理性vs感情
「久しぶり。リュウセンの封印窟で会って以来かな」
そう言う彼は、三年前あの亡者の洞窟で会った、カカオリフィスその人だった。
「……」
ユミトは言葉を失う。恩人があまりにも突然現れ、混乱のあまり、ユミトはとっさに言葉を発することができなかった。
そのユミトの心中を推し量ったのかカカオリフィスは、
「起きたばかりで、だいぶ意識が錯綜しているようだね。いいよ。こっちから簡単に説明するから君は聞いていなさい」
そう言って、牢屋の目の前の床にあぐらをかいた。
そして、茶飲みの場で談義するような軽い口調で話し始める。
「まず君がいるここは白の本国だ。昨夕、例の侵入者の女の子と一緒に君も搬送されてきた。君には、拘禁処分が宛がわれたわけだ。ちなみにここは地下の禁固室だよ」
「エファは……エファはどうなったんですかッ?」
自分の処罰よりも何よりも、ユミトはまずエファの安否を聞かずにはいられなかった。
「彼女の処分はまだ決定されていない。君の処分よりかは、断然慎重に審議する必要があるからね。大魔法術士の内の少なくとも半分はそろわないと検討会も開けないさ」
「じゃあ、彼女はまだ生きているんですね?」
ユミトは言葉を詰まらせながら、矢継ぎ早にそう問うた。
カカオリフィスは頷く。
「生かされているね。彼女は処分が決まるまで、死ぬことも許されない。おそらく、保留期間中はここよりもっと厳格なところで拘禁され続ける事だろう」
それを聞いてユミトは少しだけ安堵した。少なくとも、現段階ではまだエファの安全は保障されているのだ。
「彼女を助ける方法はあるのですか?」
もしエファを救う手段があるとすれば、その保留期間中しかない。すぐにでも手を打たなければならないはずだ。
しかし、カカオリフィスは首をふる。
「少なくとも君が直接的にできる事はない」
「……」
カカオリフィスの一切、オブラートに包まない物言いが堪えた。ユミトは、改めて己の無力を再認識させられる。
「君はまだ、小さな存在だ。意志を通したいのなら、相応の力を付けるべきだね」
「……重々承知していますよ。痛いくらいに。でも僕はあきらめるわけにいかないんです」
ユミトはそう言いながら、頭をカカオリフィスにさげた。
「何のつもりかな?」
カカオリフィスは、座ったままユミトを見上げ、冷ややかにそう言った。
「……カカオリフィス様は大魔法術士ですから、エファの処分に対して意見できるのですよね?」
「まあいちおう、僕は大魔法術士として検討会での発言権を持っているわけだからね……」
「でしたら……」
思わず身を乗り出そうとして、ユミトは額を鉄格子に打ち付けた。しかし、今のユミトは痛みも気にならない。すぐに仕切り直した。
「……でしたら、何とかエファを救うよう計らっていただけないでしょうか」
ユミトは鉄格子に両手を掛け、限界まで前のめりになりながらそう尋ねた。
しかしカカオリフィスは難しい表情を作る。
「意見に妥当性があれば誰の意見でも同じ重みで見るというのが、検討会での基本的な方針だ。……だからたしかに、僕のような新米の大魔法術士の意見もアグネタ様のような賢豪なお方と同等の一意見とみなされることになる」
「だったら」
「でもそれは裏返せば、意見に妥当性がなければ何の影響力も持たないということになるんだよ」
審議の場ではすべての意見は平等に、妥当性を検討される。それは、妥当な意見であれば尊重されるが妥当な意見でなければ、即刻無価値と切り捨てられるという事をも意味するのだ。
審議の場を想像してみる。車座に集まる大魔法術士たちを。
彼らが第一に考えるのは白の勢力の躍進だ。
時には、大を救う為に小を切り捨てる決断も彼らは下す。
合理的で勢力にとってプラスになる判断こそが、巡り巡って必ず多くの民の為になると彼らは考えているのだ。
たしかに大魔法術士の中にはアキレスのように、直感的な人間もいる。だが、それは一部であり、大魔法術士の大半は思慮深く、冷徹な選択も厭わない。
その審議の場において、合理性を欠く判断が通る事はまずありえないだろう。
「もし僕が君の頼みを聞きいれたとして、そのエファという子を自由にすることはまず不可能だろうね」
無駄な期待を抱かせぬよう、カカオリフィスはきっぱり言っておく。
「それでも……」
ユミトは両手を床につけた。
「それでも、お願いしますッ」
続くように額も冷たい床に打ち付ける。
不甲斐なさに身を切り裂かれながら、平伏した。でも、ユミトにはそうするしかなかったのだ。自分自身に、エファを救うだけの力がはないから。ユミトは人に頼るしかなかった。恥は承知だった。
「今エファを託せるのはカカオリフィス様お一人です……。どうかッ」
頭を下げたままユミトは喉を擦らせる。
カカオリフィスはヤエカの命を救ってくれた恩人だ。
その事実があるため、ユミトはほとんど話した事もない彼を信頼していたし、自分の想いの通じる人間だと思っていた。
しかしカカオリフィスは答えを返さず、静かに立ち上がる。そして尻のほこりを申し訳程度に叩いた。
