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PW(ポール・ウォー)  作者: 材然素天
一章 旅立ち
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エファの旅立ち2


「何を為さるつもりかな? エレット殿」


 背後からの声に、エファとクオルは振り返る。

 すると、そこには一人の屈強な男が立っていた。その男はエファがクオルを召喚するきっかけとなった人物、つまりあの指南書を旅籠に忘れていった〝綜界賢者〟の男だった。


 彼の名前はアドルフ・バッハマン。

〝綜界王〟の命により、彼は秘密裏にエファの監視を実行していた。

 エファは十二歳の未熟な少女であり、また同時に、その身には不釣り合いな力を持つ存在でもある。

 そのため当然、警戒の対象であったのだ。


 力を持つ者はその力の及ぼす影響を考慮するだけの最低限の良識を持つべきである。しかしその点、エファは精神が不安定な時期にあり、経験も浅い若干十二歳の少女とみなされていた。

 里帰りを赦すとはいえ、何の監視もなくおいておくには危険すぎる存在だったのだ。


 そのため彼女には監視がつくことになった。その監視役として、アドルフに白羽の矢がたったというわけなのだ。

 鋭い感覚を有する飛竜(ヴルム)に気が付かれないように監視するには相当の注意力と気配を断つ熟練の技術が必要となる。そうなれば〝綜界賢者〟に任せるのが堅実。そして、エファの件について少なからず因縁のある、アドルフが適任となったのだ。


 監視中、彼はエファの様子を見て、早い段階で違和感を抱いていた。

 エファの沈んだ表情が、アドルフには奇異に映ったのだ。

 アドルフはエファを恵まれていると思っている。

 彼女は全ての民にとって最高の栄誉であるはずの〝綜界賢者〟の称号を約束され、戦果を期待されているのだ。そのエファがなぜ顔を曇らせる必要があるのか、アドルフにはわからなかった。

 

 彼女は終始沈んだ様子のまま故郷に帰り、そしてまるで畳み掛けられるかのごとく、父の死にまでも直面した。店も奪われ、彼女に帰る場所はなかった。このことには、アドルフも多少不憫に感じた。だが逆にこれは憂いなく戦場へと向かうチャンスだともアドルフは思った。


 しかし、アドルフの考えに反し、彼女は本国へ帰る決意を直ちに固める事はしなかった。かわりに、思いつめた顔でこの断崖へときたのだ。センスィティブな年ごろの少女の行動は突飛である場合が多い。アドルフは身投げでもするのではないかと警戒しながら会話に耳をたてた。


 すると、エファ達は国を捨て逃亡する事を仄めかす発言を立て、さらには飛竜(ヴルム)にまたがったではないか。これには、さすがのアドルフも緊急事態だと判断した。そして、この瞬間、隠密行動の命令を無視してでもエファ達の前に現れるべきだと彼は判断したのだ。

 アドルフはエファの驚嘆の表情を何事もなく受け止め、構わず喋り出した。

 

「今現在、黒の勢力のすべての民は神に殉ずる覚悟で聖戦に臨んでいるはず。もちろんあなたを含めてだ」


 驚き眼の少女と飛竜(ヴルム)を前に、アドルフは一歩進み出る。

 アドルフにはエファの考えが理解できなかった。彼は国のため、神のために己の力が活かせることに至極の喜びを感じている。そして、それは同じ宗教を信仰するすべての民に共通する思いだとも思っていた。


 だから彼にはエファが理解できない。

 戦場に立つことに躊躇し、あまつさえ国を捨てようとしている彼女は、アドルフにとって理解の範疇を超える異分子であった。

 そのため彼は力ずくで拘束するよりも、まず彼女に問いを投げることにしたのだ。彼女らを拘束するのであれば、気付かれていないほうが都合がいいにも拘わらず。彼は問わずにはいられなかったのだ。


「私には理解できない。空前絶後の才能を持ち、それを綜界王様にも認められ、その上であなたは一体何を不満に思われる? むしろその期待に応え戦果を挙げたいとは思わないのか?」


 アドルフの声の圧は増していた。

 対し、エファはただ寂しげな視線をアドルフに返す。


「私にはあなたのほうが理解できません。本当は戦いたいのかもわからない召喚生物たちを使役して、傷つけ合うのですよ? それが戦果ですか? 尊い命を屍肉にかえる事が成果ですか?」


