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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
30/51

第七章 「守役」3

「ふうん。てことはきっと、皇后陛下にも似たような噂があるんだろうね」

 淡々とヴェルヴィオイは衝撃的な臆見を述べた。さっと血の気が引いた顔をヨデリーンは離した。

「ヴェルヴィオイ様!」

「だって違わないでしょう? 子供のいないロジェンター人の皇后も、たった一人生き残っている皇女の母親も、同じくらいに怪しくない? どっちの噂が先に出たのか知らないけど、相手にやられたからやり返してるんじゃないの? 噂通りのことを、皇后や左側妃がしていてもしていなくても、自分を守るためには、いかにもって人だとか、目障りな人だとか、陥れたい人だとかを疑って見せるだろうし」


 数多ある後宮の女の中で、エクスカリュウトの后妃は二人きり。

 皇后ルドヴィニアと左側妃ヘルガフィラは、後宮の二大巨頭として火花を散らす関係だろう。互いを『端女』扱いし『へちゃむくれ』と罵った、当初からの二人の反目をヴェルヴィオイは知らないが、仲良し小好しであるわけがないことは容易く想像できる。


「あくまで噂の域を出ないことですわ。そのようなことを、軽々しくお口になさってはなりません」

 否定をしないことでヨデリーンは肯定をした。嗜める口調に、ヴェルヴィオイはそれを確信する。

「わかっているよ。ここには今、あんたしかいないから言っているんだ」

 青ざめるヨデリーンに、気弱めかした眼差しを向けて、ヴェルヴィオイは声を潜めて訴えた。


「俺はね――、怖いんだよ、ヨデル」

「何が恐ろしゅうございますか?」

「皇宮にはきっと、俺が今まで知らなかったような、気味の悪い化け物がたくさん棲んでいる。急にこんなことになってしまって、一体誰を、何を信じていいのかさえも、俺にはわからないんだ」

「ヴェルヴィオイ様……」

 呟いてヨデリーンは同情的に目を細める。もう一押ししておこうと、ヴェルヴィオイが思った、その時だ。


 頃合いを見計らったかのように、無粋なノックの音が三度響いた。ヴェルヴィオイはけれど無視を決め込んで、戸惑い逃れようとしたヨデリーンの手を素早く捉える。

「触れてみて。ほら――」

 不安定に揺るがした、淡い水色の瞳でヨデリーンの視線を絡め取りながら、ヴェルヴィオイは掴まえた宮女の指先を自分の頬に導いた。そうしてその手の平に、そっと唇を当てる。

「ね、震えてるでしょ? 怖いんだ、本当に――」


 先程よりも大きく、間隔を狭めて、再びノックの音がしたかと思うと、僅かながらの間をおいて、ヴェルヴィオイの返答を待たずに扉が開かれた。戸口に立つ人影を黒く浮かび上がらせながら、隣室の明かりが細長く漏れる。

「――反省の色は、まるで無いようですね」

 若い男の声にヴェルヴィオイが振り返ると、開け放した扉に手を掛けたまま、冷眼をしたアミスターゼが立っていた。




*****




「どうしていきなり入ってくるかなあ?」

 ほのかに羞恥をしながら、さり気なく身を引こうとするヨデリーンを解放し、ヴェルヴィオイは悪戯を見咎められたように首をすくめた。

「ノックなら何度も致しました。お返事を頂戴できなかったので、誠に遺憾ながら踏み込ませて頂きましたが」

「ほおっておいてもらいたかったから答えなかったのに。遺憾だなんて思っているんなら、何でそっとしといてくれないのさ」

「それでは職務放棄になりますもので」

「はあ?」

 神経を逆撫でするヴェルヴィオイの返しに、アミスターゼはしかし折り目正しさを崩さなかった。


「いついかなる時も、守役にとっての最優先事項は、主君のお身柄の安全確保です。故に室内での事変が想定される場合には、お許し無く扉を破っても、お咎めは免除されることになっております。でき得る限りお姿を見せて頂きたく存じますが、やむにやまれぬ事情で私と顔を合わせたくない場合には、ご面倒でも一言お返し下さいますように」

 ヴェルヴィオイの理解が及ぶよう、アミスターゼは噛んで含めるように説いてから、その冷たい銀灰色の双眸をヨデリーンに向けた。


「宮女殿はもう、お休みになって下さい。後のお世話は私が承ります」

 気遣いをしているような言い様ながら、実質的には退去の強制である。皇帝直々のお声掛かりにより付けられた守役なので、新参者であっても、アミスターゼはヨデリーンよりも遥かに優位である。