「なぜ君がそこまでするのかな? ……正直、僕には彼女を自由にするメリットは見当たらないし、君が必死になる意味がわからないよ」
「それは……」
カカオリフィスに言われても、ユミトはすぐには答えられなかった。
ユミト自身把握出来ていないのだ。自分がどうしてこうまで突き動かされているのか。
順を追って説明する事ができなかった。ただ単に苦しむ人をほうっておけないような、そんな理由もない衝動が彼を動かしているのだ。
だから説明を求められても答えに詰まってしまう。
しかし、ユミトは完全に把握できていないまま、おぼつかない口調で喋り始めた。
「……よくわかりませんけど、エファが区別ない同じ人間に見えるからかもしれないです」
自分の感情を率直に表現する。たどたどしくはあるが、それでも真剣に自分の考えを探りだしていった。
ユミトは続ける。
「僕にとってエファは、対立種族である前に、普通の女の子なんです。カカオリフィス様だって、対立種族の人間である事を切り離して考えれば、目の前で殺されそうな子を助けるでしょう?」
あの時、すぐに吹き消えそうな儚い命を前にして、ユミトはその尊さを思った。
抱えた彼女は確かに温もりを持っていたし、痛みを感じれば本当につらそうな顔をするのだ。そんな姿を見れば、対立種族かどうかなんてユミトには関係なく思えた。
しかしカカオリフィスは首を振る。
「彼女は対立種族の人間だよ。切り離して考える必要性がない」
彼はにべもなく言い切った。
ユミトは首を大きく振る。
「エファは対立種族の人間ではあっても、カカオリフィス様が考えているような対立種族と同じ挙動は致しません。白の勢力に害なすような事は」
ユミトは初めて会った時の、エファの怯えた様子を思い出した。ユミトを敵だと思い、彼女は震えていた。
「エファは、ただ、才能に翻弄されてきたかわいそうな子なんです。優れた力は利用しようとする人を引き寄せるから……だから、彼女は強制的に戦場に立たされそうになったんです。でも、争いを嫌う彼女はそれを拒んで……」
「それで彼女に情が移ったと?」
「そんな言い方はやめてください。ただ……全部は彼女の優しさゆえのことなのに、その最後がこんな顛末だなんて、悲しいと思ったんです」
そのユミトの言葉を聞くと、カカオリフィスの表情に失望の色が浮かんだ。
「悲しいからとか、そういう感情に流されて魔法術士は行動するべきではないよ。絶対にね。……君はまず、魔法術士がどうあるべき者なのか理解する必要があるようだ」
カカオリフィスの言葉に、ユミトを窘めるような響きが加わる。
「いいかい? これくらいは本来、すでに知っていて然るべき事柄なんだけど、まず僕たち魔法術士は、戦争というものをあくまで政治的な行為の延長線上として扱わなくてはならないんだよ。……あくまで、利害の衝突のみによって戦争は行われていると見なしていなくちゃいけない。
恨み・憎しみなどの感情で戦争を続ければ、戦争が自己目的的な要素を帯びて収集がつかなくなってしまうからね。だから戦争の舵を切る立場である僕たち魔法術士は、それを弁えていなくてはならないんだ」
カカオリフィスは、陽気でやんわりとした雰囲気であるが、一方で芯の部分では堅い考えを持っていた。それは、アグネタという大魔法術士きっての厳格な人間の直系の弟子であるからとも言えるし、カカオリフィス本人の気質によるところでもあった。
「……君の意見は感情的に過ぎる。考えが青いんだ」
カカオリフィスはそう言い残し、牢に背を向けた。
「少し頭を冷やして、学びなさい」
そして、冷ややかにそう言い捨てる。
「待ってください。まだ話すことはあります」
ユミトはカカオリフィスの外套の裾を引くような気持ちで、苦し紛れにそう言った。
ユミトにとって、カカオリフィスは最後の希望なのだ。それを逃せば、ユミトはもうこの牢の中で何もエファの処分に対して影響力を持てない事になる。
だから簡単には諦められなかった。すがる気持ちでカカオリフィスの背に言葉を放つ。
しかし、カカオリフィスは冷静な口調を崩さなかった。
「話すことはこれ以上ないよ。君はすっぱりこの件と関わりがなくなったんだ。今後、審議の結果がどのようなものになろうとも、君にその情報が届くことはない」
「そんなッ」
ユミトは思わず立ち上がった。
しかし、カカオリフィスはもはや振り向きもしない。背中ごしに言葉を投げて寄越した。
「決定事項だよ。君はこれから改心して立派な魔法術士にならなくてはならない。ただ罰を受けそして反省すればいい。エファという子の事は忘れるべきだ。これ以上、この一件に関われば君は不安定な人間になってしまうだろうからね。入学の儀まで、この牢で生活し、反省するんだ」
その言葉を最後にして、カカオリフィスは歩み去っていく。
「待ってくれッ」
ユミトは叫んだが、カカオリフィスは黙殺した。彼の歩調は緩むことはない。
遠のいてゆく足音をユミトはただ聞いていることしか出来なかった。