 アドルフの額に皺がよる。

「それは必要な犠牲だ。大いなる神の御意志を示すための」

 エファはかぶりを振る。天色のピアスも同時に揺れた。


「いいえ。目的の尊さを盾にして、手段の醜悪さを肯定しないでください」


 エファも異次元教を信仰する一人だ。

 そのため、神の意志を示す事は確かに大切だと思っていた。しかしその意志を、争いに勝利することで示すというのは悪手以外の何でもないとも考えていた。

 神の意志を反映することを義務付けられた人間も、手段を選択する事は出来るというのがエファの考えだった。

 そしてそうならば、神の尊さを盾にしてエファ達人間の〝手段の選択〟をも肯定することは出来ないのだと彼女は考える。


「私は……もし、この身に余るほどの力があるとするのならば、なおさらその力を争いには使いたくありません。そして私達の懶惰(らんだ)な選択から生まれた身勝手な戦いに、絶対にクオルを巻き込むわけにはいかないのです」


 エファはまっすぐに言う。そしてクオルも同意するように、咆哮をあげた。

 アドルフは目の前の飛竜(ヴルム)と少女の覚悟を真っ向から受ける。

 彼女たちの気持ちは固まっているようであった。それを示され、アドルフは、いよいよエファたちとの衝突が避けられないものだと覚悟する。


「……なるほど。それで、国を捨てて飛び立とうというわけですか。ただの突発的な思いつきで言っているわけではないという事は承知しました……」

 アドルフは静かに俯く。そして、次にゆっくりと右手を挙げ、ちょうど肩から水平に伸ばした。そして手のひらを真横の空間へと向ける。


 動きの中で、アドルフは発言を続ける。

「今あなたがしようとしていることは、確かに今のあなたにとっては熟考のすえの答えなのかもしれません。しかし、あなたの考えは決定的に青い。あなたは、あなたの今の答えが、参考とするべき確かな経験を持ち合わせていない自身の未熟なものであるという認識をもつべきです」

 その時、アドルフの伸ばされた右手の先に突如紋様が浮かびあがった。


 これは綜界陣(ゲート)と呼ばれる紋様だ。


 マナの粒子によって空中に記された召喚術のための幾何学模様のことである。莫大なマナの消費を代償として、この世界と異空間を繋ぐ門となるのだ。

 一般的に、綜界陣(ゲート)を開くのに必要なマナの量は、召喚生物をこの世に維持するのに必要なマナの量をはるかに超える。そのため、普通は一度召喚した生物をわざわざまた多量のマナを消費してまで元の世界に帰したりはしないのだ。

 しかし、アドルフは秘密裏にエファを監視する事を義務付けられていた。つまり隠密行動を強いられていたのだ。だから今回に限っては彼は、一度飛竜(ヴルム)を〝亜天上界〟に帰し、いつでも召喚できるようにスタンバイさせていた。


「実に残念だ」

 アドルフはため息まじりにつぶやく。

 彼は、なるべく手荒な手段を講じたくはなかったらしい。

 しかし残念なことにも、飛竜の召喚を必要とする緊急事態が起きてしまった。エファとの話し合いは決裂した。そして、話し合いで解決できないのであれば、力でねじ伏せるしかない。

 