 皇宮勤めの長いヨデリーンも心得たもので、上級宮女の鏡のような品の良い微笑を浮かべると、何事も無かったかのように承諾した。

「はい。宜しくお願い致しますわ、守役様」

「アミスターゼです、ヨデリーン殿」

 名乗ってアミスターゼは目礼をする。アミスターゼは新しい主君に仕える筆頭宮女の情報を、予備知識として押さえてきていた。


「それでは、アミスターゼ様、お言葉に甘えて休ませて頂きます。わたくしは自室に下がりますが、必要がおできになりましたなら、控えの間におります夜番を呼び、いくらでもお遣いになって下さいませ。お休みなさいませ、ヴェルヴィオイ様」

「うん、お休み」

 ヨデリーンは二人に辞去の挨拶をすると、淑やかに一礼し、控えの間へと消えていった。

 ヨデリーンを送り出した扉を閉ざして、寝所の薄闇の中に一旦沈んだアミスターゼは、暖炉の炎に照らされているヴェルヴィオイの前へ静やかに進んだ。




「ご就寝の準備は全てお済みですか?」

「見ての通り、終わっているよ」

 椅子の正面向きに片膝立てで座り直して、ヴェルヴィオイは両手を広げてみせた。

「お着替えがまだ、途中のようですね」

 アミスターゼは軽く眉根を寄せると、ヴェルヴィオイの襟元に手を伸ばして、二つ目まで開いていた寝衣の釦を、一番上まできっちりと留めた。


「なんだか息苦しいよ、一個だけでも外しちゃっていい?」

「気のせいです。幾分余裕がございますからそのままにしておきなさい」

 ヴェルヴィオイの小さなわがままも認めずに、アミスターゼはその要望を却下すると、時を戻した皇帝の複製のような、ヴェルヴィオイの顔をじっと見下ろした。

「……何?」

 ヴェルヴィオイは不審げに、守役を見上げた。アミスターゼの賢しげな顔立ちは、表情を失していると酷薄にも感じられた。


「夜番の宮女たちに、ことごとく手を付けられたそうですね?」

「くだらない質問だね。何でそんなこと聞くのさ?」

「確認を取っただけです。ご自分が何の理由で折檻されるのか、お知りになっておきたいでしょう?」

 アミスターゼはそう言うと、椅子の背もたれに左手をがしりと置いて、そこに掛けたヴェルヴィオイにずいと肉薄した。


「痛いのは、お嫌いですか?」

「あっ、あたりまえじゃないか! そんな変な趣味持ってないって!!」

 身体で逃げ場を塞がれながら、左の耳元でぼそりと問われて、さしものヴェルヴィオイも縮み上がった。アミスターゼは、それとは真逆の嗜好の持ち主ではないかと、思わず疑った次第である。


「それは重畳。ゼラルデ殿のご依頼ではありますが、仮にもご主君とお呼びする方に、体刑を与え、目に見える傷をお付けするのは私も本意ではございません。――最終手段に残しておきましょう」

 ヴェルヴィオイの面様がよく眺められる位置まで上体を起こしながら、アミスターゼは椅子の背もたれを掴んだまま、さらりと頬に流れきていた右側の髪を耳に挟んだ。

「うっわー、陰険だなあ!」

「褒め言葉と伺っておきましょうか」

 ヴェルヴィオイの率直な所感をアミスターゼは平然と受け流し、慣れた仕種でその顎を掬い上げた。

「かわりに――、そうですね。今日のところはこのような仕置きでいかがです?」


 いたぶるために重ねられたアミスターゼの唇を、ヴェルヴィオイは巧みに受け止めた。

 (かく)してやるつもりの戯れであったものを、思いがけず積極的に応えられて、アミスターゼは一驚し、慌てて身体を跳ね起こした。


「――っ!!」

「うーん……、悪くなかったけど、これくらいで驚いているようじゃあ口程にもないね。せっかくこれから、もっと良くしてやろうと思ったのにさ」

 ぺろりと舌舐めずりをして、ヴェルヴィオイはそこに広げた右手の親指を当てる。

 一つの口付けを境にして、がらりと趣を変えたヴェルヴィオイの指先が、淫靡に濡れた唇をなぞってゆくのを、アミスターゼはしばし言葉を失くしたまま見届けた。

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