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PW(ポール・ウォー)  作者: 材然素天
一章 旅立ち
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エファの旅立ち1

《黒歴一○二三年 黒の勢力下の都市〝ブラフテール〟》


「これしかないのかしらね。クオル」


 少女は断崖に立っていた。

 そして傍らには、少女につき従うがごとくに、一頭の美しい天色の飛竜(ヴルム)が佇んでいる。他には誰もいない。必然的に、少女が話しかけたクオルという名前は、飛竜のものということになるだろう。


 断崖の正面には見渡すかぎり何の構造物もなかった。あるのはただただ自由な空と、眼下に広がる海だけだった。下方からは海からの風が逆巻き、うなりを上げながら這い上がってくる。


 ここは、黒の勢力地、最東端の都市、ブラフテール。

 そして、今少女が立つこの崖は、東端都市ブラフテールのさらに一番端に位置する。この場所では、入り江を囲むように左右から崖が付きだすような地形となっていた。

 この崖から少しでもまっすぐ飛び出せば、そこはもう黒の勢力下の土地ではなくなる。目の前の空間に飛びだせば、そこは誰のモノでもない空と海が広がっているのだ。


 少女は自問する。

 この地から遠く離れる事が出来れば、自分は己を取り巻く様々な責務からも解放される事になるのだろうか、と。

 彼女の名前はエファ・エレット。ここブラフテールで精を授かり、十二年間の月日をこの都市とともにしてきた。そして、彼女の父であるカシミール・エレットはこの宿場町でもあるブラフテールで、最も大きな旅籠(はたご)の亭主をしていた。


 その旅籠は、そうそうないであろう召喚生物専門の旅籠であった。


 召喚生物とは、召喚術によって異次元世界から現形(げんぎょう)された生物の総称である。

 この召喚術は、黒の勢力の人間……すなわち陰性人にのみ扱う事ができる。


 黒の勢力が使う魔法術は陰性魔法術と呼ばれている(ただし、この呼称は〝白の勢力〟によって体系化された魔法術の分類であり、ここ〝黒の勢力〟では、そこまで魔法術への認識は進んでいない。黒の勢力下では、陰性魔法術も陽性魔法術も、一律でただ〝妖術〟と呼んでいる)。

 そして、陰性魔法術体系の最高位に位置する空間魔法を活用したものが、召喚術なのである。


 空間魔法術によって普通には接しない異次元世界を繋ぐのが召喚術だ。

 特に黒の勢力下では、アクセスできる四つの異次元世界をそれぞれ、

〝天上界〟

〝亜天上界〟

〝亜獄界〟

〝獄界〟

 と名づけ、階層化している。

〝天上界〟が最も位の高い世界であり、〝獄界〟が最も位の低い世界という認識である。

 そして、この実世界は〝俗世界〟と称し、階層の中では〝亜天上界〟と〝亜獄界〟の間に位置するとしていた。

 黒の勢力下では、この四つの異次元世界を中心として成り立つ宗教が広く流布されており、勢力を団結させる一つの貫かれた旗印ともされていた。


 黒の勢力とは一つの巨大な宗教国家なのだ。


 ここでは、天上界の生き物を神とあがめ、亜天上界の生き物は神聖なる神の眷属と捉える。

 そしてその下に自分達俗世界の生き物があり、さらに下層の獄界・亜獄界の生物を使役することが出来るのだ。

 これが黒の勢力での主な考え方だった。


 妖術(白の勢力でいうところの魔法術)を使える人間の事を黒の勢力下では〝代行者〟と呼ぶ。白の勢力ふうに言うと、魔法術士の事だ。

 この〝代行者〟というネーミングにはちゃんとした意味がある。

 ここには神の意志をこちらの世界へと反映する者という意味が込められているのだ。黒の勢力では神を重んじ、神の意志を尊重する。力あるものは、その神の意志を正しく汲み取る義務があるのだと、この名称から戒めているというわけだった。


 また、妖術を使える中でも特に召喚術を使える人間を〝綜界者(そうかいじゃ)〟と呼んだ。

 このレベルにまで達すると、黒の勢力内でもかなり格式のある人間という扱いを受ける。

 黒の勢力の宗教観では、異次元世界を繋ぐ力を持つものは、それだけで敬われる立場となる。


 そして、ただ召喚術を扱えるというだけでなく、亜天上界以上の生物をも召喚する事の出来るより高位の綜界者は特に、〝綜界賢者(そうかいけんじゃ)〟と呼ばれ、崇められた。

