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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
33/51

第八章 「覚書」2

「並行も手伝わせもしておらん。ルドヴィニアがそれらのことを受け入れられる女なら、現行で褥滑(しとねすべ)りなどさせておらんわ。輿入れをして参った時、あれはまだ十二と幼かったゆえ、当初は白い結婚だった。その間、余が身を慎んでいたかというと、そうでもない、というだけの話だ」

 三杯目の酒をスタイレインに注がせながら、何でもないことのようにエクスカリュウトはそう述べた。一方でファルネンケルには、どうにも腑に落ちない点がある。

「では、あのゼラルデが、後宮を仕切っていたロジェンターの監視下で、ご寝所に夜伽を召しておられたということですか?」

「まあ、な」

 歯切れの悪いエクスカリュウトの肯定に、ファルネンケルは一応の確認を試みる。

「小姓を代替えになされていたというのではなく?」


 質問を重ねるファルネンケルを見返して、エクスカリュウトは何を聞くのかという顔をした。

「そちと違ってそっちの趣味は無い。仮に伽をさせていたとしても、小姓ならば孕みもせんだろうが」

「そうではありますが……、よく見逃してもらえたものだと思いまして。夜伽の女は決まっていたのですか?」

「……どうであったかな?」

「どうだったのですか? スレイ」

 のらりくらりとするエクスカリュウトに、ファルネンケルは業を煮やした。問い掛けられてスタイレインは、胸元からその当時の『覚書』を取り出して、卓上をすっと滑らせた。


「ここに全て記録をしておりますが、あの頃の陛下の夜伽ならば、この『覚書』を開く必要もございません。該当する情人は唯一人です」

「……そうであったかな」

「はい。他の女子(おなご)には一切目もくれず、一人の宮女に寵をかけておいでであったと記憶しております。いちいち私に聞かれずとも、陛下はご自身で、とうに思い出しておいでなのではありませんか?」

「……若気の至りというものだ」

「そんな強がりを仰らずとも、スタイレインにはよーくわかっておりまする。陛下におかれましては、まさに一生一度の恋でございましたな」

 勝手な解釈をしながら、スタイレインは心得顔で頷いた。


「ほう、それは意外な」

 スタイレインが几帳面に綴じ合わせた、すすけ色の『覚書』を手に取りながら、ファルネンケルはにたりとした。

「畏れながら陛下は、色恋に迷うことなどありえぬ方と思っておりましたが、そのような女性(にょしょう)が過去におありでしたか」

「スレイの戯言に過ぎぬ、本気にするな」

 エクスカリュウトは否定したが、ファルネンケルは構わずスタイレインに問いかけた。


「して、我らが『狼心皇帝』の、お心を蕩かしたのはどのような女性で?」

「うーん、蕩かされてしまわれたのは、お心よりもお身体の方が先だったような……」

「……スレイ、それはあまりな言いようではないか……」

 暗黒の少年期の、未熟であった恋と性とをとうとうと暴露してゆくスタイレインに、エクスカリュウトは額を覆った。ヴェルヴィオイの出自を調べさせるためには、避けて通れない話ではあるが、エクスカリュウトの脳裏に浮かび続けているのは、あまり人に明かしたくない相手である。


「恥じ入られることはございません、陛下。男なら誰しも惑わされてしまいそうな、男殺しの美女でありましたゆえ。正直申し上げて羨んでもおりましたが、ロジェンターは陛下が子供であるのをよいことに、どこまで骨抜きにして飼い馴らすつもりかと、日々『覚書』を記しながら無念がったものです」

 屈辱の帝冠を被せられ、傀儡の皇帝に据えられたエクスカリュウトが、半ば捨て鉢になって敵国の女にのめり込んで行く様を、一番近くではらはらと見守っていたのは、他ならぬスタイレインである。傷つき荒れた主君の姿に心を痛めもしたが、彼女が故国での縁談のために、皇宮を下がったと知った時、スタイレインはたいそう安堵したものだ。


「ロジェンター?」

 怪訝そうに眉を寄せたファルネンケルに、エクスカリュウトは観念した。彼が繰り始めた『覚書』に、何がどこまで書かれているのか知らないが、どうせじきにほじくり返されてしまうに違いない。

「クリスティナ……と申してな、ロジェンターから、ルドヴィニアの輿入れの供として従ってきた宮女だ。婚礼の夜に遣いと称して、花嫁の代わりに送り込まれて来たのに魅入られてしまってな……。妾に上げることはできんかったので、ごく限られた者しか知らぬことだが、夜毎寝所に呼んで情けをかけていた」

