処分は決す
《白暦五十八年 〝白の本国〟》
「僭越ながらこの場にて、ユミトの入学取り消し処分を提議させていただきます」
ヤエカは大魔法術士三人の前にいた。
今、白の本国には五人の大魔法術士が駐在している。
それ以外の大魔法術士は何らかの用で白の本国から出払っているらしかった。
そして、その五人の中でも招集に応じることのできた三人が今ヤエカの目の前にいる。
場にいるのは、ヤエカの師であるカカオリフィス・ヴラナと、さらにそのカカオリフィスの師匠である老女アグネタ・カサグランデ。
そしてもう一人はヤエカにはあまり面識のない大男アキレス・クセナキスだった。
部屋を見渡すと、車座のように並べ立てられた机群の周りに、一対一で対応するようにイスが並べられている。
ヤエカは、机で形づくられた円周の内側に起立していた。そしてヤエカと向かいあう円弧には、アグネタを真ん中にして三人の大魔法術士が並んで坐している。
この招集は、サイコでの一連の出来事の報告を第一義としていた。事が事なため、文書などの報告で済ますわけにもいかず、こうして大魔法術士の目の前で、当事者たるヤエカが直に説明する事になったのだ。
そして、ヤエカが一通りの事の成り行きを簡潔に説明したところで、今に至る。
「ヤエカよ。此度の件において、うぬの意見は通さぬものと思え」
アグネタはヤエカにそう答えた。
ヤエカがユミトの入学取り消しを提議した事に対しての返事だ。
アグネタは、日ごろと変わらない鋭い眼光をヤエカに向ける。彼女の孫弟子にあたるヤエカは、幾度もこの視線によって諌められてきた経験がある。
「なぜでございましょうか? アグネタ様」
ヤエカは委縮する事もなく、問いを返した。
それに対し、アグネタはきっぱりとした口調で答える。
「ユミトはうぬの弟だからじゃ。近しい者であるがゆえに、うぬの思考には本来独立させるべきシガラミが反映されるじゃろう。そうなれば判断に余計な偏りが生まれる。正しい判断とは均整の取れた澄んだ心でしか下せぬものじゃ」
「私は、私情を挟むような真似はいたしません」
「うぬがそういう心持ちであろうとも、めったに偏りは取り払えぬ。中立な判断を行おうと、あえて天秤の片側に力を込めれば、今度はそちらに傾いてしまう。元から傾いた状態から中庸な状態を作るのは至難の業よ」
「しかし、ユミトは敵勢下の侵入者を匿い、その過程では一人の魔法術士に傷害を加えました。私の提議したような彼の処罰は妥当なものではないでしょうか」
「ヤエカよ。わしはそういう話はしておらぬ。もちろん結果的に我々の判断がうぬの判断と一致することはありえる。しかし、うぬの意見を取り入れそれを採用することはない。ゆえにうぬが意見を提議する必要はない。わしはそう言ったのじゃ」
「では、ユミトの入学取り消しは十分にあり得る処罰ということなのでしょうか?」
「もちろんそれも視野に置いたうえ、この場で決するつもりじゃ」
「この場で?」
そこでカカオリフィスが割り込んできた。
こともなげに、アグネタは頷く。
「この場で、じゃ。侵入者の取り扱いはもう少し慎重にしなければならぬが、ユミトの処罰についてはこの場にいる、わしを含めた大魔法術士三名で決定する」
「しかし、ユミトの処分決定となると、学舎にも話を通さなければならないと思うのですが?」
「構わぬ。学舎長のラングレンもここで処分を決することに同意済みじゃ」
「そうだったのですか。ラングレン様が」
「そういうことじゃ。今回は黒の勢力の侵入者がらみの一件じゃから、軍部寄りの問題でもある。だからこの一件についての判断はわしらに任すと彼奴は言っておった」
「そういう事でしたら、承知しました」
「では、さっそく話を進めるぞ。うぬらはどう考える?」
アグネタはカカオリフィスとアキレスを交互に見た。
真っ先に答えたのはアキレスだった。彼は直感で事を決める性質らしく、このような時の判断は速いのようだった。
「俺としては、ユミトを咎める気になれないな。むしろユミトの心意気っていうのかな……愚直ともいえそうな選択ってのは、かえって俺は好きだぜ」
「うぬの好みの話はしておらぬのだが?」
アグネタはため息まじりにそうこぼした。しかし、アキレスはアグネタの呆れたような表情にも一切気が付いていない様子で続けた。
「良いじゃねえか。女の子を助けるために強敵を相手取るってのも。ユミトはきっと放っておけなかったんだろうな。……一度会って話をしてみたいくらいだぜ。なんなら俺んとこの部隊にいれてやってもいい」
アキレスはそう言って豪快に笑った。
「たわけが。話を飛躍させ過ぎじゃ。今はユミトの処罰について話しておる最中じゃろうて」
