第5話 ヴォレル家
キースはアルフレットを連れて行く前に、まず、老人と娘を安全な場所へと避難させることを決め、シドとアルフレットもそれに同意した。
「娘さん方はこれからどこへ行くつもりなんだい?」
キースの問いに、娘は話すかどうか悩んだようで、一瞬老人のほうを見やったが、老人がうなずいたところを見て、話す決心がついたようだった。
「祖父とともにこれから、ヴォレル家へ行こうと思っております」
「ヴォレル家!?」
娘から飛び出した、ヴォレル家の名前に自分でも驚くほど大きな声を出して反応してしまった。
娘と老人もびくりと体を強張らせていたし、キースやシドに至っては、先ほどよりも眉間にしわを寄せており、どこか苛立っているようだった。
「お貴族様にとって、ヴォレル家は国を裏切った悪党だもんな…坊ちゃんなら、当然の反応か」
シドが冷たくそう言い放った。
表情のみならず、声音も今日一番で低い。背筋に少しばかり寒いものを感じた。
「…ヴォレル家へ行けば、何があるのだ?」
怖いながらも、知らなければなにも返す言葉がなくなってしまう。アルフレットは嫌がられそうだなと思いながらも、老人とその娘にその問いをかける。
「ヴォレル家は行けば職を案内した下さるんでさぁ…」
老人がゆっくりと口を開いた。
「ヴォレル家へ行けば、いくつか仕事場を紹介してくださるし、宮廷勤めができるよう、若い女人には礼儀作法のお稽古をつけていただけるんだ。だから、わしは孫娘がしっかりと暮らしていけるように、ヴォレル家へと行こうとおもったのだよ」
国で対応できていない出来事を、まさか、あのヴォレル家が行っているなど、アルフレットには想像もできなかった。だが、彼らの言っていることは間違いないのだろう。
「とりあえずさ、じいさん。俺たちがあんた達をヴォレル家へと連れてってやるよ。あいつらがいつ襲ってくるとも限らないし…」
「ですが、何もお返しできるもんがないんでさぁ…助けていただいただけでも頭さ上がらんのに…」
「いいって、いいって!こーゆー時代こそ助け合いが必要なんだよ!」
「…そうよ、おじいちゃん。私達だけじゃ、正直不安だもの…お金稼いでからお返しだってすればいいでしょう?」
シドの申し出を断ろうとした老人だったが、キースや孫娘に諭されて、申し出を受けることにした。
アルフレットは、正直行きづらい場所ではあるのだが、実際に現状を見なければ分からないことが多いと知ったのはつい先程だったはずだ。
「お前も一緒にこいよ、アル。そんでもって、実際に見て、自分で判断してみろ。お貴族様の噂じゃなくて、実際のヴォレル家をな」
シドの言葉にアルフレットは頷くと、歩き出したキース達を追って、ヴォレル家へと向かった。
まず、アルフレットの第一声は「どうなってるんだ?」であった。
ヴォレル家へ着くと、なんと、ヴォレル家の塀に沿うように長蛇の列がでていた。並んでいる者たちの身なりは決して良いものではなく、ボロ布に身を包んだ者達ばかりであった。
「無事着いてよかったね〜!ここまできたら大丈夫だよ、ヴォレル家の人達の指示に従って順序良く並んでな〜」
老人と娘はキースの言葉に頷いた後、何度もキースやシド、そしてアルフレットに向かってお礼の言葉を述べながら長蛇の列に並びに行った。シドも知り合いに用があるとかで、アルフレットのそばから離れていった。
「…さてと、アル。ここが、ヴォレル家。今では貧困民救済場かな?」
肩を竦めながら笑ったキースは、アルフレットの複雑そうな表情に気付きつつも、アルフレットと肩を組んだ。
「中、入ってみる?」
「……いや、私は入る資格がない」
入るかと聞いてきたキースに、正直、その誘惑に負けそうになってきたが…アルフレットはここへ入れる資格がないのだ。
自分が罰してしまった家なのだから。
「……ヴォレル家とアルの間に何があったか知らないけど、入った方が絶対にいいと思うけどね」
キースは簡単にそう言うが…、ヴォレル家の当主を殺した人間なのだ。そう簡単に割り切れるわけがない。
