少女を探して
ユミトは全速力で駆け抜け、森に到達した。
彼は必至だった。
少女を救うのであれば、魔法術士たちよりも早く彼女を見つけだし、保護しなければならないからだ。
あのティクオンの一撃を間近で受けた少女達が無傷なはずはないと彼は考えていた。
事実、そのあと彼女たちが為すすべもなく、森まで落下したのを彼は見ている。
だが、ユミトは落下の様を海岸線近くの低い位置から見ていたため、落下地点が森のどのあたりかまでは確認できなかった。
正直、少女たちが生きているのかすら、彼には不明瞭であった。ましてや、今の少女に魔法術士と対峙して逃げる余力があるとは思えなかった。
もし、魔法術士が彼女を見つけるより先に自分が彼女を見つけられなければ、彼女は殺されてしまうかもしれない。ユミトはそう考えた。
軍の拠点は後方に位置している。ユミトのいた海岸線付近に比べると、森までに距離があった。そのため、ユミトはおそらく自分が魔法術士たちよりも先んじている自信はあった。
まだ、勝機はあるはず。ユミトは森に分け入った。
森に入ってみると、特異な気配を感じた。肌にしみるような、まるで空気中に何か刺激物が漂っているかのような感覚だった。
その感覚は初めてではない。彼は似たような感覚をあるものを前に味わったことがある。
それは、忘れもしない三年前、あの洞窟でヤエカとともに対峙したあの亡者から感じた気配に似ていた。もちろん不快感の度合いはまったく違うが、系統は酷似していた。
こちらの身を脅かされるような感覚。ユミトは、これは対立種族である〝陰性人〟が発するものなのだと直感した。
本能が告げているのだ。この先に天敵がいると。
「(この気配を追っていこう)」
ユミトは目を閉じ気配を追った。必要ない刺激を遮断して、漂う気配に集中する。気配の濃度というのだろうか……肌を刺激する感覚が強いと思われる方向を特定していった。
しかし、
「…………」
集中してみたが一向に方向が特定できなかった。
ユミトはさらに耳も塞ぎ、息も止めてみた。
視覚・嗅覚・聴覚を全て遮断し、肌に感じる気配に全集中力を傾ける。
だが、対象との距離があり過ぎるせいなのか、気配にむらがあるようには思えなかった。おそらく、このまま同じ位置で立ち止まって探っても時間の無駄だろう。
ユミトは気配を気に掛けながら、慎重に森の中へと探り入った。
……だがそれでも、中々発信源の方向を定かにすることは出来ない。思ったよりも慣れを必要とする作業なのかもしれなかった。
そのまましばらく進んだある時、ようやく彼は気配のコントラストを感じ取った。
わずかにだが、全身で感じる気配の中に、むらが生じているのを感じることができた。」その気配の強いと思われる方向に彼は進んでいく。
そして、その方向に進めば進むほど気配は強くなっていった。
「(……間違いない。この先に気配の主がいるんだ)」
彼は確かな手応えを感じる。
次第に濃くなる気配は発信源に近づけている証拠。彼の期待は高まっていった。
気配の先にいる彼女を、魔法術士よりも先に見つける事が出来れば救う事もできるかもしれない。
だがそこで、ユミトは不意には足を止めた。
今突然、彼の中に、ある一つの疑問が浮上したのだ。
もし、彼女が正真正銘の敵であったら?……と。
そちらの方がむしろ自然なのだ。なにせ、彼女は生物兵器である飛竜にまたがり、この街サイコに入ってきたのだから。
ここまでユミトは、根拠もなく、撃墜された少女に害がないと思い込んでいた。そして、助けようとさえ思ったのだ。
しかし今、少女に近づいているという事実が、彼に、自分の行動の意味と妥当性を再検討させた。
自分が今からやろうとしている事は、本当に正しいのかどうか、ようやく今疑問に思い始めたのだ。
あらゆる意味で、このまま足を進めれば、リスクが高まっていくことになる。
少女がもし、こちらに何らかの害意を持っており、さらに彼女にまだ余力が残されていたとすれば、のこのこ前に現れた瞬間、ユミトは殺されるだろう。
そして、仮に少女が戦う力を持たず、ユミトが彼女を連れて逃げる事態になったとしても、それは自国への反逆行為になるはずだ。それだけの事をして救って、彼女がもし本当に白の本国へ攻め入ろうとした敵であったらどうするのか。