「そのような危険な女に手を付けて、おまけに恋までなさいましたか!」

「なので最初から、若気の至りと言うておろう!!」

 予想通りといえば予想通りだが、少年の日の熱病のような恋をファルネンケルに非難されて、エクスカリュウトは苛ついた。ぐいと空けた杯をどんと差し出して、スタイレインにおかわりを催促する。ファルネンケルも呆れながらそれに倣った。




「……愚かだったと自覚している。あの頃の余は囚われの身であり、首に縄を掛けられて、つま先立たされた命だった。余を懐柔するために、用意された餌とわかっていながら、この女に溺れることで、憂き世を忘れていられるならば、言い成りでいいとさえ思っていた。クリスティナは、そんな余に強くなれと、命に仇なす敵は全て滅ぼせと、餌らしからぬことを申して、焚き付けた怖い女でもあってな――」

 だからこそ惹かれていたのかもしれない。クリスティナへの恋着は、そのまま生への執着でもあった。 エクスカリュウトが今現在、『狼心皇帝』と呼ばれるに至るのは、クリスティナを与えられ、奪われたからこそだ。

 少年であった自分を魅了して、宿敵ロジェンターに生涯をかけての復讐を誓わせた、忘れえぬ女の面影を、エクスカリュウトは回顧する。


「クリスティナが、余に暇乞いをすることもなく、突然祖国へ帰ったと知らされたのは、ルドヴィニアが余の寝所へ渡るようになった直後のことだ。余がルドヴィニアにのみ関心を向けるよう、用無しどころか邪魔にすらなった女を、ロジェンターが排除したものだとばかり思っていたのだが……」

「他にも理由があったのかもしれないと、今になってお疑いなわけですな?」

「そうだ。だがそのように匂わせておきながら、偶然に(つら)の皮が余に似ているというだけの、 赤の他人を見つけてきた可能性も否定はできぬ。猜疑をするに越したことは無かろうな」

 我が子ではないかという疑念の方が大きいが、エクスカリュウトはヴェルヴィオイの素性について、慎重な姿勢を崩さなかった。

 納得をした様子のファルネンケルとは対照的に、スタイレインが心配げに進言をした。


「いずれにいたしましても、あのようなお姿が知れ渡れば、間違いなく宮廷は揺れるでしょう。真偽が定かではございませんが、皇后陛下にお任せきりにならず、いましばらく陛下のお手元へお寄せになっておかれませんか?」

「いらぬ世話だ」

 エクスカリュウトはばっさりと即断した。

「あれには既にアミスターゼをつけておる。アミスターゼは余の寵臣とも、ファルネンケルの身内とも知れておるゆえ、くだらぬ手出しをしようとする者どもへの牽制にもなってくれよう」

「ですが陛下、それでは怯まぬような御方もおられましょう。そういった方々こそがスタイレインには危惧の種でございます。万一のことがあってから真と知れ、後の祭りということだけは――」


「スタイレイン」

 具申を続ける腹心の名を、エクスカリュウトは重々しく呼んだ。答えるスタイレインの身が我知らず引き締まる。

「はい」

「真実あれが余の胤であったとしても、誰ぞの手駒であることに甘んじ、そこから脱せぬような愚息ならばいらぬ。皇后の保護下にありながら、もしも余の庇護無くして、この宮廷で生き残れぬようであれば、そこまでの運であり器であるということであろう」

 エクスカリュウトはそう宣下し、杯を卓に下ろした。度の強い火酒を、何杯も飲んできたにも関わらず、酒気をまるで感じさせない皇帝の強い眼差しに、同席する二人も自ずと居住まいを糺す。


「ファルネンケル」

「は」

「ヴェルヴィオイの出生に関する調査をそちに申し付ける。細心の注意を払ってこれにあたるがよい」

「承知致しました」

「スタイレイン」

「はい」

「過去の記録と記憶、そして人脈によってこれを()けよ。そちにしかできぬことである」

「畏まりました。陛下にお慶びを申し上げられますこと、心よりお祈り致しております」

「うむ」


 慶び――、ああそうだ、ロジェンターに係わりのある子供であっても、エクスカリュウトの心の内には、慶びを欲する思いが、ヴェルヴィオイに流れる血脈と眠る資質に、期待をかけたい気持ちがあるのだろう。

 ヴェルヴィオイが、クリスティナの息子であるとするならば。

 それは間違いなく、己を少年から男に変えた運命の女に、エクスカリュウトが望み産ませた皇子であるのだから――。

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