アグネタはいつにもまして鋭利な視線をアキレスへと投げつける。
しかし、アキレスは巨大な手を伸ばして、ポンポンとアグネタの肩を叩いた。
「まぁまぁ、固い事言うなって。ばあちゃん」
そのアキレスの振る舞いには、ヤエカも少なからず驚かされる。
アグネタにこのようなフランクな態度を取る人間をヤエカは初めて目にした。
アグネタは、大魔法術士の中でも最高齢で最も厳格な性格の持ち主として知れ渡っている。肩を叩くなど畏れ多くて誰にもできないような人物なのだ。
アグネタは、うっとうしそうにアキレスの手を払う。しかし、怒鳴ったりしないところを見る限り、いつものことなのだろう。アグネタの態度にはあきらめのようなものすら見て取れた。
「俺はユミトには罰則程度で十分だと思うぜ。反省させてやればそれでいい。入学取り消しとか、チャンスを奪うような真似はしたくないな……たぶん俺もユミトと同じ状況なら同じことをしてたと思うし」
アキレスは和やかにそう言ったが、反対にアグネタは目をむいた。
「同じことをしていただと? 馬鹿も休み休み言えこの馬鹿たれが。大魔法術士の称号を剥奪するぞ」
アグネタは今にも魔法術を行使せんばかりの勢いで怒鳴りつける。そのあまりの剣幕にさすがのアキレスも少したじろいだ様子だった。
「落ち着けって……もちろん、昔の俺ならって話だよ。今はそんな事しないよ」
アキレスはなだめるように両手を向けた。
「当たり前じゃ」
アグネタはアキレスの弁明にとりあえずは気を鎮めた。一発触発の事態は避けられたようだった。
「たわけの意見は置いておくとして、カカ、うぬの意見を聞かせよ」
呼ばれたカカオリフィスはいつも通りのポーカーフェイスで師の方へ向かった。
「僕もユミトには普通の罰則で程よいと思います」
カカオリフィスはそう言った後、ほんの一瞬だけヤエカに視線を移したが、すぐにアグネタに戻し、話を続けた。
「彼は確かに、魔法術士見習いらしからぬ行いをしました。しかし、それはまだ何も学んでいないが故の過ち。ならばこれから教育し精神を矯正していけばいいだけのことです。彼からチャンスを根こそぎ奪うのは早計に感じます」
冷静な声で、カカオリフィスはよどみなく答えた。
アキレスよりはだいぶマシな答えを聞けてアグネタは少し安心した様子だった。数回頷く。
「うむ。実はな、わしもユミトはもう少し様子を見た方がいいと思っておるのじゃ。彼奴には素質があるからの。簡単に手放すには惜しい存在なのじゃ。これが、取るに足らない凡夫なら入学を取り消したところで別に惜しくはないのだがの」
「たしかに、道中で魔法術士一人を撃退したって話だしな」
アキレスは少し感心したように言った。カカオリフィスも頷く。しかし、アグネタは首を振った。
「それに関してはその術士が間抜けだったのじゃ。わしが言っているのは彼奴の体質のことよ」
アグネタは語調を強める。彼女はユミトに昏倒させられた術士の不甲斐なさに不快感を抱いているようだった。
というのも、その魔法術士は他でもなくアグネタの部隊の所属だったのだ。
だから、アグネタはその魔法術士が特別に不出来だったことにしたいらしい。
精鋭として通っているはずのアグネタの部下が、ただの見習い生にも満たない少年に撃退されたとあっては、大恥もいいところなのだ。
だから彼女にとしては、やられた魔法術士一人だけが例外的に一般の水準に達していなかったと解釈するほうが精神衛生上望ましいようだった。
しかし、カカオリフィスはそのアグネタの言葉に異議を唱える。
「いえ。それでもそこからは才能の一端が窺えましょう。ユミトに撃退された者も、魔法術士の端くれ。警戒状態から隙を作るのはかなりのものです。そして隙をついて確実に昏倒させるのにも技術が要ります。少なくともユミトが凡百の見習い生よりも見どころがあることくらいはそのエピソードからも読み取れましょう」
アグネタはふんと鼻息を不満げに吐きながらも、一応カカオリフィスに同意をみせた。
「まあな。だが、なんにせよ、やはりユミトは今後の伸び代に期待できる。それは、精密検査からも数値として出ていることなのじゃ。様子を見るに値する才ということになる」
結局、決め手はユミトの体質にある事をアグネタは強調した。
魔法術を使うには体質という大きな才能が立ちふさがる。そして、ユミトはその体質由来の才能を、先天的に申し分なく持っているということだ。
これは精密検査の数値で弾き出されたある種絶対的なものである。アグネタはその事実こそが、ユミトが白の本国にとって必要な人間だと言える本質的な理由だとした。
