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PW(ポール・ウォー)  作者: 材然素天
二章 出会い
15/34

せめぎ合う意志と意志


「ヤエ姉!」


 ユミトは張りさけそうなほど喉を震わせてその名を叫んだ。昔と同じ呼び名で。

 しかし、前方からの反応はなかった。何も答えず、足取りにも一切の変化はない。相手は淡々と、いっさいの情緒なく、ただ距離を詰めてきた。

 そして、あと数メートルの位置に立つと、初めて口を開く。


「その子を引き渡しなさい」


 彼女は事務的な口調でそれだけを言い放った。三年ぶりに再会した家族への第一声がそれだ。

 彼女が、ユミトの家族である前に、魔法術士であろうとしている事を示しているかのようだった。


「もっと他に言う事はないのかよ!」


 ユミトは寂しさを感じた。生き別れのように突如引き離され、それ以来会っていないのにも関わらず、何も感じていないような姉の態度に。

 ユミトは、再会を強く願っていたのが自分の一方通行だったように感じてしまった。


「ないわ。状況は把握している。あなたが学舎への入学を決めたことも前情報として入っているし、その敵国の子を匿っていることも一目瞭然でしょう?」

「…………本気じゃないよね? ヤエ姉」

 ユミトは歯を噛み合わせる。かけがえのない家族に会えたというのに、頑なに事務的な口調を崩さない姉の心境が彼には理解できなかった。

「二度同じ事は言いたくないわ」

 しかしヤエカは平然とした顔で、髪を掻きあげる。


「……わかったよ」

 ユミトは顔を伏せる。

 三年という月日が姉を変えてしまったのだ。もうかつての、優しくて尊敬できる姉の面影はない。

 ユミトはゆっくりと顔をあげた。


「ヤエ姉は僕の事を、もうどうとも思っていないかもしれないけど、僕はそうじゃないから、これだけは言わせてもらう」

 ユミトはヤエカに頭を下げた。


「命を救ってくれてありがとう」

 ユミトにはヤエカへの比類ない感謝の念がある。たとえ相手がどう変わってしまおうとそれは変わらない。

 ユミトはあの日命を救われたのだ。ヤエカは己の身を削る想いでユミトを庇った。そして、そのせいでヤエカは白の本国での治療を余儀なくされる事態に陥った。

 どこまでいっても、ヤエカはユミトの命の恩人であるのだ。


「僕は今でもヤエ姉の事が大好きだし、当然感謝の想いも枯れていない」

 ユミトは悲しい目でそう言った。たとえ、相手がこちらをどう思っていようと、ユミトの親愛の情は揺らがないのだ。

 ユミトのまっすぐな言葉を受け、ヤエカはわずかに身じろいだようにみえた。

 ユミトは続ける。


「……でもエファを渡す気はないよ」


 ユミトの断言するような口調は、もう気持ちが固まっている事を示していた。ヤエカの表情が引き締められる。


「今エファを引き渡したら、きっと酷い事をするんだろう?」

 周囲の炎が反射し、ユミトの目は焔をあげていた。

 ヤエカはその瞳を、氷のように冷たい目で睨み返す。


「当然、彼女の命の保証はできないわ。苦痛を与えない保証もね。でも、ユミト。あなたの処分が軽くなることは保証することができる」

 ぎょっとして、ユミトはヤエカの顔を見た。


「なっ…………そんな言い草をされて、僕が同意するとでも思っているのかよっ!?」

 あまりに軽んじられたような物言いに、ユミトの頭には一気に血が昇る。

「自分の安全だけ保証されるからって、彼女を渡すわけがないだろう! 馬鹿にするなッ」

 悲しみと表裏一体の怒りをぶつける。


 ユミトはヤエカが本当に変わってしまったように感じられて、悲しかった。

 ヤエカは、ユミトの安全だけを保証することが交渉材料になると思っているのだ。

 昔のヤエカならそんな事を思うはずはない。ユミトには、ヤエカが芯から冷たい人間に変わってしまったように思えた。


 しかしユミトが怒鳴り散らしても、まったくと言っていいほどヤエカに反応はない。ただ同じようにまっすぐユミトの目を見据えるだけだった。


