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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
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第十一章 「一線」3

 女の勘、実に侮り難しである。

 ヴェルヴィオイが今どこにいるか? それはもちろん知っているが、ゾライユの皇宮で皇后の養子にされているなどと、ありのままの事実を答えてやれるわけがない。困惑は表に滲ませつつ、スタイレインはそらとぼけることにした。


「悪いけれど、そんな取引はできないよ。何を言われているのかさっぱりだからね。そのヴィーというのは誰だい? ダニエラの恋人か何かだったのかな?」

 だとしたらヴェルヴィオイは、スタイレインが呆れるほどの早熟さである。この娘はヴェルヴィオイより幾つ年上だろう? 五つ六つは離れているか――と、見た目勘定しながらのスタイレインの問いかけに、ダニエラは悲しげに睫毛を伏せた。


「恋人……? いいえ。ヴィーは誰のものにもならないわ。ヴィーはみんなを同じように好きで、同じように好きじゃないんだもの。お気に入りにはしてくれても、恋してまではくれないわ。

 だから誰かが攫って行ったの。あの子あたしの部屋から呼び出されて、そのままいなくなったのよ。あたしのところへ帰って来るって約束したのに……! 誰かきっとやばい人が、どこかでヴィーを閉じ込めて、無理やり独り占めしているに違いないわ。

 ねえスイさん、ヴィーは今誰といるの? ミレーヌを捜しているのは、ヴィーの母親だからじゃないの? ヴィーもミレーヌも見なくなって、それから……、二人のことを探りに来る、一見さんには注意しろって、あたしたち上から、きつく言い渡されているのよ」


 話しているうちに興奮をしてきたのか、囁きから始められたダニエラの声は、次第次第に大きくなっていた。

 その不穏当な発言に、スタイレインがえっと思う間もなく、右隣の部屋からどんと壁を殴る音がした。

 続けて、苛立たしげに人が移動する、乱暴な物音が響いたかと思うと、スタイレインがダニエラとしけ込んでいる部屋の扉が、外側から合鍵を使い押し開けられた。



「てめえ、何血迷ってやがるんだ? ダニー」

「だって、元締めっ……! きゃあっ!」

 隣室から二人の会話を盗み聞き、やってきた店の元締めは、泣くような顔をしたダニエラの腕をひっ掴んで、スタイレインからもぎ離した。

「悪いね、旦那。こいつは、ようやく餌付けに成功して、可愛がってた猫が行方知れずになってから、少々おつむがいかれちまってね……。それでも大勢客が付いてるもんだから、構わず店に出していたんだが、旦那にゃ粗相をしちまったなあ」

 言葉は下手に出ていたが、元締めの目は笑っておらず、一見弱腰な印象を与えるスタイレインを、のんでかかろうという威嚇が見えた。


「気になるねえ、どんな猫だったんだろう?」

 しかし、本物の帝王に日々接しているスタイレインには、どうということもない小人(しょうじん)の圧である。平素さを失わぬ問いに、どんと廊下へ突き出されながらも、藁にもすがる思いでダニエラが答えてくれた。

「綺麗な子よ、澄んだ水色の目をした、すらっとした細身の、とっても綺麗な……。気紛れで生意気で、意地悪で傲慢で、だけどみんなあの子を欲しがってた……!」

「もうてめえは黙ってろ、ダニー!!」

「何よう! いけずっ!! 小心野郎!! くたばっちまえ!!」

 悪態をつくダニエラを閉め出し、元締めは扉を背にしてスタイレインの退路を塞いだ。

 切なげにヴィー、ヴィーと繰り返し、すすり泣くダニエラを、誰かが宥め、連れ去ってゆく声が、その向こうから遠ざかってゆく。



「忘れてくんな、旦那。ダニエラの言っていたことは、全部が全部妄想だ」

 はーっと大きな息を付いて、渋面をした元締めは苦し紛れな言い訳をした。はいそうですかと、納得したふりをして流して欲しいのだろうが、ようやく得られた手掛かりである。あえての鈍感さで、スタイレインは追及した。

「妄想?」

「そう。寂しい女の妄想だ。そんな猫なんざあこの街に、端っから存在していなかった。そういうことにしておかないと、あいつの命にも、ここの存続にだって係わってくるんでね」