 黒の勢力下には、この〝綜界賢者〟が、今をもって十三人いる。

 この十三人の名は勢力全土に知れ渡っており、彼らを前にすれば皆敬服する。綜界賢者とはそれほどの影響力を持った存在なのだ。

 そしてその中の十三人の内の一人は、さらに別格の異名を取っていた。

〝綜界王〟

 それが、その異名であった。

 十三人の綜界賢者の中で唯一人、天上界と実世界を繋ぐ事が出来る存在、それこそが〝綜界王〟なのである。


 黒の勢力の最高権力者は、この〝綜界王〟であった。


 その下に彼を除いた十二人の〝綜界賢者〟がおり、さらにその下にたくさんの〝綜界者〟やただの〝代行者〟がいる。

 このような具合に、黒の勢力下でのヒエラルキーは出来上がっているのだ。



 大気の擦れあう音に耳を澄ましながら、エファは目を閉じる。

 彼女の髪は彼女自身の心根のようにまっすぐだった。肩までの長さの黒髪は左側だけ耳にかけられているので、そちらに付けられたピアスだけが目立って見えた。彼女の耳には、傍らの飛竜の色に合わせた天色の宝石が提げられていた。


 黙考から覚め、目を開けると、エファはそっと面繋(おもがい)の取り付けられた飛竜(ヴルム)の頭を撫でる。そして、背中に取り付けられた鞍に目を移した。

 この鞍に腰かけ手綱を握れば、エファもクオルと共に自由に空を翔ける事が出来るだろう。


 クオルに限らず、多くの召喚生物は移動手段として活躍していた。そのため、エファの家のような旅籠が必要となるのだ。

 長旅で疲労した召喚生物をメンテナンスするのが、旅籠の主な業務だった。そんな場所でエファは育ったのだ。


 エファは家業の影響で、幼少期から召喚生物と触れ合う機会が多かった。

 召喚生物は不思議な生態を持つものもおり、好奇心旺盛なエファは強く惹きつけられたものであった。そしてそのように興味を持った時のエファは己の欲望に忠実で、父に邪魔者扱いされながらも、熱心に召喚生物たちの世話をしようと試みた。


 とにかく彼女は生き物が大好きだったのだ。

 生き物の営みは複雑雑多で興味深く感じられ、生き物の持つ温かみは愛おしく感じられた。そしてその好意は当然召喚生物にも及んでいる。

 そのためエファにとって、父の経営する旅籠での生活は毎日がとても充実したものだった。召喚生物の世話は、時には難しい局面も訪れるけれど、それも含めとてもやりがいのある仕事だと思えた。

 エファはこれこそ自分の天職なのだと直感していた。いずれは父の旅籠を継いで立派に宿を守り抜こうとも考えていた。


 しかしそうした彼女の漠然とした将来の目標は、とある経緯(いきさつ)からかなわぬものとなってしまう。


 それは彼女の好奇心が招いてしまった事態であった。

 エファの家の旅籠はその業務内容からも察しがつくように、召喚術を使える者……つまり〝綜界者〟が客として来る。そして、まれに〝亜天上界〟の生物を召喚できる者……つまり〝綜界賢者〟が訪れることもあった。


 そしてエファにとってすれば運命の日、旅籠にその〝綜界賢者〟が訪れた。髭を蓄えた凛々しい男で、その男は〝亜天上界〟の生物である、飛竜を一頭連れていた。

 エファはその時、初めて飛竜という生き物を目の当たりにし、たちまちの内に心を奪われた。なんと美しく気高い生き物なのだろうと、感銘を受けた。

 そして、彼女はすぐさま父に飛竜の世話をさせてほしいと名乗り出た。

 その時には、もうエファは十一歳で、召喚生物の世話も幼き日に比べれば見違えるほど手馴れてきていた。エファもそれなりに自負心を持ち合わせている。自分ならば飛竜の世話もこなせるだろうという自信があったのだ。


