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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
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第十章 「寵姫」1

 それからマルソフィリカは、度々ヴェルヴィオイの身辺に出没するようになっていた。

 現れるのは決まって室内馬場である。もともと厩舎はマルソフィリカの遊び場であり、馬たちと戯れるついでに室内馬場も覗いてみて、そこにヴェルヴィオイがいれば顔を出す、という流れであるらしい。


「また来たんだ」

 再三の来訪に、呆れながらヴェルヴィオイがそう言うと、マルソフィリカは勝手に引き出し跨ってきた裸馬の上から、その鬣を掴みつつ傲岸に胸を張った。

「そうよ。ヴィーはまだまだ下手くそだから、マルソーが教えてあげるのよ。ヴィーがいつまでたっても格好悪いと、マルソーだって困るし」

「何でマルソーが困るんだかわからないし、別にマルソーに教えてもらわなくたって、乗馬の先生は別にちゃんといるんだけど……。ねえアスター、あんたからも何とか言ってやってよ」

「そうですね。枯れ葉色の教師陣に、念願のお色気が加わってよかったですね」

 マルソフィリカではなくヴェルヴィオイに言い諭す、アミスターゼの返答もどこか投げやりだ。耳を疑うような返しに、ヴェルヴィオイはアミスターゼに食って掛かった。


「ねえ、どこが!? ねえ、誰に!? それ本気で言ってるんだとしたら、あんたの感性相当やばいんだけど!?」

「マルソフィリカ様は、『皇帝陛下のお許し』という伝家の宝刀を、握ってお越しですから諦めて下さい。通達を受けて達観しておいでのカザンヤを見習って。まあ、実際殿下はお上手でございますよ。こうして裸馬にお乗りになれるくらいですからね。殿下に乗馬の手ほどきをしたのも、そういえばカザンヤだそうですから、マルソフィリカ様はあなたの姉弟子ですね」

「姉弟子! 素敵な響きね! マルソーの方がヴィーより偉いのね。当然だけど」

「天下の『狼心皇帝』は、ただの親馬鹿親父かよっ。てかアスター、色気の話はどこにいっちゃったわけ? 答えになってなくない?」

「男性ばかりの中での紅一点、女っ気という意味では間違いなく色気でございましょう。違う色気を求めて殿下をご覧になられたら、やっぱり陛下に殺されますよ」

「あー、もー、めんどくさっ」




*****




「――とかなんとかおっしゃりながら、面倒見は悪くないようで。手頃な遊び相手を得られて、近頃のマルソフィリカ様はご満悦でらっしゃると、『猫』が申しておりました」

 所変わって、ゾライユ皇帝の執務室。

 ファルネンケルの奏上を脇で漏れ聞いて、たまたま居合わせていたスタイレインが、ぶるぶる肩を震わせている。「おやっ……親馬鹿親父っ……」と、声も歪ませているところを見ると、そこが彼の笑いのつぼに入ったらしい。


「スレイ、言いたいことがあるならはっきり言わんか」

「いや、ははは……。よろしいですねえ、実によろしゅうございます、皇后陛下のご養子君は、怖いもの無しで。陛下のことを親馬鹿親父っ……、みな心の中では思っていても、口にはできないようなことをはっきりと……」

 憮然としている主君に答えて無礼をこきながら、涙目で腹を捩るスタイレインを横目にして、ファルネンケルは飄々と続ける。


「マルソフィリカ様のお気に召されたのもその辺りでしょう。並みの者なら皇女殿下にどこか遠慮がありますから。仲良きことは美しきことではありますが、陛下、微妙なお年頃のマルソフィリカ様に、ヴェルヴィオイ様と接触する許可を、よくお与えになられましたね」

 こめかみに指先を押し当てて、エクスカリュウトは頭を支えた。マルソフィリカは命に代えても惜しくない愛し子だが、皇女のわがままとお転婆は、エクスカリュウトの尽きない悩みの種でもある。


