描画を止めなかった。ただ、こう付け加えただけだった。
「……クオル。ではこう考えて。私とあなたが両方捕まるよりも、私一人で捕まったほうが幾分かマシなのだと。あなたが〝亜天上界〟で待機していれば、私は相手の隙を窺ってあなたを召喚できるかもしれない。少しでも、助かる可能性を増やすの」
それは、クオルを納得させるための気休めのようなものだった。
おそらく一度捕まってしまえば、もうエファに召喚術を使う機会はあたえられないだろう。その場で殺される可能性だって十分にあり得る。
これは今生の別れと考えて妥当だった。しかし、エファはまやかしの言葉とともに、クオルに笑いかける。
「また会えるのだから、笑いましょうよ。クオル」
エファは精一杯、別れの場から湿っぽさを拭い去ろうと努めた。
しかし、クオルは目に陰りを落とすだけで、笑うことはしない。飛竜の彼女に表情を取り繕うような器用な真似は出来なかった。
エファもクオルも表面上では取り繕っているようで、内心ではわかっているのだ。これが正真正銘の別れだと。再会の可能性の薄い離別なのだと。
数瞬の間、エファとクオルは無言で見つめ合った。喋るにはあまりに時を要するからだ。言い尽くせない程の名残惜しさを、今までの感謝を、目を通して伝え合う。物語る。
クオルの足元に綜界陣が出来上がった。そして描きあがると同時、その場に突如底なし沼でも出現したかのように、クオルは綜界陣の描かれた地面に沈み落ちて行った。
その強制転移にクオルは逆らう事が出来ない。
首を目一杯上に伸ばし、留まる時間をわずかに延ばすことが精一杯だった。
抵抗虚しく彼女は沈んでいく。そして、その口から無念の吐息を吐くのを最後に、彼女は上に伸ばした口吻の先まで綜界陣に呑みこまれていってしまった。
クオルの大きな体躯は嘘のように跡形もなく別の場所へ行ってしまったのだ。
エファは一人ぼっちになった。