だいたい、彼女の行動にはおかしい点があり過ぎた。
まず、根本的に、なぜ単騎でこの街に突っ込んできたのかが分からない。
実際にはもう一騎が背後に控えていたわけだが、それでもティクオンの配備されている白の本国の要地に攻め入るにしてはあまりにも無謀すぎる行動にかわりはない。
事実として、為すすべもなく彼女はティクオンの攻撃に曝され、撃墜されている。
これも疑問だった。
黒の勢力の兵士の、それも飛竜を操るレベルの高級兵が、ティクオンを前に単騎で馬鹿正直に突っ込むものだろうか。
それとも攻撃を受ける直前の瞬間移動のような妙な魔法術によって躱す事が出来る算段であったのだろうか。
そして、背後の飛竜が、どうして彼女が攻撃を受けるまで連携をみせなかったのかも不明だった。
少女への疑問点は山積している。
そしてこれらの疑問は、そのまま翻って、彼女をただの敵兵だと断言できない理由でもあった。
ユミトは少女たちが攻撃を加える所を見ていない。
それは攻撃を加える前に彼女たちが撃墜させられたせいかもしれないが、攻撃挙動を見ていない以上、彼女達に攻撃の意志があったのかは不明と言うよりなかった。
後続の飛竜の攻撃も、こちらに損害を与えるために攻撃したというよりかは、少女にトドメを刺そうとするティクオンを妨害し、注意を引きつけるために行動したように見えた。
そしてその飛竜の攻撃を見て、ユミトはもう一つ疑問に感じたことがあった。
それはその飛竜の射程距離である。
後から現れた飛竜が攻撃をした位置は、少女がいた位置よりもティクオンとの距離が離れていたのだ。
そのため、もし射程距離に飛竜の個体間でそれほど差がないとすれば、少女の飛竜は、ティクオンに捕捉される前からすでに攻撃可能であった事を意味するはず。
……もっといえば、少女は攻撃可能でありながら、攻撃を加えなかったともいえるだろう。
そう考えると、彼女が敵なのか、そうでないのか余計にわからなくなってくる。
未知の部分が多すぎた。もちろん彼女の行動に害意がないという可能性のほうが圧倒的に低い。
しかし、彼女が敵であると言い切ることも出来ないくらいには未知であった。
行くべきか、行かざるべきか。
カツン…カツン…と、ユミトの帽子に、大粒の雨滴が規則的にぶつかる。
彼の判断を急かすように。時の経過を教えるように。
激しさを増す雨に、葉はもう傘の役割を果たしていなかった。ぬかるむ地面に彼の足はわずかに沈み込む。
行くべき理由はほとんどないに等しい。行かざるべき理由は十分に揃っている。ただもし彼女が、こちらに牙を向けるような存在でないのならば…………。
大空の中、天色の飛竜にまたがる少女。意志を宿した瞳がユミトの胸を突いた。
会った事もなく、あまつさえ敵国の人間であるのにも関わらず、どうしてか彼女に嫌な感じはしなかった。
彼は一歩、右足を進める。しかし、左足はすぐに出ない。
踏み出そうとする足を引き止めるように、彼の頭の中で、このまま彼女に会う事のリスクが再浮上してくる。
殺されるかもしれない。
そうでなくても反逆行為に手を染める事になる。もし少女を逃がす手引きをした上で捕えられれば、厳しい懲戒処分が待っているだろう。
彼は右足を戻した。
しかし、魔法術士が少女を先に見つけてしまえば、すぐさま彼女を拘束し、本国へ連れ帰って利用できるだけ利用するか、さもなければ問答無用で殺すはず。
おそらく魔法術士たちにとって彼女の意志など関係ない。厄介な能力を持った危険物か、さもなければ貴重な実験サンプルとしか見ないだろう。
彼女に待っているのは残虐な未来だけなのだ。
今現在、彼女をその悲惨な未来から救う事ができるのはおそらくユミトだけだった。
ユミトはゆっくりと、二歩三歩と足を進めた。
捕虜がどういう扱いを受けるのかはわからない。しかし、おそらく待っているのは、死か、それ以上の苦痛だろう。その様子を想像してみたら、もう彼は足を止める事が出来なかった。
魔法術士たちが先に見つければ、彼女の話を聞くことはないだろう。
もし彼女が本当に敵ならばしょうがない。しかし、そうでなく何か理由があるのなら、ユミトは彼女をこの国から帰してやりたいと思う。
これは破綻した考えなのだろうか?
陽性人の少年が、陰性人の少女の身を案じる事は、おかしな事なのだろうか?