 しかし父カシミールは一も二もなく、エファの申し出を拒否した。


 それは当然の判断だった。飛竜とは黒の勢力にとって重要な生体兵器でもあるのだ。戦力の要ともいえる。それを齢十一の小娘に任せるわけには当然いかないのである。

 カシミールはその事をよくよくエファに言い聞かせた。そしてエファも父の言う事がもっともだと思ったので、飛竜の世話をする事は渋々ながらあきらめた。

 エファはそれからの数日間、父が飛竜の世話をしているのを遠目から眺めて過ごした。一度でいいから触りたいとエファは強く思ったが、それでも父の言いつけを守り続けた。


 そしてあっというまに〝綜界賢者〟の男が旅立つ日になってしまった。

 男はカシミールが数日間世話をした飛竜の背にのって颯爽と空を翔けて行ってしまった。

 エファはその空を飛翔する閑雅な姿を網膜に焼き付け、そして痛烈な名残惜しさを感じた。

 飛竜の世話が出来なかったことがやはり悔やまれたのだ。

 この時ばかりは、父を強引に説得し、無理やりにでも飛竜の世話をしていればとさえ思ってしまったものであった。


 そんな折に、旅籠で〝綜界賢者〟の忘れ物が見つかった。


 その忘れ物は幸か不幸か召喚術の指南書であった。

 それを見つけた時、エファは思わず、とびつくようにしてその本を手にしていた。

 それは飛竜を召喚したいという一心からの行動である。

 ひょっとすれば自分にも召喚できるかもしれない、そして召喚できれば飛竜と触れ合うという念願が叶う、とそのようにエファは考えたのだ。


 人の本を勝手に開くことに最初は躊躇したが、彼女はもはや己の衝動を自制する事が出来なかった。それほど、エファの飛竜への執着は肥大化していたのだった。

 彼女は憑りつかれでもしたかのようにその召喚術の指南書に没頭する。そして、その指示の通りに、召喚の儀を実行した。


 普通ならば、指南書通りに形だけ真似た所で、妖術(白の勢力でいう魔法術)を実行することはできない。

 妖術を使うには体質由来の才能が必要となるからだ。素質がないかぎり、知識があったとしても召喚術を完遂することはできない。

 ましてエファが行おうとしたものは、飛竜の召喚。それは黒の勢力下でも十三人しかいない〝綜界賢者〟にしか執り行えない最高位の妖術なのだ。

 素人の、それも十一歳の少女には到底できるはずもない術式であった。むしろ出来ない方が道理に則っているというもの。


 妖術の才のある一握りの人間が厳しい鍛錬に耐え、確かな経験を積み重ね、幾度も失敗を重ね、その末にようやくたどり着く秘術、それが召喚術だ。

 そしてその召喚術の中でも、〝亜天上界〟の生物である飛竜の召喚はさらに最上級の難易度を誇る。

 そんなものを、ただ一晩指南書を読んだだけの小娘に出来ていいはずはなかった。いや、出来てたまるものか。厳しい修行をした末に未だ召喚術を習得できていない代行者はきっとそう言うことだろう。