「マルソフィリカに禁止は逆効果だ。あれはいかんと言うておっても、好き勝手にどこへでも行ってしまうゆえ。下手に反発させて、ヴェルヴィオイの室にまで侵入されるよりかは、時と場所を限って会わせる方がましであろう」

「皇后陛下と左側妃殿下には、どのように?」

「マルソフィリカに手を焼かされておるのは、ヘルガフィラも余と同様であるし、ルドヴィニアはぶつぶつ不平を垂れておったが、十一の子供に何ができるものかと黙らせた。マルソフィリカは馬の御し方も性質も、怖さも十分知っておる。乗馬の練習中であれば、そうそう邪魔にはならんだろうし、皇后方、左側妃方の宮女が角突き合わせるような恐れもない。『猫』の外にアミスターゼとカザンヤもおるし、まあ問題はなかろう」

「……左様でございますねえ」

「何だ今の間は?」

 何やら含みを感じさせるファルネンケルの相づちに、エクスカリュウトは眉間を寄せた。

 当人たちはもちろんのこと、アミスターゼもカザンヤも保身に走り沈黙していたが、『猫』を通して室内馬場での接吻事件を耳に入れているファルネンケルからすれば、知らぬは父親ばかりなり、だ。


「いえ。皇女殿下におかしなことをすれば陛下に殺されると、度々アミスが脅しつけているようですし、ヴェルヴィオイ様の気に入りの宮女は、かなり年上の豊満なロジェンター美人だそうですから、ヴェルヴィオイ様の側から、誤られるようなことはこの先まずないでしょう。

 ですが、マルソフィリカ様のお気持ちは、注視しておかれた方がよろしいかと。お歳の近い異性と、これまで密に接されたことのない御方です。ご兄妹(きょうだい)の可能性もあるわけですし」

「ふむ……、難しいところであるな。ヘルガフィラは可能性すら認めぬ女であるし、余もそれに調子を合わせておかねばならぬ。しかしマルソフィリカには、もうそんな心配が必要なのか?」

「いつ恋をなさっても、おかしくないお歳ではあらせられますね。ご禁制が効かぬなら、マルソフィリカ様を婿候補となられるであろう公達と、そろそろお引き合わせになることをお考えになられては? 異母兄であったとしても、ただの模造であったとしても、どちらにしてもありえぬ御方ではなく、現実味のあるお相手として、そちらを意識して下されば」


「いつまでも父親っ子のままにはしておけんか。寂しい話であるな」

「お寂しいのなら御子を増やして下さい、陛下。この際どなたとでも結構ですからぽこぽこと」

 ぼやく親馬鹿親父に向けて、なんとか笑い終えていたスタイレインが、ここぞとばかりに上申した。そちらにちらりと視線を向けて、エクスカリュウトはさらにぼやく。

「増やす努力はしているが、どうにも報われん。余の後宮は伏魔殿で、まともに子が生まれ育ってくれる場所ではないらしい」


 後宮の主は皇帝ではあるが、エクスカリュウトが日中不在になり、信頼できる侍従や宮女長を置いていても、目を行き届かせることができぬそこは、男には完全支配の難しい、閉ざされた女社会でもある。後宮に巣食う魔物の親玉が、エクスカリュウトにも薄々どころではなく察せられているが、罪無き上に処罰し難いそれを断罪することは(あた)わず、茶番のような蜥蜴の尻尾切りに付き合わされることの繰り返しだ。

 彼女が皇太子を上げてくれさえすれば、この問題は一息に改善されるのではないかとも思うのだが……。まるで天罰であるかのように、二人目の授かり物は、エクスカリュウトがどれだけ胤を仕込んでも、なかなか彼女の胎に降りてきてくれない。


「ふうむ。替わりに野で育っていて下されたなら、という話でございますけれどね。陛下、本日はその件でも、陛下のお耳にお入れしたいことがございます」

「何か進展があったのか?」

 エクスカリュウトに促され、ファルネンケルは改まった表情で、胸元から小さく折り畳んだ紙を取り出した。

「はい。ロジェンターに放っております『犬』から、クリスティナ・リツモンドに関する調査報告が届きました」

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