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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
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第十章 「寵姫」2

 軽く身を乗り出すエクスカリュウトに向けて、紙片に視線を走らせながら、ファルネンケルは報告を始めた。スタイレインも固唾を飲んで耳をそばだてている。

「『犬』曰く、スレイの『覚書』のおかげで情報が多く、身元もはっきりとしていたために、クリスティナの経歴を調べるのも、足取りを辿るのも容易かったと。端的に申し上げますと、クリスティナは既に亡くなっております。死亡したのはロジェンターに戻った年の末。死因は私刑を受けた上、街路で夜を越したことによる凍死」

「私刑の上、街路で、凍死……?」

 並べられた単語のむごたらしさに、エクスカリュウトは息を呑んだ。あの美しく賢しかった女が、何故そのような陰惨な死に目に遭ったというのだろう?


「ええ。死因についての詳細は後ほど。それよりもこれが事実なら、残念ながらヴェルヴィオイ様は、陛下のご落胤に非ず――という結果になりますね。腹が目立たぬうちにゾライユを出国していたとして、産み月を迎える前に母親が死んでいます。

 ただ死亡時に、クリスティナが身重であったことは間違いない、と。また、身元の確認は遺留品のみで行われ、行き倒れの遺体はその前に、その冬ロジェンターで山となっていた、難民の死体と重ねて共同墓地に葬られてしまっていたそうです。

 クリスティナ・リツモンドという女性(にょしょう)は、ロジェンターの戸籍の上で死亡してはおりますが、その遺体が本当に彼女であったのか、さらに申し上げますならば、そもそも遺体そのものが存在したのかというと非常にあやふやで、はっきり死んでいるとは言い切れない。あるかなきかもわからないその先を知るのは、いささか困難になりましょうが、調査を続ける余地はあるかと」

「そう……か……。ならば調べはそのまま続けてくれ。そちのことだ、既にそうしてくれているのだろうが」

「はい」


 残された道なき道に一縷の光を見出しながらも、エクスカリュウトはクリスティナが辿った茨の道に、胸が潰れる思いを禁じ得ない。憎しむ対象には非道を尽くし、粛清や征伐を果断し、多くの臣民に命を捧げさせて、人血に染まった玉座に掛けた自分の中に、そんな感情が生きていたことが驚きでもあった。


「それにしても、私刑とは……。たとえクリスティナが、生き延びていたかもしれなくとも、それがあったのは事実なのだろう?」

「ええ。誠に申し上げにくいことでありますが、クリスティナが私刑を受けたのは、その胎に不義の子……、十中八九間違いなく陛下の御子がいたからです。クリスティナは、見合いをするためにロジェンターに帰ったのだと、それは陛下が、皇后陛下からお告げになられていたことでございましょう?」

「ああ……」


 そうだった――。あからさまに取って付けたような理由だと、エクスカリュウトは信じていなかったが、それは真実であったのか。そうしてファルネンケルがその話を知っているということは、スタイレインは、エクスカリュウトが漏らす言葉の端々から拾い上げた情報まで、事細かに『覚書』に記録しているということでもある。


「まず、前提として申し上げておきますと、クリスティナはロジェンターの郷士階級の出身です。しかしリツモンド家は、クリスティナの成人を待たずして、男系が途切れたことにより没落。気落ちした母親も病がちになり、クリスティナは土地や邸を担保に薬を買って、一人で母親を看取ったそうです。その後家財を処分して、母親の友人に紹介状を書いてもらってロジェンター王宮の宮女に。クリスティナが、皇后陛下の輿入れの供とされ、陛下の情人に宛がわれたのは、こういった身寄りの頼りなさによるところもあったのでしょう。

 ゾライユ時代のことは、陛下の方がお詳しいでしょうから省略すると致しまして、クリスティナはロジェンターへ帰国直後に、ゼラルデが知人に用意を頼んだ男と、形ばかりの見合いをして婚約をしています。前述の理由から帰る家が無かったために、そのまま男の家に身を寄せたそうですが、皇宮下がりのやたらめったら綺麗な娘が嫁に来たと、近所でかなり評判になったそうですよ。それだけに、事の顛末もまたよく覚えられていたようで……。

 同衾できない婚約者の立場に留め置かず、男はすぐにもクリスティナと結婚したがっていたそうですが、器量も気働きも悪くない、出来た娘であることがかえって不審を招いて、男の女親が頑として譲らずに、婚礼まで三月を待たせようとしていた。そうする間にクリスティナの腹が膨らみ始めてきてしまって……。ロジェンターは男女の貞操にとかく厳しい国ですし、男自身は何もせず、我慢してきた上での出来事でもあります。そして周りにいるのは男の身内ばかり。後は想像に難くないでしょう?」

「ああ……」


「男はクリスティナが、いわゆる『東夷(とうい)』の子供が入った胎をどこまでも庇って逃げたことを恨み、行方知れずになった彼女をろくに捜そうとしなかったそうです。そこにクリスティナが、胎の子共々生き延びたかもしれないという仮説が生まれるわけですが、後味は良いものではありませんね。

 数か月後、尋ねてきた役人に遺留品を見せられて、男はその受け取りを拒否し、あの穢れた女死んだのか、せいせいすると言い放ったとか……。ロジェンターにおいて、和姦強姦を問わず姦婦を懲らしめるのは男の権利ですし、クリスティナの直接の死因は真冬の寒さでしたから、男とその家族は、むしろ戸籍を汚されかけたことに同情され、罪に問われることもなかったということです」