……その時、突然前方からの気配が弱まった。
これまで追跡してきた、肌を刺されるような刺激が弱まったのだ。
これはエファがクオルを〝亜天上界〟に強制転移させたためにできた変化であるが、ユミトには知る由もなかった。
この気配の変化にユミトは動揺した。まさか、自分がこまねいている間に何か決定的な事態が起こってしまったのではないかと。
少女の身にすでに何か起きてしまったのではと。
ガリガリガリと、ユミトは頭を掻きむしる。
「……もう、考えてる時間もない」
ユミトは頭の中に存在し続けている迷いを黙殺し、地面を蹴った。
そこからのユミトは速い。
リスクに後ろ髪を引かれ、遅々としていた今までの歩みが嘘のように。
今まで押し込めていた何かが爆発し、推進力を得たようだった。
彼が見据えるは正面だけ。小難しい考えは捨て、ただ少女のもとへ向かうことに決めた。
状況に身を任せ、すべて起こってから対処すればよい。彼はそう考えることにしたのだ。
ユミトは全力で駆け抜ける。彼の脚力をもってすれば、片足で地を蹴ると軽々五メートルは跳躍できる。
ぬかるんだ地面を避け、ユミトは木の幹を蹴って進んだ。木の幹から、次の木の幹へ。地面に足をつくことなく、森の中を、糸を縫うようにして激烈な速さで進んでいった。
「!?」
だが、破竹の勢いで進んでいた彼の足が不意に止まる。ユミトは木の幹に足を立てたまま腕で枝と幹を押さえ、難なく勢いを殺し、静止した。
追ってきた気配にむらが生じたためだった。今まではまっすぐ対象の方に向かえていたのか、正面から均等な気配を感じていた。しかし、その気配の分布に今変化が生じ始めていた。
「……動き出したのか?」
その気配の変化はおそらく対象が移動を始めた事を示していた。
ユミトは素早くその気配のバラつきを読み取る。
体に感じる刺激のような気配の分布。その変化の仕方を分析すると、相手の動きが読めるのだ。
気配の変化は規則的で、彼女が直線的に移動している事が類推できた。
これはかなりの高度な技術をようする作業だったが、ユミトは早くも気配を追うことに慣れつつあった。
それ以降は、止まることもなく分布の変化に合わせて進路を矯正しつつ少女を追って行く。
この気配の元が少女だとするのなら、思ったよりも動けるのかもしれないな、とユミトは思った。もちろん、深手を負っているかもしれないという彼の想像よりもというだけで、ユミトが追いつけない程の速度は出ていないわけだが。
そのまましばらく進むと、また気配のむらに変化がなくなった。それはおそらく少女が動きを止めた事を意味していた。しかも、その気配はかつてないほどに強い。かなり近くにいる証拠だった。
もう間近に迫っている。そしてこの先で少女と会えば、戦うことになるかもしれない。飛竜が健在の可能性もある。
彼は思わず、再び木をよすがに足を止めた。
「(飛竜は出したり、しまったりできるって聞いたことあるけど……)」
ユミトも噂で、飛竜の召喚の事を漠然と知っていた。
今のユミトは、専門的な知識は持ち合わせていなかったが、なにやら魔法術のようなもので飛竜を突然出現させたり、消し去ったりすることが出来るという事くらいの認識はあった。
そして、出したり消したりできるのならば、傷ついた飛竜をわざわざ出しておかないだろうとも、彼は思っていた。
彼はティクオンの攻撃の際、眩い閃光の中で、飛竜が少女を庇う所をうっすら見た。
そのため、ユミトは少女よりも飛竜の方が大きなダメージを負ったであろうと見なし、これまでは飛竜の存在をあまり考えずに思考を進めてきた。
しかし、それも決して確定事項というわけではないのだ。もし飛竜が健全ならば、彼はそれこそ会った瞬間に噛み千切られるかもしれない。
間近に迫り、今更ながらリスクが前に出てきた。怖気づきそうになるが、それでもユミトは首を振る。
「もう決めたんだ」
あらゆるリスクについても考え、その末に彼は、すべては行動を起こしてから対処していくと決めたのだ。そうと決まっているなら、今更、恐怖を煽るような事態を想定してもしょうがないはず。
彼は枝の上にくるりと体を移し、両の頬を叩いた。気持ちを切り替えるのだ。
彼は枝の上から正面を見据えた。ひょっとしたらもう見える位置にいるかもしれないと思ったからだ。