「ではうぬらとわしの意見をまとめると……ユミトはこの先、白の勢力にとって欠かせぬ者になりえる伸び代があるため、入学取り消しなどの処罰は与えず、反省を促すような罰則にとどめるものとする……という具合でよいかのう?」
「異議なし」
「相違ありません」
アキレスとカカオリフィスは頷く。
「では決定じゃな。それで具体的な刑罰じゃが……禁固罰程度でよかろう。カカ、確かユミトは今地下牢に拘禁しておるのじゃろう?」
カカオリフィスは頷く。
「ええ。昨夕、搬送されてきたその時から」
「ならばちょうどいい。そのまま入学の儀までそこに閉じ込めておけ」
「承知しました」
アグネタは、カカオリフィスのよどみない答えに頷く。そして立ち上がった。
「では、これにて閉会とする。諸君も実務に戻ってよいぞ」
そう言い残してアグネタは早くもドアを潜ってどこかへ行ってしまった。彼女を含め大魔法術士は超がつくほど多忙な存在なのだ。
「んじゃ、俺もいくかなぁ」
アキレスは立ち上がると、大きく伸びをした。その巨体が体を引き延ばすと、裕に普通の人間四人分ほどにもなる。そして、そのままごく自然に窓まで歩み寄ると、そこから飛び降りて行ってしまった。
残されたのはカカオリフィスとヤエカだけになった。カカオリフィスは立ち上がると、ヤエカに視線を向ける。そして、
「ユミトと会いたいのなら、話を通すけど?」
無駄な事は言わず、それだけを尋ねた。
ヤエカがユミトに思う所がある事は、カカオリフィスも良く知っている。しかし、お節介を焼くのは趣味ではないので、控え目に彼はそれだけを聞いたのだった。
しかしヤエカは、
「お心遣いには感謝いたします。しかし、会うつもりはありませんので」
きっぱりとカカオリフィスの申し出を断った。
「そうかい。了解した。じゃあ、僕はもう行くからね」
カカオリフィスは、それ以上は掘り下げず、そう言って一度はドアノブに手を掛けた。しかし、何かを思い出したように振り返る。
「そうそう。君のカリキュラムの話なんだけど、もうサイコには戻らなくても良いそうだよ。本来、君にはあと半月の駐留期間が設けられているわけだけど、今回の手柄を考慮して短縮されたみたいだね」
ヤエカは魔法立学舎の早期卒業を認められていた。三年という非常に短い期間での卒業だ。
しかし、彼女にはあと一つ消化しなければならないカリキュラムが残っていた。
それは、地方の基地で従事する、というものである。
そのため、ヤエカはひと月半ほど前からサイコに駐留していたのだ。
しかし、この度の騒動が起こり、ヤエカは白の本国へと一時的に戻ってくる事態になった。
報告のための一時帰国だ。
本来、報告が終われば、ヤエカはサイコへと戻らなくてはならない。カリキュラムの任期が満了するまでは、再びサイコで従軍するのが原則だ。
しかし今回に限り、ヤエカは侵入者を捕らえた手柄を認められ、特例措置として駐留期間が短縮されたようだった。一ヵ月半の従軍で、カリキュラムの達成を認められたのだ。
カカオリフィスはにっこりと板についた笑みをつくる。
「ゴタゴタしちゃったけど、おめでとう。無事学舎の卒業は認められた。今日から君は魔法術士ヤエカ・ヴラナだ」
魔法術士や魔法術士見習いの一部は大魔法術士の誰かの部隊に配属される。そして、その大魔法術士の持つファミリーネームを賜るのだ。
ヤエカは見習い時代から、師であるカカオリフィスのファミリーネームであるヴラナを貰っていた。
「君の志を前にすれば、まだまだこれからって感じだけど、それでも誇っていいことだよ」
カカオリフィスは賛辞を贈る。
ヤエカは頭を下げた。
「ありがとうございます。すべてはカカオリフィス様のお力添えあってのものでした」
本心からの言葉を返す。
三年前、死に至る傷を受け、何の力も持たなかったヤエカに、カカオリフィスは多忙な中、手ほどきを施してくれた。
ヤエカには圧倒的に時間が足りないから。その限られた時間を無駄なく過ごせるように、カカオリフィスは学舎の勉強とは別に課題を与え、ヤエカを鍛えあげてきたのだ。彼女がこの短期間で魔法術士になれたのには、事実カカオリフィスの存在が大きく関わっていた。
しかし、カカオリフィスは相変わらずの笑顔で、おどけて見せる。
「はは。君らしいな。そんなに謙らなくてもいいのに。三年で魔法術士にはそう簡単になれるものじゃない。君の努力のおかげさ」
彼はそう言うが、ヤエカはさらに頭を深く下げた。
カカオリフィスはこういうあからさまに感謝されたりするのが苦手らしく、苦笑いを浮かべながら後頭部を掻いた。
「……まあ、今後もよろしくたのむよ」
「よろしくお願いします」
ヤエカは言葉とともに頭を上げる。一度頷きを返すと、カカオリフィスは今度こそ踵を返した。