 しかし……


 エファには想像を絶するほどの才があったらしい。


 驚くべきことに、彼女は飛竜の召喚に成功してしまったのだ。

 黒の勢力で十三人しか実行できないはずの飛竜の召喚を、エファは指南書を真似るだけで成し遂げてしまったのだ。


 その時に召喚した飛竜こそが、クオルなのである。

 クオルのあまりの美しさに見惚れ、エファは舞い上がった。自分がどれだけの偉業を成し遂げたのかも正しく認識しないままにその事実を報告して回ってしまったのだ。

 そして、そこでようやく忘れ物に気が付いた(くだん)の〝綜界賢者〟が本を取りに旅籠に戻ってきた。


 そこで、彼は信じられない光景を目にすることになる。

 少女の傍らに、天色の、世にも美しき飛竜がいるのだ。見た事もない飛竜であった。

 そして詳しい話を聞くと、その飛竜は、忘れものの本を読んだだけのただの少女が召喚したというのだから、彼はさすがに耳を疑った。タチの悪い冗談にすら思えた。


 しかし一方で、目の前の光景がその信じられない話を如実に物語ってもいる。

 納得するしかなくなった〝綜界賢者〟の男は、その後その事実を〝綜界王〟のもとへと報告することになった。

 するとすぐにエファには黒の本国(ブラックキャピタル)への招集を命じられる。そしてその地へ赴くと、彼女はこう言い渡された。


――我らが宿願の成就に貢献せよ。対話し、説得し、そして白の民に神の威光を示すのだ。


 綜界王は決して戦争や勝利といった言葉は用いない。あくまで、説得という言葉を用いる。

 綜界王はいまだ瞑想堂にこもりきりで、戦場を知らないのだ。彼は、説得と交渉が続いていると思っている。

 しかし、現実は違うのだ。

 綜界王の言葉に従うために、黒の勢力は紛れもない戦争の渦中にあった。

 そして、綜界王の『説得』せよという言葉はそのまま戦場に立たされることをも意味していた。

 その言葉は強制力を持っているのだ。〝綜界王〟の言葉はそのまま神の言葉として受け止められるため、絶対的なニュアンスを持つ。


 それは彼女が父の旅籠を継ぐ事が出来ないことをも意味していた。それはショッキングな事実だった。

 しかし一番ショックなのは、大好きな召喚生物を戦いの道具として利用し、争わなくてはいけないことだった。それが悲しくて仕方がなかった。


 エファは失意のうちに一度ブラフテールへの帰郷を赦された。

 帰郷そうそう、エファは、父にこの事を相談しようと思い、涙を溜めながら旅籠の扉を叩く。


 しかし、そこでは追い打ちをかけるような事実がエファを待っていた。

 父カシミールはエファが帰郷する一か月も前に病で急逝したというのだ。

 エファに母はいない。母はエファが物心のつく前に他界している。

 そのため、今ではカシミールの弟にあたるエファの叔父が旅籠を切り盛りしているという話であった。もともと、二男で旅籠を継ぐことのできなかった叔父はいつか店を手中に収める野心を抱いていたらしい。

 故郷にさえ、エファの居場所はどこにもなかった。



 エファは断崖から海を見つめる。ただ広い海に父の面影を探して。

 しかし、黒の勢力で信仰されている、いわゆる異次元崇拝の宗教では、死後の世界に関する説明はない。死んだ父はもうどこにもいないのだ。


「私には、もうあなたしかいないね」


 エファはクオルに歪な笑顔を向けた。

《それは私も同じよ。エファ》

 涼やかで芯の通った声が響いた。それは、クオルが妖術により発したものであった。

 飛竜(ヴルム)は人間のように多様な音を出す事が出来ない。声帯やのどの造りが違うからだ。しかし、飛竜は高度な妖術(魔法術)を使う事ができる。そして、飛竜であるクオルにとって妖術を使い、空気を振動させ、言語化することなど、造作もないことだった。

 また飛竜は高度な知能を持ち、記憶を読む特殊な妖術(魔法術)も使う事が出来る。クオルは、エファから該当記憶を貰い、人間の言語を習得したのだ。


私達(ヴルム)に血脈の絆はない。……いえそれどころか、絆という概念がない。私達の故郷にあったのは熾烈な生存競争だけだった》

 エファがクオルを召喚した時、クオルは翼に深い傷を負っていた。それはクオルの言う熾烈な生存競争の爪痕なのだろう。そして、その食うか食われるかの世界において、絆という生易しい概念は存在しない。孵化してから……いや、それより以前から、寄る辺のない命のやり取りが始まっている。そんな世界からクオルは来たのだ。


《あのままエファに召喚されていなかったら、翼を怪我した私はおそらく生き残れなかったでしょう。あなたは命の恩人でもあり、そして私の初めての友達でもあるのよ》

 エファが召喚した時、クオルはまだ生まれてそれほど経っていなかった。飛竜(ヴルム)は人間のように未成熟では生まれないので、すぐに飛べるようになるが、かわりに成長期は長いのである。人間よりもはるかに長寿命な飛竜は、人間の生涯一スパン分ほど成長を続ける。そのため、相当の年寄りでない限り、肉体的には年を取った飛竜の方が優れているのだ。

 クオルは飛竜としての最低限の能力は備えていたが、それでもまだまだ未熟な部類であった。翼を怪我してしまえば、〝亜天上界〟の厳しい自然の中で生き残る事は難しかっただろう。