しかし、周りの木々に視界は阻害される。いくらユミトの視力が良いとはいっても遮蔽物に囲まれているのであれば、透視能力でもない限り遠くを見通すことはできなかった。
「ここからは慎重にいこう」
できれば、少女の前に飛び出していくよりも先に、あちらの状況を知っておきたかった。特に飛竜を傍らに控えさせているのか、否か。最低限それは前もって知っておきたいところだ。
そのためには、少女に気が付かれるより先にこちらが少女を視界に収めなければならない。迂闊に飛び出せば、事態を無駄にかき乱してしまいかねないのだ。
隠密行動が求められる。
物音と、姿を見られる事にさえ気を付けていれば大丈夫だろう。
気配によって、少女に自分の位置を悟られることは無いと、ユミトは確信していた。
これまで、苦戦を強いられてきたユミトにとって、気配を追う作業がどれだけ繊細で難しいのかもう悟っている。ユミトは、森の中に一つだけ少女の異質の気配があるから、追うことが出来ていたのだ。
サイコには、ユミトと同様の気配を発する物に溢れている。
特にティクオンなど、強烈にすぎる程の陽性のマナを発しているのだ。
だから、この森の中のユミトの気配などティクオンに塗りつぶされている。
ユミトが少女に気配を察知される事なく接近できているのもそのためだった。
ユミトは、気配を追いながら、音を立てないように慎重に進んだ。気配で感付かれることはなくとも、向こうには目も耳も鼻もある。向こうより先に、相手の姿を確認したいユミトは、細心の注意を払わざるを得なかった。
しかしその慎重に慎重を重ねた接近がかえって仇となる。
「!?」
その時、彼の追っている気配に変化が生じた。
彼は枝の上でしゃがみ込む。
今までで一番といえる気配の変化だ。
まず、気配自体が濃く強くなっていた。そして体に感じる刺激の分布にも激しいバラつきが生じている。
バラつきが生じたのはさっきも同じだが、ただ単に対象が移動しただけのバラつき方ではなかった。
ただ動いただけならば、その気配の変化の仕方を分析すれば、指向性のようなものが見えてくる。しかし、今回のバラつき方はめちゃくちゃであった。
結果からいうと、気配をまったく追えない状態になってしまっていた。理由はユミトにもわからない。今まではシンプルで規則性を持って気配が変化していた為に追えていたが、それが不意に不規則な変化を始めてしまったような感じだった。
この気配の変化はエファがホーンラビットを八体召喚したために生じた現象である。
気配を発する対象が複数の移動物になったことで、それぞれの気配が干渉しあい、より複雑になる結果となった。定点で気配を観測しているユミトにとってはそれが不規則な変化に思えてしまっても仕方のないことである。
「(どうする……)」
ユミトは、少女が魔法術を使い追手を攪乱しているのだと悟った。
しかし、どうして今までその魔法術を使わなかったのかという疑問も出てきた。
少女が落下してから少し時間が経っている。
敵に気配を察せられると知っていたのならば、真っ先にその魔法術を使うべきではないだろうか。しかも、ユミトが森に入ってしばらくの間、少女は移動すらしていなかった。
ここから考えうる少女たちの状況はいくつかある。
一つ考えられるのは、動き出すまでの間、少女たちは気を失っていたパターンだ。これならばしばらくの間移動せず、魔法術を使わなかったことにも説明がつく。
別のパターンは、移動していない間に、何か重要な事を行っていたというパターン。例えば、敵を攪乱するための魔法術を使うために、何か下準備が必要で、それを移動していない時間の最中に行わなければならなかったのかもしれない。
または、気配を追ってきた敵を撃退するためのトラップを仕掛けていた線も考えられる。
あるいは、傷ついた飛竜を一度魔法術で消し去ったのかもしれないし、はたまたまったく想像もつかない事を行っていた可能性もある。
……あまり確かなことはなかったが、少なくとも飛竜が移動手段としての機能を失ったであろうことは言えそうであった。
森から飛行で逃げないのは、ティクオンを警戒してのことかもしれないのでそれだけで飛竜が機動力を失ったとは言えない。
しかし、森内部での移動もそれほど速い様子はなかったのだ。飛竜が健在ならば森の中を移動するのに、わざわざノロノロと移動する理由はないはず。
少女が飛竜を手放したか、または、飛竜自体に機動性が無くなったか、のどちらかだろう。