 ユミトは続ける。

「エファは兵士じゃないし、この都市を攻撃するために来たわけでもない。だから、魔法術士に捕えられて、殺されたり、苦痛を与えられたりするいわれはないはずだよ」

 説得するように、ユミトは自分の行動の理由をヤエカに提示する。

 しかし、


「その話を証明する事実はあるのかしら? あったとしてもその子をこの場で取り逃がしていいことにはならないけれど」

 ヤエカは口先だけで喋っているような、温度の無い言葉をよこしてきた。


「証拠……になるかはわからないけど、エファが言っていたんだ」

 ユミトが言うと、ヤエカは一瞬だけ、彼の腕の中にあるエファを睥睨した。そして、

「話にならないわね。彼女の言葉に証拠能力はないわ」

 吐き捨てるようにヤエカはそう言う。


 その言葉にユミトは怒りを通りこして虚しさを感じた。

「本当に変わってしまったんだねッ…………ヤエ姉」

 ヤエカの冷たい眼光をこれ以上直視出来ず、ユミトは目を逸らした。


「それなんだよ、ヤエ姉。僕が魔法術士にエファを引き渡したくない理由は。彼女の言葉に耳を傾けない人間に彼女を渡すことは出来ない」

 ヤエカはユミトの返事にため息を吐いた。


「少しは頭を働かせなさい。彼女は敵国の人間。どのような手でこちらに取り入ってくるか分からない相手なの」

「けど、それでエファの言葉をまったく聞かないまま殺してしまって、もし本当に彼女が敵国の兵士じゃなかったらどうするつもり?」

「どうもしないわ」

 ヤエカは至極当然の理のように即答した。


「私達は戦争中なの。敵国の人間のことまで気に掛けている余裕はない。

 その子が飛竜を扱う術を心得ていて、私達の勢力に脅威となる力を持っているという事実のみが重要なのよ。たとえその子にその気がなかったとしても、その子を無力化する事は絶対に必要だし、その子を本国に連れて行けば、研究に活かせるかもしれない。私達の勢力にとってプラスになる情報を得られるかもしれないのよ」


「研究に活かすって……いったいエファに何をする気だよ、ヤエ姉!?」

 ヤエカの一言が電流のようにユミトの脳内を走り抜けた。

 ユミトの手に力が籠る。

 エファを絶対に離すまいと、彼女の体を引き寄せた。


「敵国の人間だからって……どうして相手を利用する事しか考えられないんだ! こっちの勢力にとってプラスになるからって、何をしても良いわけじゃないだろう!」


 燃えるような思いがユミトの内から湧き出してくる。相手がヤエカだったからということもあるだろう。今のユミトの怒りには、信じていた姉が変わり果ててしまっていることへの不満も相乗されているようだった。


 炎の影響で空気が薄い。ユミトの息は荒くなっていた。

「敵国の人間にだって大切な人がいるんだ。ヤエ姉が利用しようとする相手だって、誰かの大切な人かも知れない。

 ヤエ姉には大切に思う人がもういないの? 僕の知らない三年間で、そんな人間になってしまったの?」

 ユミトのその言葉にヤエカの周りの空気が変わる。


「子供みたいな物言いはそれくらいにしなさい」

 ユミトの言葉のどこかが彼女の心に触れたらしかった。

 今まで平静を装っていたヤエカの顔に初めて感情らしきものが浮かぶ。キッと目を鋭く尖らせて弟の顔を見た。そして、


「人は囲いの内側しか守れないのよ。線を引いて、その内側しか守れない。いい加減、それくらいわかりなさいッ」


 今日ユミトと対峙してから初めてヤエカは声を荒らげた。

 凍ったように冷たい色をしていた目も、今では燃え盛るように炎の色を反射していた。

 その目にユミトも同じく焔色の瞳で相対する。


「たとえ、囲いの内側しか守れないとしても、エファは僕の囲いの内側にいるッ」


 真っ向から、ユミトはヤエカに言い放った。意志と意志がぶつかり合い、火花を散らす。

 ギリリとヤエカは歯噛みをした。


「物事には優先順位がある。多くを守ろうとすればするほど、対象を守りきれなくなるリスクは上がっていく。本当に守りたいものがある人間は、守るべきものを厳選するのよッ」