 アドルフの綜界陣はほとんど一瞬で形成された。そしてその組み上げられた綜界陣からすぐさま彼の飛竜(ヴルム)が顔を出す。その顔面にはすでに面繋も轡もはめられていた。

 エファが何か問題行動を起こした時に備え、いつでも飛竜は動けるようにフル装備されていたらしい。

 胴体よりも先に入口をくぐってきた飛竜の頭部がこちらを向く。そして、呼応するかのように、アドルフも俯いていた顔を上げた。そして言う。


「あなたは私達熟練の者が導く必要がある。教育が必要なのです」

 言っている間に出現した手綱をアドルフは掴んだ。

 その様子を見て、まずクオルが動く。


《何をしている、エファ! 早く行くのよッ》

 戸惑いながら背後のアドルフに釘付けとなっていたエファはクオルの一喝で我に返った。

 すぐに前を向き、手綱を握り直した。


「あなたを拘束し、綜界王の元に引き渡す」


 アドルフの声が背後から迫る。

 その瞬間にはもうクオルは地を蹴り、目の前の中空空間に飛び出していた。エファは一瞬ふわりと体内の臓器が持ち上がるのを感じた。


 クオルの額の飛竜珠(スフィア)が輝く。

 妖術を発動したのだ。それにより追い風が吹く。

 そのまま、わずかに滑空したあと、クオルは翼を煽り、速度を付けた。

 背中にまたがるエファは重圧がかかるのを感じる。

 ぐんっと(あぶみ)と鞍に体を吸いつけられるような感覚を味わった。


 ……速い。


 飛竜の飛行はまさに風に乗る。それは大海原で波に乗る感覚に似ていた。大気を流体としてとらえ、オールをこぐように翼で勢いを相乗していくのだ。

 しかし、こちらが飛竜に乗って逃げるのなら、追う相手もまた飛竜。

 しかもクオルよりもより成長した力強い飛竜だ。油断すれば一瞬で捕えられる。


 背後から恐ろしい咆哮が轟いた。


 アドルフが飛竜の召喚を終え、迫ってきたのだろう。

 クオルは少しでも追手を引き離すべく、さらに翼を煽る。

 速度がつくと、正面から凄まじい風がエファの顔面にぶち当たってきた。それは目を開けていられないほどであった。

 エファは目を細め、記憶を呼び覚ます。黒の本国に召集された際に、いくつか妖術の指南書を読まされたのだ。それには飛竜の飛行中に有効な妖術も記されていたはず。


 その一つを思い出し、エファはすぐさま実行した。それは簡単な部類の風操作の妖術。飛行中に、顔面に吹きつける風から体をプロテクトする妖術だった。

 エファは記憶を頼りに、妖術を発動する。

 すると、とたんに視界が良好になった。

 エファはそのまま風操作の妖術を維持しつつ、背後の追手の様子を窺う。


 クオルより一回りも大きな体躯の飛竜が迫り来ている。


 そしてその飛竜の額では、飛竜珠が真っ赤に輝いていた。鮮烈な輝きであったが、それは見とれていいようなものではない。その輝きは、妖術発動の前兆なのだ。何か仕掛けてくる気らしい。