そして、そこまで考えた時、ユミトにある考えが閃いた。
それは、先ほど突然気配が弱まったのは、飛竜を魔法術で消し去っていたからではないのか、という仮説だった。
この仮説ならば、一応の筋は通るのだ。
最初に硬直時間があった理由も、その直後に気配が弱くなった理由も、飛竜が魔法術によってこの場からいなくなったからと説明がつくはずだ。
そしてそのすぐ後の移動の際に速度があまりなかったことも、飛竜を消し去ったためと説明できる。
「となると……」
ユミトは手で幹を押し、その反作用で足元の枝に荷重を加えた。ギリリと、彼の立っている枝がしなる。そして、その木のしなりの復元力を利用して……
彼は正面へと飛び出した。
彼が目指しているのは、気配が分からなくなる直前まで少女がいたであろう場所。
ユミトの予想した仮説によると、飛竜はおそらくもういないため、少女にもそれほど移動速度はない。となると、彼女はまだ近くにいるという事になるはず。
今が最後にして絶好の機会なのだ。
もう今までのように、悠長にしている暇はない。少女が攪乱の魔法術を講じた今、もし再び少女に距離を離されるようなことになれば、もうユミトさっきのようにすんなりとは接近できないはずだ。そして、そうなれば彼女を探り当てるのに有利なのは、人数でまさる魔法術士たちの方になってしまう。
だが今だけは、ユミトのアドバンテージの方が大きい。
彼はもう目前にまで少女に接近できているのだ。そして大まかな位置まで把握しているのだ。少女の機動力はたかがしれているため、今ならばまだ見つけ出せる段階にあるのだ。
ユミトは木の幹を蹴り、己の五感を頼りに、探りながら駆け抜けた。
誰よりも速く。今まで持て余してきた己の力を全て出し切るつもりで。
ここ三年、ユミトは本気で何かをしたことがなかった。
何かに打ち込んだりする感覚を忘れかけていた。
日常のほぼすべてのことは、本気を出すまでもなく解決していたのだ。人間離れした身体能力を持つ彼は人と競い合う必要もなかった。周囲との比較の内にある、競うという行為は、ずば抜け過ぎている彼にとって何の刺激も伴わないのだ。
だが、今は違った。彼が競っているのは魔法術士。彼以上の能力の持ち主たちだ。全力でいかなくては負ける。敗色は濃厚なのだ。
このような感覚はいつ以来だろうか。緊張が背筋をまっすぐに駆け抜け、全身がうずくような感覚を覚えるのは。
高リスクの難題。自ら窮地に飛び込むような真似をしているにも関わらず、ユミトは奇妙な昂揚感を感じていた。
もっと速く。まだ速く。
木を蹴る、次の木を蹴る。また次を蹴る。
次、次、次。
思考を加速させていく。意識を先に走らせる。肉体を置いて、吹きすさぶ風となる気持ちで。前へ進んでいく。
自分を突き動かす衝動の正体はいまだわからない。
何が自分をそうさせるのか。
……天色の少女。飛竜と同じ色の宝石を耳に提げていた。
ユミトが少女を視界に入れるられたのはごく短い時間だったが、その一瞬のはずの姿かたちが詳細に鮮明に彼の網膜には焼き付けられている。
その姿が脳裏にチラつく度に、ユミトは燃えるような衝動を引き起こされるのだった。
燃焼し、錆びついていた彼の心の歯車を動かし、全力を引き出すのだ。
だから彼は思考を、体を前に奔らせる。己の衝動に忠実に、と。迷うことを無くした彼の体はリミッターが外れ、全力以上の力が引き出されていた。
少女を絶対に見つけ出す。そして彼女を見定め、救う。そんな盲信的なまでのただ純粋な願望が、彼を衝き動かしていた。
そして、ついにその時はくる。
木の幹を蹴り、宙を舞う彼は、とうとう彼女を視界に捉えた。
宙を舞う勢いの途上にあったユミトは体を捻りながら、彼女を窺った。
その姿は見紛う事もない。さきほど大空の彼方に見た少女その人であった。
加速する意識。俯瞰する視界。遅延する世界。
その最中、空中で彼女を発見した彼はそのまま空中姿勢を整えながら、半分捻りを加えて次の木に両足で向かった。
そしてその間も、時の経過が緩まるような妙な感覚を覚えつつ、彼は空中で器用に少女を視界の中心に据え続けた。
そしてそのまま少女を飛び越え、次の木に到達した瞬間、木の幹を蹴り、斜めに地面まで入射した。
数瞬、ぬかるんだ地面に食い込むように勢いを止めた後、彼は彼女と向かい合った。