 大声を上げると、ヤエカは右手にうずきを感じた。

 彼女の右手では今なお、魔法線による破壊が進行している。この三年で、もう手首の位置まで黒ずみ始めていた。指先に至ってはもう感覚が薄れ出している。常に手袋をしている彼女だが、持続的な痛みがあるため、その傷の存在を忘れることはできなかった。


 ヤエカは痛みをねじ伏せるように、かたく拳を握り込む。

「敵国の人間を守ろうとすれば、自国の人間に……つまり、より大切な人間に危険が及ぶかもしれないことは明白。それでもあなたはまだその子を庇おうと思えるのかしら?」


 ヤエカは再びエファを見た。

 その目はおそらく敵にむけるのと同じ、憎悪の目だった。

 ユミトは体をよじり、ヤエカのその視線を遮る。自分の体をヤエカとエファの間にねじ込んだ。


「僕は二度同じことを言いたくないね」

 ユミトはエファを一度地面に置き、そしてゆっくりとヤエカの前に立ちふさがった。重心を下げ、拳を握り込む。臨戦態勢をとった。

 もう話すことは何もないということだ。


「そう……」

 ヤエカも視線をエファからユミトへと移した。

 そしてその瞬間、一体を包んでいた炎の壁が吹き消されたように消失する。炎の光が失せ、再び一帯は雨の中に戻される。


 疎らに小さな残り火が虚しく揺れる。あたりは寒々しいほどに焼き払われていた。灰が風の煽りを受け舞い上がる。目が痛くなるくらいだった。


「あなたは昔からそうだったわね……」

 ヤエカは腰に差していた直刀の鯉口を切る。

 その直刀は、不思議な形状をしている。

 鍔の部分が妙だった。中心から深緑の光が漏れ、その光を中心に、サイズの違う八枚のリングが不規則に回転していた。

 ヤエカは直刀を抜き放つと、刃を弟へと向ける。


「言っても聞かないなら、叩きのめしてわからせるまで」

 彼女は腰元のポーチから注射針のようなものを取り出すと、流れるような手つきでそれをそのまま自らの大腿部に突き刺した。


 注射針の中に充填されていた何かが、ヤエカの中に流れ込む。その瞬間、彼女の顔がわずかに引き攣った。

 ユミトにはヤエカが具体的に何をしようとしているのかまるで分らないが、とにかく、彼女が今抜いた刀で何かを仕掛けようとしていることだけは嫌でもわかった。


 ユミトはすぐさま距離を詰めようと、正面に飛び出す。

 もう戦闘は始まっているのだ。遠距離攻撃手段を持つと思われるヤエカに猶予は与えられない。基本的に、魔法術士を相手どった場合、魔法術を行使させる前に仕掛けなければこちらに勝機はないのだ。


「(速い……)」

 ユミトの速力、それはヤエカの予測を凌駕するものだった。

 しかし、それはあくまでヤエカの予想の中のユミトよりも実際のユミトのほうが速かったというだけのこと。

 ヤエカとユミトの実力差はそのような走力の程度の問題で埋まるほどのものではなかった。


 ヤエカは直刀を構える。鍔で回転するリングたちが加速しだした。

 そして、ユミトが距離を詰め切る前に、ヤエカはこう唱える。


「時流刀〝ルクルイ〟陽性第三展開」


 言葉と同時、ヤエカの持つ刀の鍔が強烈な光を放った。

 それまでも光っていたが、その光が強く広がっていく。手をかざして光を遮る間もなく、その光はユミトの視界を埋め尽くした。

 そして、次の瞬間、


「おわりよ」


 それまで正面にいたヤエカの声が、いきなり背後から聞こえてきた。ユミトはすぐさま背後を振り向こうと体を捻る。

 しかし、ユミトが声の方向へと向き直る前に、もう勝負は決した。


 こめかみに強烈な衝撃を受ける。

 ぐらりと、視界のすべてが強く揺さぶられた。

 前後左右の概念も消失し、意識が混濁していく。

「エ…ファ…………」

 意識の揺れに合わせて気が遠くなる最中、視界の端にいるエファをユミトは最後に捕えた。


 しかし、その影に手を伸ばす猶予もなく、ユミトの意識は完全に闇へと落ちる。



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