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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
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第十一章 「一線」6

「お怪我はありませんか? 殿下?」

 明かりの消えた手燭を脇に飛ばし、床に這いつくばっていたマルソフィリカを、何はともあれアミスターゼは助け起こした。寝所から抜け出してきたと思しいマルソフィリカは、いつもの動きやすい【女子騎馬服】(ニィスボーシャ)ではなく、踝丈のひらひらとした姫君らしい寝衣を纏っていた。


「打ったところがじんじんしてるけど、平気。……どこっていうのは聞かないで」

 唖然とした顔でこちらを眺めている、ヴェルヴィオイの目と耳を気にしながら、マルソフィリカはアミスターゼにそう耳打ちした。間抜けな格好を晒してしまったのはもちろんのこと、ヴェルヴィオイのいる前で、身体の部位名を口にするのも、裾を捲って打撲の具合を確かめられてしまうのも、何故だか無性に恥ずかしかった。


「わかりました。殿下がおっしゃれないような個所では、どのみち見せても触れさせても頂けません。お立ちになれない歩けない……ということは無いようですね。たいしたことはなさそうですが、念のため、後ほど『猫』にでもご申告下さいますよう」

「『猫』でいいの?」

「消灯後にご寝衣姿で雲隠れして、忍び込んだ先のヴェルヴィオイ様の室で転んだなどと、殿下は宮女におっしゃれますか?」


 十一歳の少女、とはいえ、マルソフィリカは皇女である。エクスカリュウトの許可が下りているとはとうてい思えない、無分別な侵入を窘めてから、目のやり場に困ったというよりも、無遠慮なヴェルヴィオイの視線から遮るために、アミスターゼは近くの棚から適当なガウンを取り上げて、マルソフィリカの肩を覆った。

 ヴェルヴィオイの衣装用納戸にあったそれは、部屋の主の身体に合わせた細身の仕立てだが、それでもやはりマルソフィリカにはぶかぶかだった。ずるずると床に裾を引き、長く余る袖に両腕を突っ込んで、目に見えてはしゃいでいるマルソフィリカに、ヴェルヴィオイはようやく訊ねた。



「いつからいたわけ? マルソー」

「いつって、さっきよ。今さっき。ヴィーは思っていたより背が高いのね。このガウンおっきい!」

「俺はそんなに……、マルソーがちっちゃいだけだと思うけど……。何でいたの? とか、どこから来たの? とか、マルソーには疑問だらけなんだけど、ねえ、アスター、この状況ってとりあえずさあ、おっぱじめてなくてよかったなあって思うとこ?」

「お黙りなさい」

 アミスターゼの顰め面が、言わずもがなのことをわざわざ口にするなと物語っている。マルソフィリカの相手は、ひとまずヴェルヴィオイに任せることにして、アミスターゼは仕方なしに、マルソフィリカが乱したその場を片し始めた。


「おっぱじめるって、ヴィーは何か始めるとこだったの?」

 両袖を振って遊びながら、マルソフィリカは無邪気に問う。行動によって示唆された役割分担を察して、ヴェルヴィオイは床から手燭を拾い上げ、マルソフィリカを片づけの妨げにならなさそうな戸口の前まで誘導した。

「さあ? マルソーに邪魔されてなきゃ始めてたかもね。わかんないけどさ。そんなことよりマルソー、さっきって、来たって、簡単に言ってくれてるけどどうやって!?」


 衣装用納戸は、その三方を窓のない壁に囲まれており、扉が付いているのはヴェルヴィオイの寝所と繋がるこの一か所のみである。

 ヴェルヴィオイは自分の寝所を横切ってゆくマルソフィリカを見た覚えなどないし、そもそも左側妃腹の皇女であるマルソフィリカは、ルドヴィニアから忌避されているので、皇后へと割り振られた区画には立ち入り禁止のはずである。


「それはねえ、ひーみーつー」

 合わせた両袖で口元を隠して、マルソフィリカはしてやったりと笑う。見た目に可愛らしくはあったが、虫の居所が悪いヴェルヴィオイを苛々とさせた。

「秘密って、腹立つなあ。言い方も」

「だって、母上様にも言っちゃいけない、マルソーと父上様の秘密だもの。ヴィーになんて教えてあげない」

「ああ……、うん、その通りだわ。やっぱ教えてくんなくていい。ヤバい単語が今聞こえた」


 『母上様』にすら口止めされている、マルソフィリカと『父上様』の秘密――。

 それは即ち、皇家の秘密だ。后妃も他人と切り捨てる、父と娘の重大な秘密。

 マルソフィリカは普段から、一人で後宮を脱走し、火宮(かぐう)にある厩舎へと忍び入るような皇女であり、また、ヴェルヴィオイが割り当てられている非常に立派なこの室は、歴代の皇家嫡子が使用してきた室であって、それらの事実を重ね合わせれば、なんとなくの想像はつく。