ここまで連れてきてもらって悪いが、アルフレットはキースの言葉に首を振り、その場から動こうとはしなかった。
アルフレットの頑なな様子に、キースも諦めたのか、はぁと大きなため息を吐き、じゃ飲みに行きますか!と声を上げかけた。
丁度その時であった。
ヴォレル家の門の付近が一層騒がしくなり、並んでいた者たちが一斉に頭を下げはじめた。
少し離れた位置で見ていたアルフレットは、自然と門の先に視線を向けた。頭を下げ始めたということは、身分の高い者が、そこから出てくるということだ。
自分の顔を隠す布で鼻までしっかり隠し直す。少し怪しい人のようではあるが、とにかく見られてはまずいのでしょうがない。
隣で肩を組んでいたキースも頭を下げたので、アルフレットもそれに倣った。
チラリと門の方を目で伺うと、なんと表現しようにも言葉が足らず、結局美しいと評価するしかないような女性が門から出てくるところであった。
「大奥様っ」
「大奥様!!」
並ぶ列から、そのような声が次々に上がる。
となると考えられるのは、そこにいる女性こそがヴォレル公爵未亡人シャルロットということだ。ますます顔を上げられなくなったアルフレットは、地面と睨めっこをする羽目になった。
だが、何にいたずらか、シャルロットは此方に向かって歩いてくるのだ。
目の前に彼女のスカートが目に入ってしまったところで、頭上から声がかかった。
「貴方が…シドの言っていた貴族の方でしょうか?」
彼女の問いかけに、アルフレットはシドを今すぐにでも殴りたい衝動に駆られたものの、ここは抑えなければならないと自分に言い聞かせ、何とか「はい」とだけ返事をした。
「高貴なお方。…ただ噂のタネとして我が家へと来たのならば今すぐお帰りください」
彼女の噂のタネと言われたアルフレットはつい、勢い良く顔を上げ、否定の言葉を述べようとした。
その瞬間、本当に何とも間の悪いことに、鼻から口元を隠していた布がずれ、口元しか隠せなくなってしまった。
「っ!!!な、なぜ……」
シャルロットは、目を大きく見開きアルフレットを見ていた。なぜの後の言葉は続かず、何かを言いたそうに口を動かしているようだが、それが音になることはない。
「……すまない、邪魔をした。だが、誤解はしないでほしい。民の現状を知りにここまできたのだ。決して、ヴォレル家を辱めようなどと思ってはいない」
すぐに立ち去る旨を伝えると、シャルロットもやっと正気に戻ったらしく、最上級の礼でもってアルフレットに頭を垂れた。
「………いえ、こちらこそ…取り乱してしまい申し訳ございませんでした。民を思う貴方のお気持ちは良く存じ上げております…。我が家で何か分かることがあるようでしたら、どうぞお入りくださいませ、陛……いえ、その、何とお呼びすれば?」
「アル、と。そう呼べ。それと、もう頭を上げてくれ。私は貴方に頭を下げられるような人間ではない」
「はい…かしこまりました」
少し困ったように肩を竦めたシャルロットだったが、顔を上げ、アルフレットと対等の姿勢を示した。
「では、アル様。アル様さえ宜しかったら、どうぞ民のお言葉を聞いて行かれませ。今後の助けとなりましょう」
シャルロットはアルフレットを招き入れてくれると言う。正直、引け目しか感じていないアルフレットであるが、このような機会を逃せば、次はいつ起こるかわからない。
「わかった。よろしく頼む」
頷いたアルフレットに、ほんの一瞬、感心したような表情を見せたシャルロットは、だが、次の瞬間には外行きの貴族女性と同じく笑顔で表情を隠してみせた。
「では、こちらですわ。キースも御出でなさい、シドが中にいるわ」
「拝命ありがとう存じます。もちろん付いて行かせてください」
隣で静かに控えていたキースは声を掛けられた事によって、ようやく声を出すことができたようだった。
だが、いつもの彼とは違って口調はしっかりとしたものだった。
そんなキースと並び、アルフレットは案内をしてくれているシャルロットの背を見ながら、複雑な心境を他人に知られまいと表情を繕うことに必死になりながら、ヴォレル家へと足を踏み入れたのであった。