 だからクオルはエファに命を救われたのだと言ったのだ。


「あなたがこの世界を気にいってくれてよかった。私はただの好奇心から、あなたに召喚の契約を迫ってしまったから」

 〝亜天上界〟以上の世界の生物の召喚を成立させる際には、相手の同意を必要とされていた。そしてその決まりに従って、エファもクオルに契約を迫った。しかし同意を得ているとはいえ、連れて来られたクオルが、この世界を住みづらいものと感じているのであれば、それは自分の責任だとエファは考えている。


《重ねて言うようだけど、私はあなたに感謝している。あなたがこの穏やかな世界に呼び出してくれたおかげで私は命を繋ぎとめられたのだから》

 クオルは額をエファの手に付けた。

 クオルの額には輝く美しい珠のような物体が埋め込まれている。それをエファの手に擦り付けたのだ。


 これは飛竜珠(スフィア)と呼ばれるもので、飛竜が妖術を使用するための最重要器官の一つである。

 この器官でマナを用途に応じて変換し、そして出力するのだ。この部分を破壊されれば、飛竜は妖術を使えなくなってしまう。それは自己防衛能力の著しい低下をも意味するため、直ちに命に別状はなくとも致命傷となりえる。

 したがって、体表面に露出している器官の中では、飛竜にとって最も守るべき急所であるのだ。

 その飛竜珠(スフィア)への接触を許すという行為は、相手へ最上級の親愛を示すことと同じだった。

 エファもそのクオルの行為が内包する意味を知っている。そしてエファもまた同じようにクオルを愛おしく思っていた。

 だが一方で、クオルを大切に思うからこそ、この場では、エファは苦い表情を浮かべざるをえなかった。


「この世界だって、穏やかな世界とは言えない。一度戦場に立たされれば、そこでは殺戮の世界に早変わりしてしまうもの」

 エファはクオルの飛竜珠(スフィア)を一度撫でると、そっと手を離す。そして、クオルと向かい合い、ゆっくりとクオルの頭を抱きしめた。


「だからあなたには戦わせられない。それがこの世界にあなたを召喚した私の責任だもの」


 エファの手に力が籠る。クオルは翼を狭めて、エファを包み込んだ。

《エファ。わかってほしいのだけど、責任を感じているのは私も同じなの。あなたは私を召喚したために……つまり私を救ったために、戦場に立たされそうになっている。だから、私もあなたに戦わせるわけにいかないのよ》


 クオルがそう言うと、エファは大きくかぶりを振った。

「私はあなたを救おうと思って召喚したわけではないわ。あの時に私を支配していたのはただの好奇心だったもの。だから、あなたが責任を感じる必要はまったくないわ」

《いいえ。私にしてみたら同じなのよ。あなたに命を救われた事実に変わりない。そして、それが原因になってあなたが戦場に送られそうになっていることもね》

 クオルはそっと翼を広げると屈み、次に抱きついているエファごと自らの頭を持ち上げた。そして長い首を動かして、そのまま背中の鞍にエファを座らせる。


《だから二人で行きましょう。黒の勢力から離れて、自由な地へ》


 クオルは言った。共に、このただ広い海へ飛びだそうと。この故郷にエファの居場所はない。後腐れなく、エファとクオルの二人でこの黒の勢力から逃れるのだ。

 クオルは妖術ではなく、自らの喉から大きく鳴いた。エファの背を押すかのように。それは、遠吠えのような美しい獣の鳴き声であった。エファはこちらの声も大好きだった。


「……そうね。行きましょう」

 エファはそれ以上何も言わず、まっすぐな眼差しを正面へと向け、手綱を取った。

 二人の決意は固まった。エファも故郷を捨てる覚悟を決めた。

 ここから飛び立てば一体何が待っているのかわからない。想像を絶するような苦難が待っているかもしれない。ひょっとすると、命を守る為に戦う事態にだってなるかもしれない。でもそれでも、何の信念もなく、上の人間の命令の為に召喚生物を使役し、争う事に比べれば遥かにマシだった。

 エファは、手綱を握る。そしてクオルに出発の合図を送ろうとした。


 だがその時……

「何を為さるつもりかな? エレット殿」

 突如背後から野太い声が発せられた。

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