「なるほどな……、ご苦労であった、ファルネンケル、今日の報告はそれで終いか?」

「はい」

「スレイ」

「はい」

「予定を変更する。今宵はやはりエスメルタを召す。義務で女を抱く気にはなれん」

「かしこまりました。本日はエスメルタ様にお渡り頂きますよう、宮女長に申し伝えておきます」




*****




 用を終えたファルネンケルとスタイレインは、共に皇帝の執務室を辞した。控えの間には、スタイレインに閨の相手を問われたエクスカリュウトによって室外へと放逐された、恰幅の良い老境の男が苛々と待機していた。

「お待たせ致しました、宰相閣下。割り込みをして申し訳ございません」

 丁重に頭を下げたスタイレインに、ふん、と傲岸な鼻息だけで答え、帝国宰相リヨーケは、自分が退室を命じられている間にもかかわらず、名を告げると即座に執務室へと通された、ファルネンケルを睨みつけた。


「青二才で集まって、こそこそとしおってからに感じの悪い。ファルネンケル、長々と居座って、何の話をしておった?」

「それは陛下のお許しも無く、この青二才の口からはお答えできませぬよ。私もこちらのスタイレインも、陛下よりは幾つか年上にございますが」

「何をっ……!」

「リヨーケ、貴公と私では天資が違う。私に貴公の職が務まりませぬように、貴公にはできぬことを私が請け負っている。全ては狼心皇帝と帝国の繁栄の為に――、そうご理解頂ければ。御免」

 絡むリヨーケをものともせずに、ファルネンケルはそれだけ言ってさっさと辞去した。再度頭を下げてから、スタイレインもそそくさとそれに倣う。



「宰相閣下は耄碌されて来られましたな。ご自身は外廷において幅を利かせ、姪御は内廷で実質的な頂点を極められたからといって、すっかりと考え違いをなされておいでのようだ。宰相に任命された頃には、私心無き実務家で尊敬できる御方であられたのに」

 隣に追い付いたスタイレインに、ファルネンケルはそう零した。肩を並べて歩を進めながら、異論はなくスタイレインも調子を合わせる。

「どちら様とも、陛下におかれましては倦怠期でございますかねえ。両者とも、お歳を召されるにつれ厚顔になられて。可愛げを失くされた分、妬み深くなられたところまで、宰相閣下はヘルガフィラ様とご一緒ですよ、ズウェワ土侯家のお血筋ですかねえ」

「左側妃殿下のご機嫌はいかように? ヴェルヴィオイ様のご容姿がばれて以来、ひどく荒れておいでだと聞き及びますが」

「持ち直されたようですよ。なんとか。その昔、武器を取って馬に乗り、陛下を追い掛けて来られた時分から、勇ましい反面でとことん女でらっしゃいますからねえ、あの方は。単純といえば単純に、近々陛下に時間を取って欲しいとのご要請があった夜からの、連日のお召しが効いたようですね。本日も陛下の閨のお相手は、当初ヘルガフィラ様となるところでしたが……」

「義務で――と申されておいででしたな。なるほど、リヨーケには聞かせられない」

 ファルネンケルは喉の奥でくくっと(わら)った。


「その点、陛下のお声がかりで後宮入りされたエスメルタ様は、今陛下の癒しですからねえ。見た目も体つきも、そしておそらくは肌触りも、正に陛下のお好みで。ついでに言わせて頂くならば、元がタンディアの歌姫でございます。未通娘(おぼこ)でなかったのが残念でございますが、仕込むまでも無く床上手、おまけに啼かせた時の声がたまらないってとこですか」

「皇宮の宴席に送られるのは、タンディアの遊女でも極上の部類。病み付きになってしまわれるのもわからないではないですが、あまり寵は偏らせずに、陛下には近頃おさぼりがちなご様子の、夜の外交にも励んで頂きたいところではありますな」

「それは私の方で、おいおい具申と調整をしてゆきます。先ほどの調査結果が応えられたようですし、義務になるのは他の多くのお妾方もご同様ですし、本日のところはまあよろしいかと。……似ているんですよ、エスメルタ様は」

「似ている?」

「そう、どことなくクリスティナに。エスメルタ様はロジェンターの属国だった亡国、ボーラウジアのお生まれです。民族的に近いからでしょうか、顔形が――というのではなく、髪の色に瞳の色、それに雰囲気や何かが、そういえば……と髣髴させる感じでしてね」

「あのご寵姫に似ていると言わせるか。クリスティナという御仁も、相当美しい女であったと思しいですな」

 ファルネンケルの唸りを受けて、眩しいものを思い起こしたように、スタイレインは目を細めた。


「思い出補正もあるかもしれませんが、クリスティナの方が美女でしたよ。エスメルタ様はお綺麗というよりもお可愛らしい。そう感じるのは、私がそれだけ歳くったせいかもしれませんがね。エスメルタ様はずっと年下の若いお妾ですが、クリスティナは、当時盛りのついた小僧だった陛下や私よりも一つ二つ年上でしたし」

「ほう」

 まるで自分自身の憧れを語るように、皇帝の昔の情人を懐かしむスタイレインに、ファルネンケルは短く相づちを打つに止めた。



「では、また、ファル」

 別れ道へ来たところで、軽く目礼し、こちらへ背を向けようとしたスタイレインを、ファルネンケルはふと思い付いたように呼び止めた。

「ああ、そうだ、スレイ」

「何です?」

「クリスティナは、胎の子を、皇帝の侍従に手籠めにされてできてしまった子だと言っていたそうなのですが、何か心当たりはございませんか?」

 口から心臓が飛び出すような質問に、スタイレインは驚倒のあまりつんのめりそうになった。


「あっ、あるわけないでしょう! とんだでたらめです! 真実は口が裂けても言えなかったというだけでは? 故郷に戻し在野に放つにあたって、当然口止めされていたでしょうし――」

「そういうことにしておきましょう」

 意味深長な微笑を湛えてファルネンケルは去って行った。スタイレインはしばらくその場を動けなかった。

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