「どうっていうのはもういいけど、何で来たわけ? マルソー。それなら答えられるよね?」

 質問を変えたヴェルヴィオイに、マルソフィリカは待ってましたとばかりに言い募った。

「うん、ヴィー、あのね。あのねマルソー、怖い夢を見たの! ずっとお化けに追いかけられて、怖くて怖くて起きて、夢で良かったって……、どきどきしながら寝直して、そしたらまた続きを見ちゃったの! それから全然眠れなくなっちゃって、それで」

「それでって、だからって何でわざわざ俺んとこ来んの? マルソーはお姫様なんだから、呼んだらすぐに来てくれるお付きがいくらでもいるんじゃないの?」

 まるでお話にならないその理由に、ヴェルヴィオイはさらにいらついた。そんなことくらいで、こちらの都合も考えずに、気軽にやって来られてはたまったものではない。


「だって、ヴィーと一緒にお休みしたら、素敵な夢が見られるんでしょう? 前に宮女たちがそうやって話していたわ。だからヴィーのお部屋に来たの。マルソーお化けの夢なんて、もう見たくないんだもの」

「ちょっと待って。それってまさか、俺と一緒に寝たいってこと……?」

 突拍子もないマルソフィリカの考えに、ヴェルヴィオイの口の端は引き攣れた。

 宮女の間に出回っているのはなかなか光栄な噂のようだが、二人で一つの寝台に上がって、マルソフィリカが見たい夢と、ヴェルヴィオイが見せる夢ではまるっきり意味が違う。

「うん。駄目?」

 汚れ無き皇女の眼差しに、ヴェルヴィオイは怯んだ。他人を食い物にする大人たちに、好意や信頼といったものを最低の形で裏切られ、早々と擦れてしまったヴェルヴィオイであるからこそ、絶対に越えるつもりのない一線がある。


「駄目! マルソーに素敵な夢なんてもの見せたら、俺マルソーの父上様に確実に殺されるって! 見てよほら、アスターだってものすっごい睨んでるし、ほんと洒落になんないから!!」

「どうして?」

「大人になったら、わかるよ」

「ヴィーだってまだ子供のくせに」

「子供は子供だけどさ、俺そっちの方面じゃあ、とっくの昔に大人にされてるから。俺がそんなだって、宮女たちにも知れ渡っているみたいだから、マルソーを俺の寝台で寝かしてやるのは不味いんだよ。誰か一緒に寝て欲しいんなら、母上様のところに行けばいいんじゃないの? マルソーの母上様なら、夢の中のお化けの方がおっかながって逃げてくよ」

「そうかなあ?」

「そうだよ。母親っていうのはさ、自分の子供のためなら強いんだって。お化けからだろうと何だろうと、きっとマルソーの母上様は、マルソーのことを守ってくれるよ」

 意外なことに優しく、常識的だったヴェルヴィオイの物言いに、一通りの片づけを終えて、二人の会話を漏れ聞いていたアミスターゼはおや? と思った。単純にヴェルヴィオイは、夜伽にはできないマルソフィリカを、おちょくることすら面倒がっただけかもしれないが。


「ねえ、ヴィー」

「何?」

「悪口ばっかり言われているのを聞くけれど、お后様じゃなくて、ヴィーの生みの母上様って、本当はどんな人?」

「……化け物だよ」

「化け物?」

「そう。俺の母親は、ミレーヌは、この世界で一番の化け物なんだ」

「意地悪ね、ヴィー。ヴィーまでそんなこと言ったら、ヴィーの母上様がかわいそう」

 息子からも悪し様に評されるミレーヌに、マルソフィリカは同情しているが、アミスターゼはヴェルヴィオイの、その悪たれ口に込められた、捻くれた愛情表現を読み取っていた。


 ――()い女はみんな化け物だよ。


 つい最近、エスメルタに向けて、ヴェルヴィオイはそう、述べていた。

 ヴェルヴィオイは自分の母親を卑しめるようなふりをして、その実世界で一番好い女なのだと誇ってみせたのだ。

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