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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
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第二章 「皇宮」2

「――湯殿の準備が整いました」

 取り澄ましたような若い女の声が、ようやくうとうととしかけていたヴェルヴィオイを揺り起こした。眠りに落ちる寸前の、心地よい時間を邪魔されて、ヴェルヴィオイは不機嫌に寝具から這い出した。


 帳を分けて顔を覗かせると、宮女が一人待ち受けていて、儀礼的にお辞儀をしてみせた。

 先ほどゼラルデに答えていた年嵩の宮女ではなく、彼女に付き従っていた若い娘の片方である。それでもヴェルヴィオイよりは三つ四つ年上であろう。

「こちらへ、どうぞ」

 顔を上げた宮女が指し示したのは、いつの間にか立てかけられていた衝立である。どうやらその向こうに風呂の用意がされているらしい。他の宮女たちの姿は既に部屋になかった。


「あんただけ、何でここに残ってんの?」

 ヴェルヴィオイは警戒しながら宮女に尋ねた。宮女はヴェルヴィオイの反応を試すような眼差しで微笑んだ。

「入浴と着付けをお手伝いするように言われています」

「ああ、そう」

 ヴェルヴィオイは帳の層を背後に押しやり、寝台の端に腰掛けて投げやりに言った。

「それじゃあ何でもいいから手伝ってよ。俺はこんなお上品な場所に慣れていないから、どうすりゃいいのかてんでわからないし」

「畏まりました。では、失礼して――」

 そう言って宮女はヴェルヴィオイに近づくと、彼の前で膝立ちになって、その服の釦を外し始めた。

 状況と相手はまるで違うが、昨日から女に脱がされてばかりだとヴェルヴィオイは思う。


「ふうん、お偉い人って、あんたたちに色んなことをさせてるんだね」

「ご自分でなさいますか?」

 年下の少年をからかうようであった宮女の手が、ふと止まった。宮女の怯んだような視線の先を追って、ヴェルヴィオイは肌蹴た自分の胸元に、ダニエラが残した接吻の痕を見つけた。

「なんだ、実は初心なんじゃない」

 ヴェルヴィオイは宮女の手首を掴んでにやりと笑った。

 びくりと身を硬くした宮女の手を、自分の服から引き剥がして、ヴェルヴィオイはその場に立ち上がると、羞恥する素振りも見せずに、潔く全ての衣類を脱ぎ捨てた。

 そうして一糸纏わぬ姿のまま、すたすたと衝立の向こうに行き、暖かな湯気を上げる浴槽に身を沈めると、のんびりと寛いだ声で宮女を呼んだ。


「ねえ、手伝ってくれるんでしょ? 早くこっちに来てよ」

「は、はい……」

 宮女は動悸を激しくしながらヴェルヴィオイに近づいた。

「お待たせしました」

「いい湯加減だよ。ああ、気持ち良いな……」

 ヴェルヴィオイは浴槽に寝そべりながら幸せそうに伸びをした。上気して色付き始めた頬や肩、心地よさげに伏せられた目の端に、女でもなかなか持ち得ぬような、危うげな色気が漂う。

「それで今度は何してくれるの?」

 浴槽の縁に両腕を重ねて、甘えるように見上げながらヴェルヴィオイは問うた。十代半ばの少年の姿態に、心乱されている自分を愚かしく思いながら、宮女は上ずった声で答えていた。

「あの、必要がありましたら、その、何でも……」

「ふうん……」

 ヴェルヴィオイはその宮女の言葉に多くのことを察した。入浴と着付けの介助が本来の仕事であるに違いないが、もしも今自分が望んだら、それ以外のことにも応じる覚悟があるということだ。それも含めて宮女の務めというものなのだろう。

「それじゃあ髪を洗って欲しいな。人にしてもらうのって好きなんだ」

 邪気のない微笑を浮かべて、ヴェルヴィオイは宮女に頼んだ。ほっとしたように宮女は頷く。


 ヴェルヴィオイの癖のある赤い髪を、宮女は指先と櫛とで丁寧に梳きほぐし、湯だけで軽く流してから、香油の入った石鹸を泡立てて優しく洗い始めた。腰までの湯に身を浸し、宮女の奉仕を当然のように受けながら、ヴェルヴィオイは思案を巡らせた。


 自分は今、かなり異常な状況に置かれているらしい――。


 ゼラルデと呼ばれていた鷲鼻の女は、ここをゾライユの皇宮だと言っていた。

 宮殿と呼ばれるような建物の内部など、ヴェルヴィオイは今まで知る由もなく過ごしてきたが、この桁外れに豪華な部屋、それに女たちの身なりの良さ、鼻持ちならない上品さから察するに、おそらく本当のことなのだろうと思う。

 わからないのは、何故自分がそんなところに拉致されてきたのかということだ。

 それにこの宮女は、一体どうして、自分のような市井の子供に、召使いの如く接してくれているのだろう?

 ヴェルヴィオイは他人から尽くされることに慣れている。気紛れに返される、微笑みや快楽を期待して、あらゆる手でその気を惹こうとする者たちがいるからだ。

 しかしこの宮女はそうではない。少なくとも、今は、まだ――。


「お身体はどうなさいますか?」

 髪の泡を流し終えて、宮女は後ろからヴェルヴィオイに尋ねた。

「洗いたい?」

 反り返ってヴェルヴィオイは挑発的に問い返した。自分の身体に触れたいかと聞いたのだ。

「いえ……、あの……」

 まごつく宮女の表情を面白そうに眺めてから、ヴェルヴィオイは傍らのワゴンに手を伸ばした。それらしい海綿(スポンジ)を見つけて掴む。

「今は、いいや。今日は自分で洗うからまた今度ね。俺だけ脱いでるっていうのも不公平だしさ」

 海綿を湯に浸して軽く絞ってから、ヴェルヴィオイは宮女に空いた方の手を差し出した。

「石鹸をちょうだい」

「あ、はい」

 宮女から石鹸を受け取って、ヴェルヴィオイは彼女の目を憚ることもなく、入念に身体を磨き始めた。いざというときに自分を守る『武器』の手入れである。それは爪を磨ぐ獣の姿にも等しい。

 焦って騒ぎを起こしたところで、事態が好転するとはとうてい思えない。天性の柔軟さで、ヴェルヴィオイはひとまずこの状況を受け入れて、自分なりに楽しんでみることにした。憂さ晴らしに目に付いた宮女たちを、片っ端から落としてみるのも悪くはないだろう。

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