 次の瞬間、熱気を帯びた恐ろしい火球が後ろの飛竜の前に出現した。


 出現した当初、火球のサイズはにぎり拳程度だった。しかし、みるみるうちに火球は拡大していき、あっという間に直径が人間一人分ほどまでに成長した。

 そこで背後の飛竜は勢い込んで頭を振る。するとその瞬間、火球は猛スピードでエファ達を目がけて飛来してきた。


 エファは素早く手綱を横に引く。

 クオルは意図を察し、体をよじって飛行軌道を逸らした。その瞬間、焼けつくような炎の塊がクオルとエファの横を駆け抜ける。

 辛くも躱すことに成功した。

 しかし、安心などとてもできない。今の火球一発で相手の飛竜のマナが尽きたわけがないのだ。まだ何発でも撃ってくるはず。


《エファ、マナを多めにちょうだい》

 クオルは飛行を続けながら短くエファに言った。

「わかったわ」

 クオルには何か考えがあるらしい。おそらく、クオルは何か高度な妖術を実行するつもりなのだ。エファにも察しがついた。


 高度な妖術には、それに比してたくさんのマナが必要となる。だからクオルは、エファにマナを分けてもらうよう頼んできたのだ。

 しかし、クオルの要望に応えるには、エファの体内で常時生成されるマナの量では不足だった。

 そこでエファは再び、記憶の中で指南書のページをめくる。

 そして指南書の最初に記されていた項を思い出した。

 それは妖術の基礎の基礎。マナ増幅の手法の項である。


 エファは片手で手綱を握りながら、もう片方の手を正面に向けた。するとその手の目の前に小さな綜界陣が浮かび上がる。

 これは〝獄界〟とこの世を繋ぐ綜界陣である。

 獄界は、繋ぐためのマナ消費が最も少ない異次元世界だった。

 そこからエファは白い芋虫の死骸を、数十匹ほど召喚する。そして手元に五匹だけ残して、あとはポーチにしまった。

 芋虫は、ぶにょぶにょとコラーゲン質で、グロテスクな見た目をしている。


 これはミルキーワームと呼ばれる生物の死骸である。

 この芋虫は、マナ増幅の薬とされているのだ。経口摂取すれば、体の中でマナが増産される事となる。

 獄界は繋ぐのに必要とするマナが少ない世界なため、ミルキーワームの召喚コストは著しく低い。

 なので、召喚の際の消費マナの総量は、増幅するマナの量よりもはるかに少なくて済むのだ。そのため、ミルキーワームはマナ増幅の薬として利用されていた。


 しかしミルキーワームは劇薬でもある。服用すれば、マナ増幅と引き換えにして、体に負担をかけることにもなってしまうのだ。

 そのため、いたずらに使用していい代物ではなかった。

 しかし、背に腹はかえられない。

 エファはすぐさまミルキーワームの死骸を五匹ぶんまとめて口に含み、噛み潰した。


 苦く生臭い汁が口内で迸る。そして舌がピリピリと痺れた。エファは喉に詰まらない程度噛んだらすぐさま嚥下する。すると、体に異変が現れた。


 体の該当箇所に痛みが奔る。


 ぎりぎりと、腱が思いっきり収縮するようなそんな痛みだった。これが、ミルキーワームの副作用なのである。エファは歯を食いしばり、痛みをやり過ごす。

 そして直後、体内で溢れんばかりに、大量のマナが生成される感覚を覚える。力が漲ってくるのをエファは感じた。

 マナが増幅すると、鎮痛効果が生まれるようで、痛みも徐々に消えて行った。


 エファは、クオルにマナを供給するため、鞍の上で前かがみになる。

 そして、クオルの、背中側の首の付け根にある球体に手を触れた。ここにあるのは額の飛竜珠(スフィア)に良く似たものだったが少し違う。

 この球から、クオルはマナを吸収する事ができるのだ。

 飛竜に跨りながら戦う綜界賢者は主にここから飛竜へとマナを送る。


「マナを送るわ」

 言葉とともに、エファはミルキーワームの効果で増産されたマナの大半をクオルに流し込んだ。

《ありがとう》

 クオルは礼を言う。


 そしてマナが充溢すると、彼女は妖術を発動した。瞬間、クオルの飛竜珠が光り輝く。そして同時に、ごくわずかな時間だけ、エファはわずかに視界の端が揺らぐのを見た。


「クオル。何をしたの?」

 エファは尋ねる。

《結界術のようなものね。私達の周りに可変的な屈折率の流体層を何層か張って、維持しているのよ》

 結界の内外で光を屈折させ、背後の追手の照準をずらす事が狙いらしい。


「サンクルス、なんだあれは?」

 アドルフは焦燥交じりに、飛竜……サンクルスに尋ねる。

 彼が慌てるのも無理はなかった。突如、エファ達を囲む球形の空間とその周りとの境目にずれが生じたのだ。そして、その空間は少し波打っても見える。


《あれは、結界の一種だ。驚いたな。あの飛竜はまだ生まれて間もないと言うのに、これほどの妖術を扱えるのか》

 サンクルスは、まだ成熟していないにもかかわらず高位の妖術を扱うクオルに驚きを隠せなかった。


「くそ」

 アドルフは苛立つ。

 対象にはっきりと狙いを定められないとあれば、今のアドルフには迂闊に攻撃ができない。アドルフにはエファを拘束する権限はあっても、殺す権限はないのだ。


 迂闊に攻撃を仕掛ければ、予測不能な位置にいたために、当たり所が悪く対象を殺してしまうかもしれない。そのリスクは負えなかった。

 エファは黒の勢力において重要人物なのだ。だからこそ、ただ居場所をぼやかすだけの結界でも十分有効なのである。

 そして、それを見越し、クオルは最も消費マナの割に効果の見込める結界を選択したのだろう。


「召喚主が天才ならばその飛竜(ヴルム)までもか…………」

 アドルフは手綱を固く握りしめ、目の前の一頭と一人をもはや若造とあなどるのをやめた。


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