エレベーター
ドアを閉めると、ロックがかかっていることをこっそりと確認した。
憧れのオートロック。
私はドアを軽くなで、ニヤニヤしながらエレベーターへ向かった。
ここへ引っ越して来てからもうすぐ1週間。
今までのボロアパート暮らしとは真逆の生活だ。
私はハリウッドのセレブがつけるような大きなサングラスをして出かける。
派手に飾られたネイルはスマホを操作するのには不向きだけど、液晶にネイルが当たり カツカツと音を立てるのが心地良く感じた。
エレベーターに乗り込み、1階のボタンを押す。
このマンションは17階建てで、私は12階に住んでいた。
本当は最上階に住みたかったけど金銭的な問題により、ランクを下げて12階になった。
エレベーターが1階へ向かっている間、誰も乗ってこない事を願いつつスマホをいじる。
その願いも虚しく、私が乗ってすぐにエレベーターが他の階で止まった。
私は他人との関わりを嫌っていたので、顔を上げる事なくスマホと睨めっこした。
乗って来た人間も特に無駄な挨拶をするわけでもなく、私と距離を置き黙って立っているようだった。
少しホッとする。
引っ越した次の日にエレベーターで出会ったオバサンは最悪だった。
今日みたいにサングラスをかけスマホをいじっていたのに、そのオバサンは私の顔を覗き込むようにして「女優さんか何かですか?」と声をかけてきたのだ。
私はオバサンの近さとその発言にビックリして顔を上げてしまった。
オバサンは、1階から私の住む12階までずっと喋り通し、私が下りた後もエレベーターの扉を開けたままにして私の向かう部屋をチェックしていた。
嫌な思い出を蘇らせていると、エレベーターが停止して突然明かりが消えた。
多少驚きはしたものの、私は特に何事もなかったように黙って光るスマホの液晶を見つめていた。
昔住んでいたボロアパートでは、よくブレーカーが落ちたり、電気代が払えずに暗闇で生活をしていた。
なので、これくらいの出来事では動揺しない図太い神経になっていた。
幸い、乗り合わせた人も騒ぐ様子もないので ゆっくりと友人の近況を確認する事が出来る。
SNSを開き、自分のページにコメントがついているかを確認する。
数件のコメントを読み終えると次に友人の更新状況を確認した。
どれもみな自慢話だらけ。
他人に「自分は幸せです」とアピールするような内容ばかり。
高いブランドのバッグをプレゼントしてもらっただの、高級レストランに連れて行ってもらっただの。
もちろん、写真付き。
その写真も、自分を精一杯可愛く魅せるアングルで、バッグや料理よりも自分の方がメインに写っている。
カチカチとネイルが液晶に当たる音が響いている。
バッグをプレゼントしてもらった友人には、羨ましい、自分もそんなプレゼントをしてくれる相手が欲しい。と、心にも無い事をコメントした。
高級レストランの写真を載せている友人にも同様に羨ましいといった内容のコメントを残した。
本当に羨ましいと思える投稿には敢えてコメントはせずに、気付かないフリをした。
唯一本心でコメントを残したのは、幼馴染の子が犬を飼い始めたという投稿にだけだった。
もうずっと顔を合わせてはいない、引きこもりの幼馴染。
その子の投稿に対してコメントをしているのは9割5分私で、残りは通りすがりの人間が気まぐれにコメントを残したものだった。
「そのネイル、可愛い」
暗闇の中から突然女性の声がした。
私は動きを止め、声のした方向へと耳を傾けた。
そこで、乗り込んできたのが女性だったのだと気付く。
私の手元が液晶の光を浴びて見えたのだろうか?
かすかな声だったので彼女が独り言を呟いたのか、それとも私に話しかけてきたのかは分からなかった。
様子を伺っていると、更に彼女は話を続けた。
「私の爪、ちょっと前までは鮮やかだったのに…今は色味がなくて…。」
私はなんて言っていいのか浮かばず、ただ声がしたであろう辺りに顔を向けた。
相手からは私の姿が薄っすらと見えているのかもしれない。
でも、私からはその人の姿を捉える事は出来なかった。
「少しお話しをしてもいい?」
その人は囁くように言った。
「……いいですよ。」
私は少し面倒だったが、彼女が下手にパニックになるよりはマシだろうと、無駄なおしゃべりをOKした。
私の返事に反応して、人が動くような気配がした。
「あなた、お付き合いしてる方はいるの?」
初対面にしては突っ込んだ質問をしてくる女性だ。
「まぁ…いるっちゃあ、いますけど。」
実際、恋人と呼べる相手はいなかったけど それなりの関係を持っている相手は沢山いた。
「どんな方?」
彼女は更に突っ込む。
「うーん…まぁ、普通かな?何処にでもいるような男ですよ。」
最初に頭に浮かんだ相手を恋人に見たてて話をした。
一通り私の妄想彼氏の話をすると、今度は彼女が話し始めた。
「私の恋人はね、最低な男なの。」
私はその言葉を聞いて、この女性は誰かに愚痴を聞いて欲しかったんだと思った。
人の話を聞くのは得意な方だ。
興味の無い話を面白そうに聞き、相手を上機嫌にさせるのが私の仕事だった。
ただ、今はお互いにアルコールが入っていない。
「どんな人なんですか?」
相手が話したくてウズウズしているだろうと思いながら質問した。
「彼…私の事を束縛する人なの。」
愚痴と言うより、のろけたいのだろうか?
