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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
41/51

第十章 「寵姫」4

「ねえ、あなた」

 ヴェルヴィオイがアミスターゼと険のある眼差しを投げ合っていると、脇から声をかけられた。

「何?」

 ヴェルヴィオイが足を止めてそちらを振り向くと、そわそわとした宮女を連れた白金髪の美女が、綺麗に塗り上げた朱唇を馴れ馴れしげに綻ばせた。衣服の上からでも、その魅惑的な肢体の線が十二分に窺える、薄青の瞳をした艶やかな若い女であった。


「あなた、ヴィーと呼ばれてはいなくて? ミレーヌの息子のヴィー」

「そうだけど……、あんたどうしてそんなこと知ってんのさ?」

 ミレーヌの息子、という、ファルネンケルが調査中の、ヴェルヴィオイの素性を手繰り寄せる言葉。そして相手を訝りつつも、それを肯定するヴェルヴィオイの返答に、アミスターゼは息を飲んだ。後宮の庭という場所柄もわきまえず、あっさりとそんな大事を口にしてくれた、目の前の女が女でもある。


「わからないの? 薄情ねえ、あんなに何度も子守唄を歌ってあげたのに」

 お付きの宮女のように、ヴェルヴィオイの下町言葉に目を丸くすることも無く、むしろそれに調子を合わせた蓮っ葉な物言いをして、女はヴェルヴィオイにはとても懐かしい、異国の子守唄を口ずさんだ。甘く囁くような歌声が、柔らかく胸に染み入り、ヴェルヴィオイの心の琴線を震わせる。


「……ちょっと待って、この歌……。ひょっとしたらなんだけど、あんたって、マルタ、なのかい?」

「思い出してくれた?」

 ヴェルヴィオイにマルタと呼ばれて、女は満面に喜色を広げた。それはアミスターゼが聞き付けない、ここで知られる女の名を簡略化したような呼称であった。困惑しきりのアミスターゼと宮女をよそに、二人は瞳を輝かせ、無邪気に再会を喜び合っている。


「うっわー、何年ぶりだろう? あんた一体幾つになったのさ!?」

「とんでもなく失礼な子ねえ。いきなり女に歳を聞かないで頂戴な」

「ごめんごめん。だけどおっどろいたなあ。妙な所で妙な人に会うもんだね」

「それはこっちの台詞だわ。こんな隔世の場所で、ヴィーに会うことになるなんてね。知らない内に大きくなっちゃって、ヴィーはすっかり男の子になったのねえ……」

 生き別れた弟を見るかのような目つきで、自分とそう変わらぬ背丈になったヴェルヴィオイを感慨深く眺めてから、女は思い出したように周囲を窺って、男二人を誘った。


「こんな所で立ち話も何だわね、あたくしの室に招待するわ。アミスターゼもしばらくぶりだこと。あなたがいるなら陛下もお怒りにはならないでしょう? 一緒についていらっしゃいな」

「あれ、知り合い? やるねえアスター」

「知り合いと申しますか……」

 一体どういう知り合いかと、問い詰めたいのはこちらの方だと思いつつ、アミスターゼは語尾を濁した。あちらこちらの窓から、さらにはすぐ近くの木陰からも、ひりひりと感じ取れる衆目に頭を痛めるアミスターゼに代わって、女は謎かけでもするように、ヴェルヴィオイに向けてこう答えた。

「皇帝陛下の親衛隊はね、みなあたくしとは顔見知りなのよ。たとえその称号に『元』がついてもね」



*****



 ひそひそと噂話をされる中、白昼堂々若い男二人を自室に誘い込み、これみよがしに扉を締めさせてやっかみを弾いてから、改めて、女は名乗った。今の名は、エスメルタである、と――。

「ご寵姫エスメルタ様、ねえ。こんな化け物みたいになってちゃわかんないって」

 なるほど、皇帝の寵を一身に受ける愛妾なればこそ、気難しい皇后の、曰くありげな養子に話しかけるという、大胆な振る舞いができたわけである。

 勧められた長椅子でエスメルタと向かい合い、ヨデリーンに教え込まれた皇帝の女人関係図を脳内に広げながら、ヴェルヴィオイはそのように感想を漏らした。ヴェルヴィオイにはアミスターゼが、エスメルタには宮女キルシが、それぞれ背後に付いて控えている。


「化け物だなんてひどいわね」

()い女はみんな化け物だよ。マルタくらいの別嬪さんになると、男はちょっと見ただけでも、すぐにころりといっちゃうでしょ?」

「あら、それじゃあ、ヴィーもころりといってくれたの?」

「んー。俺はまだ、男の子なんだよね」

「おかしな理屈ね」

 エスメルタは楽しげにころころと笑い――古馴染みに出会えたのがよほど嬉しいようで、エスメルタは終始上機嫌だ――、浮かれ調子で言葉を続けた。


「そういえば、あたくし、自分からこの御部屋に、お客様をお招きしたのって初めてだわ。キルシ、お茶の用意をお願いね」

「はいっ、御部屋様」

「いいえ、お構いなく。主君に代わりまして、飲食による接待はお断り申し上げます」

 張り切ってご用に向かおうとした、キルシの意気込みを消沈させる冷たさで、慇懃無礼にアミスターゼが謝絶した。


「は? 何で?」

 温めていた旧交に水を差された気分で、ヴェルヴィオイはむっとして守役を見上げた。エスメルタも首を傾げる。

「本当、どうして? お夕食前だけれど、お茶の一杯くらいならお腹に入れてもらっても差し支えないでしょう?」

「何でもどうしても、よしておかれるのが双方のために賢明かと。口に入れる物、身に付ける物に慎重であらねばならないこと、ヴェルヴィオイ様は御部屋様以上に必要なお身柄でございますれば。まだ先を申さねばなりませんか?」

「……後宮の怖いお話ね。いいわ、それじゃあ、会話だけ楽しみましょう。ね、ヴィー」

 アミスターゼの説得に納得をした様子で、エスメルタはヴェルヴィオイにそう促した。


「マルタがそう言うなら」

「気持ち悪いくらい素直ですね、ヴェルヴィオイ様」

「だって、美人の言うことは聞いとかないと」

「ころりと参っているではありませんか」

「男の子は男よりも単純、ってことで」

「あら」

 アミスターゼが言い控えた『先』を理解しているのかいないのか、ヴェルヴィオイは先ほどの言葉の解釈を覆して、エスメルタににこっと笑いかける。女心を鷲掴む笑顔だが、アミスターゼにしてみれば、口の端を捻っていーっと引き伸ばしてやりたくなる表情である。

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