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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
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第十章 「寵姫」6

 自分の室にアミスターゼを連れ戻るヴェルヴィオイと別れ、

「申し訳ありません御部屋様。私、宮女長様の、ひいては皇帝陛下の手下の手下なので。御部屋様には心苦しくありますけれど、こんな大事を耳にして、黙っていたら怒られちゃいます。最悪御部屋様のお付きから外されちゃいます」

 と、自身の立場や心情をあけっぴろげにした上で、上役へ報告に走ろうとするキルシを、心の準備ができるまで待って! と引き止めていたところへ、エスメルタは宮女長の遣いから今夜のお召しを伝えられた。


 仮にキルシの口に蓋をさせたとしても、アミスターゼからの上奏があることは火を見るよりも明らかだ。今宵の同床が決まっているのなら、報告は早くさせておくに越したことはないだろう……。エスメルタは悪あがきをやめて、役目を終えた遣いと共に、キルシを宮女長の許へと向かわせた。

 他の宮女が侍そうとするのを断って、一人きりとさせてもらった部屋の中、己の短慮を省みて、重い重い溜め息が落ちる。


 とはいうものの……、まさかエクスカリュウトが、ヴェルヴィオイの出自などという重要事項を知らぬまま、皇后の養子とさせていたとは思ってもみなかった――というのが、エスメルタの言い分である。あまりな事実であるがため、ルドヴィニアの希望によって、情報の流出を抑えているのだとばかり受け止めていた。

 しかし一方で、そうしたことの確認は後回しにしてしまっても、自分にそっくりな少年であるヴェルヴィオイを、エクスカリュウトが皇宮に留め置いた気持ちは理解できる気がした。突飛な考えかもしれないが、二人がもしも、他人の空似などではないとするならば、エクスカリュウトが自分を懐かしみ、身請けしてくれたその訳に、エスメルタは思い至ってしまえるものだからなおさらに。


 粗忽さの否めない若い娘であるが、エスメルタは幼き日に祖国ボーラウジアを戦火で焼失し、悲惨といえる生い立ちを逞しく生き抜いて、遊女の位を極めるまでした女である。

 軽めに夕食を取り、丁寧に身を清めて、皇帝の寝所へ渡る頃にはすっかりと腹を括っていた。



*****



 針の一本、毒の一滴たりとも、皇帝が最も無防備になる閨房に持ち込まないように、入念な身体検査を受けた後、宮女長の手足である、寝所番の宮女に侍られながら待っていると、やがてエクスカリュウトが寝所にやって来る。

 エスメルタが礼から身を起こし終えるのを待たずして、いつになく気忙しく、エクスカリュウトがその腰を抱き寄せ、唇を吸い始めるのを横目にしながら、寝所番の宮女は入れ替わりに下がっていった。



 貪欲な口付けを交わしながら、もつれ合う男女はそのまま寝台に倒れ込んでいた。

「陛下……」

 四肢を絡め、中背ながら引き締まった体躯でがっちりと抑え込まれて、そのままめくるめく寝台遊戯へ向かうのだろうと予測したエスメルタは、ねぶりながら食まれていた唇と舌が離されると、触角を鋭敏にするため目を閉じたまま、鼻に抜ける甘い声でエクスカリュウトを呼んだ。

 それに答えるように、耳元からエスメルタの髪に指を潜らせたエクスカリュウトは、しかしびくりと彼女の身体が反応したところで、ぐっとその根元を掴み上げた。


「エスメルタ、これから余に、問われることがあるのはわかっておろうな?」

「……はい」

 答えてエスメルタは、ゆっくりと瞼を開けた。大腿を擦る男の象徴は、はち切れんばかりの欲望を伝えておりながら、エスメルタを見下ろすエクスカリュウトの眼差しは、濁ることなく冴え冴えとしていた。



「回りくどいのは好かぬゆえ、単刀直入に聞こう。ヴェルヴィオイは、そなたの何だ? 子守唄を聴かせてやった仲であるというのは聞き捨てならん」

 キルシもアミスターゼも、果たしてどういう報告を上げたものだろうか? やらかしているとしたらキルシの方に違いないが……。少々予想外なエクスカリュウトの追及に、エスメルタは困惑した。


「戦争で家も祖国も失くして……、流浪する中で身寄りさえも亡くしてしまって……、アスハルフに流れ着いたばかりの頃に、ぼろぼろだったあたくしを拾い上げ、衣食住を恵んで下さった女性のご子息です。その方からこちらの言葉や行儀を習い、見よう見真似で他にも多くを教わりながら、子守り奉公をしていたことがありましたのよ」

「それで、子守唄を?」

「ええ、ひどく寝つきの悪い子でしたから、ねだられてよく歌ってあげたものです」


 性的な関係にあったかのような誤解を受けてしまったようだが、エスメルタの記憶にあるのは、歪んだ大人たちから悪戯をされる前の、十にも満たない少童であったヴェルヴィオイでしかない。

 幼いヴェルヴィオイを寝かし付けて、そのまま自分も寝落ちしてしまう毎日だったが、エスメルタもまた、ミレーヌが売りに出すには早いと判断していた年頃での出来事だ。ほっぺや口にくっつけるだけの『お休みのちゅー』『大好きのちゅー』ぐらいは、したりされたりしていたが、淫靡な声や物音が届く娼館の裏方で、寂しい子供同士が身を寄せ合って眠ることに、やましさなどは微塵もなかった。


「当代一の歌姫を(ねえ)やにしていたとは、実に贅沢な子供だな」

「あの頃はあたくしも、歌を少しばかり歌えることだけが取り柄の、垢抜けない娘でしたわ」

「それがこのように化けるというのか。女という生き物はつくづく魔物だな」

 エスメルタの髪を握っていた手を緩め、それを指先で梳かしてゆきながら、エクスカリュウトはそう漏らした。


 ヴェルヴィオイにも、昼間同じようなことを言われたのを思い出して、エスメルタはくすりと笑んだ。 同じ顔で類似の発言をする、この愛おしい男たちを、近付けてやれればという気持ちになった。

「あたくしには、助けてやれなかった弟がいて……、ヴェルヴィオイ様とは、亡くした時の弟と同じような年の頃に出会ったものですから……。祖国とは言語から違う異国の地で、心細く孤独な日々の中、もっと遊んで、もっと歌って、一緒にいてと……、まつわりついてきてくれるヴェルヴィオイ様には、ずいぶん慰められておりました」


 嘘はなかった。嘘をつくような必要もなかった。そうして数年に渡り、世話をしてきたヴェルヴィオイは、エスメルタにとって可愛い弟のようなものだ。

 実の弟が歩めなかった生の続きを、かつてのエスメルタは、自分に甘えながらすくすくと大きくなる、ヴェルヴィオイの成長に重ね救われてきたのだ。七、八年ぶりの思いがけない再会に、エスメルタはどれほど胸を熱くしたことか……!

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