「穏やかじゃない話だね。ずいぶん特殊な猫だったらしい。君らにとって、より重要なのは母猫の方かな?」

 スタイレインの喩えは図星を指したらしく、元締めはわかりやすく殺気立った。


「妄想だって言ってんだろ? 旦那の命にも係わらせたいか?」

「それは御免被るねえ」

「理解してくれたようでよかったよ。ダニエラは急病だ、今日はもう休ませる。旦那の床の相手は、他の女に替えるがいいか?」

「いいや、そういう気分じゃなくなった。休まずこのままお暇するよ」

「残念だな。うちは生憎と返金不可でね、先にもらっちまった揚げ代は、別の女の身体で返すしか無いんだが」

「構わないよ、取り止めたのはこちらの都合だ。何なら、有り金全部置いて行こうか?」

 懐から太った財布を取り出して、スタイレインはそれを見せびらかすように手のひらに乗せた。一目でわかる重量感に、元締めの目の色が変わる。


「そりゃあ豪儀で」

「命の値段と思えば安いものだ。私は、この程度のはした金なら、主から惜しまず出してもらえる人間でね。ここから円満に立ち去らせてもらうのは、君らの命に係わらせないためでもある。そのための賄賂というものだよ、受け取ってもらえるだろう?」



*****



 買収は成立していたが、店の元締めに背中を晒してから、酒場で待機させていた『番犬』に合流するまではさすがに気を張った。花街の出入り口である大門に辿り着き、待たせておいたお忍び馬車に『番犬』と共に乗り込んで、スタイレインはやっと一息付いていた。

「スレイ様、ご無事でよろしゅうございました」

 同席している『番犬』に答えて、馬車の座席でへばったスタイレインは深く頷いた。『番犬』は、幾つもの暗器を隠し持った手練(てだ)れには、まるで見えない小男である。


「全くだ、話の通じる男で助かった。君らがいるから安心はしていたけれど、余計な騒ぎは起こさないに越したことはないからね。たかだか女人(にょにん)一人を尋ね当てるのに、こんな危ない橋を渡らされるとは思ってもみなかったよ」

「陛下にも、予想しておられなかったことでしょう。永年勤続の慰安も兼ねているから、スレイ様が多少お役目から逸脱して、羽目を外しておられようと、見て見ぬふりをしておれと、我々にはおっしゃっていたことですし」

「ははは……」

 スタイレインは力なく笑った。もしもエクスカリュウトが、スタイレインの真意を知ればどう思うだろう? 良心をちくちくと痛めるありがたいお言葉である。


「とにかくまあ、ミレーヌが生きているらしいことは掴めたし、どこで匿われているかの見当も付いた。街の人間の誰もが知っていて、誰もが言えないところとなれば、おいそれとは突撃できないだろうけれど。

 参ったなあ……、ダニエラは女帝と言っていたが、ミレーヌはあの街の顔役の情婦か何かなのだろう。店どころか街ぐるみで守られていれば、そりゃあ情報が出回らないわけだよ。私のことも、胡散臭いと目を付けながら、街の者たち全員でカモにして嘲笑っていたのだろうなあ。せめて『犬』たちの活動の、隠れ蓑にはなっていたかと思うことにするよ。

 ファルなら伝手を持っていそうだが、確かめたい事が事だけに、花街を牛耳っているような裏社会の人間に、官人と感付かれてしまうような接触の仕方はしたくない。いっそのこと、ご養子君に案内を乞えないものかなあ?」

「それが冗談ではなく、最善策になるかもしれません。『蛇』の方でも動きがあり、何やら画策中とのことですし」

「『蛇』か……、彼はご養子君とそれなりに、よくだかよろしくだかやっているらしいね。私の慰安の時間は終わったようだし、若者たちに頼ってみるかねえ」


 爺むさくそう零しながら、スタイレインは、いっそ天晴れと称えたくなる心持ちで、ミレーヌに会ってみたくて堪らなくなっている自分に気が付いた。

 客を選ばぬはずの西街の花街で、なかなか一見に漕ぎ着けさせてくれない伝説的な傾城。街を一つ抱き込んで、物の見事に出し抜いてくれた、用心深く強かな女帝――。

 ミレーヌがクリスティナであろうとなかろうと、ただ容姿が優れただけの娼館の主人では終わらぬことは確かである。後宮という特異な場所で、やんごとなき姫君や天女の如く美女に見慣れ、女には目が肥えたスタイレインの胸中に、どんな賢女か悪女かという、ぞくぞくするような好奇心が生まれていた。

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