「そうなんですか…。よくいますよね、そういう束縛男。」
アルコールがないからか、あまり気乗りしない。
「うん。でもね、ちょっと異常かもしれない…。私が彼のお父さんや弟さんとお話ししても怒るの。」
「ええ!!」
私は素で返事をしてしまった。
彼女も私の反応の大きさにビックリしたのか、少し体をビクつかせたように感じた。
「さすがに親や兄弟にまで嫉妬する男は異常かもしれないですね~」
「でしょう?だから、会社の人や友人に街で会った時は大変なの。露骨に嫌そうな顔をして、相手にも分かるような態度を取るのよね…。」
「え…失礼ですけど、彼氏さんていくつの方ですか?」
「23歳。私より7歳も若いのよね。」
「23!!…え?てことは、30歳なんですか?」
「あ、でもまだ誕生日が来てないから…ギリギリ20代。」
「あ、私も今29で、今年30になるんです!」
「え?じゃぁ、同い年なのね!」
「タメだね!」
話し方と声のか細さから、なんとなく歳上の女性と思っていたけど、彼女は私と同じ歳だった。
急に親近感が湧く。
「若いから心配して束縛しちゃうのかな?どこで出会ったの?」
「よく行ってたレンタルショップの店員さんで…」
「レンタルショップの店員さん?すごーい!ドラマみたいな出会いだね!」
私は純粋にその話を楽しんでいた。
「付き合った頃は平気だったんだけどね、段々と束縛が激しくなって…」
「え~、でも、束縛するくらいならまだいいじゃん?」
「あとはね、ちょっと被害妄想が強いかな?」
「ああ~!束縛する男ってだいたい被害妄想強いかも!!」
「それに……怒ると手を上げるの。」
「え!?それってDVじゃん!!」
「DV…そうだね、そう言うのかも。」
「やめなよ~!そんな男といても幸せになんてなれないから…」
ふと、過去の自分を思い出す。
心の奥底にしまっていたはずの記憶。
「経験あり?」
彼女は少し申し訳なさそうに聞いた。
「うーん…、遠い昔にね!まだ10代だった頃だから。そんな事より、今日はその男と会うの?」
私は自分の記憶がハッキリと蘇らないうちに彼女の話に意識を集中させた。
「今日は…会わないかな?っていうか……もう会えないかも。」
私は彼女が最初に『恋人』と言っていた事を思い出した。
その言葉はまるでふたりがお互いに思い合っているように感じるが、本当はそうではない事もある。
彼女は最低な男の事を今も好きでいるのだろう。
でも、きっと……
「この前、ちょっと大きな喧嘩をしてね。もう別れようって話になったの。でもね、別れ話なんて今まで何度もあったのよ?だから、きっと今回もなんだかんだ言って一緒にいられるんだろう。そう思ってたの。」
「……喧嘩別れしちゃったの?」
「喧嘩した次の日、彼の家に荷物を取りに行ったの。そしたら彼……私が荷物をまとめていたのが気に入らなかったみたいで…。」
「……殴られたの?」
「すこーしね。でも、その後にふたりで最後のドライブをしたの。」
「ドライブ?」
「そう。出会った頃のように優しい彼だった。運転は少し下手だけどね。」
私は自然と笑みを浮かべていた。
心の中にはまだ未練があるだろうけど、彼女はしっかりと自分の未来の為に彼と別れたんだ。
そう感じた。
「ドライブして、バイバイしたの?」
「うん。永遠のサヨナラをしたの。」
私は少しだけ泣きそうになった。
最低な男と言っていたが、彼女は心から好きだったのだろう。
何度も別れ話をしても離れられなかった相手との、本当のサヨナラ…。
「彼に伝えて欲しい事があるの。」
彼女はまるで、その男と私が知り合いかのように話をした。
「彼に、私は幸せだった。って、伝えてくれる?」
私は彼女の恋人が何処の誰かも分からなかったけど、約束した。
「分かった。彼に伝えるね。……あなたの彼女は、あなたと一緒にいて幸せだったんだよ…って。」
すると、突然明るくなり、エレベーターが動き出した。
ずっと暗闇の中にいたので眩しくてまともに目が開けれなかった。
「やっと動いた!」
そう言って彼女の声がしていた方を見たが、そこには誰もいなかった。
すぐに真逆の方向へと視線を向けると、そこには涙を流した男が立っていた。
何が起きたのか分からずに呆然としていると、エレベーターの扉が開いた。
扉の向こうには、ヘルメットをかぶった作業員らしき人とスーツ姿の男性が数名立っていた。
「大丈夫ですか?」と声をかけてきた作業員とは別に、スーツ姿の男性達が涙を流している男に近付く。
「ごめんなさい…」
男はそう言うと、声をあげて泣き崩れた。
私がエレベーターから出る時、スーツ姿の男性がその男に手錠をかけるのがチラリと見えた。
ー 終 ー