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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
28/51

第七章 「守役」1

 皇帝との対面を終え、ヴェルヴィオイは自室と化しつつある、いつもと同じ一続きの居室に押し込められていた。

 寝所には、他に誰もいない。珍しく一人きりである。

 何かにつけて口煩く干渉してくるゼラルデは、そのまま皇后の許に留まっており、守役に任じられたアミスターゼは、所用があって皇帝に随行していた。


 寝台の上で両膝を抱えて、ヴェルヴィオイは脇机に乗せられた呼び鈴を、先ほどからずっと見つめている。これを取り上げ、軽く一振りすれば、控えの間から宮女がやってくるだろう。

 昼の間、ヴェルヴィオイに付けられる宮女は三人、就寝から朝の身支度までの世話をする夜番は一人。 彼女たちは呼び鈴の澄んだ音を漏らさず聴きつけて、扉の向こうから声を掛けてくれるのだ。お召しでしょうか――、と。


 最初はそれが面白かった。自分のような市井の子供の要請に応えて、下町ではまず見ないような、淑やかな女たちがかしずいてくれるのだ。ヴェルヴィオイが純朴な少年であれば、ただそれだけのことで舞い上がり、有頂天になっていたかもしれない。

 けれどもヴェルヴィオイは、ミレーヌの息子だ。宮女たちに構われるのも、甘えてみるのも嫌ではなかったが、ヴェルヴィオイは自分が虜囚であり、彼女たちが人の形をした檻の一部であることを知っていた。

 逆らうことを許さず、逃げ出す気にもなれない厳重な監視。宮女たちを誘惑し、手懐けてみたところで、居室を出た先の廊下には、複数の衛士たちが常に目を光らせている。




「……皇后の養子って……、何だよ……」

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、ヴェルヴィオイは怒りを通り越して呆れ果てていた。皇帝も皇后もその乳母も、そして守役となったあの青年も、みな正気であるとは思えない。


 ヴェルヴィオイはふと思いついて寝台から下り、壁際に置かれた姿見の前に進んだ。

 鏡の中から、血のように赤い髪をした少年が、うんざりとした顔つきでヴェルヴィオイを見返してくる。

 やはり、似ている――、と思う。薄気味が悪いほど。

 瞳の色も、年齢も生き様も、皇帝と自分とではまるで違っているというのに――。


「……ミレーヌ……」


 唇から零れたのは、母親の名前だった。息子ですらも欺き続けた偽りの名前。

「あんたは酷い母親だけど、これは本当に最悪だ。ちょっとは何か、わけがわかるように、教えてくれていたってよかったのに……」

 ぼやきながらもヴェルヴィオイは認めざるを得なかった。

 自分のことだけを考えていれば、ミレーヌはずっと楽に生きることができた筈だと。ロジェンターの生まれであり、この皇宮で宮女をしていた過去を明かさなかったことも、故国を捨て名前を変えて、アスハルフで娼婦に身を落としたことも、息子を隠し守って育ててゆくために、選んだ道であると――。




*****




 扉が三度、外側から控え目におとなわれた。

「何? 呼んでないよ」

「ゼラルデ様がお越しでいらっしゃいます」

 刺々しいヴェルヴィオイの応対に、落ち着いた宮女の声が大人しやかに答えた。

「遠慮する気なんてまるで無いんじゃないの? 入ってくれば」

 取次ぎをする宮女ではなく、傍らにいる筈のゼラルデ本人に向けて、ヴェルヴィオイはつっけんどんに言った。

「それでは、失礼を致します」

 それでもやはり、返事をしてくるのは宮女の声だ。同じ宮女の手でおもむろに開かれた寝所の扉は、険しい顔つきのゼラルデだけを室内に送り込んで再び閉ざされた。




「何しに来たんだい?」

 寝台のある部屋にゼラルデを迎えて、ヴェルヴィオイは自分とゼラルデの立ち姿を映した姿見に片手の指先を当てながら、鏡越しに挑発的な流し目を送り、人を悪徳に誘うバリアシ教の堕天使のように、退廃的な微笑を浮かべた。

「いつもの説教? それとも、宮女たちの話を聞いて、あんたも俺が欲しくなった?」


「馬鹿にするでない!!」

 頭から湯気が出そうなほどにいきり立って、ゼラルデは開口一番に怒鳴り付けた。

「子供のくせに色狂いとは、実に嘆かわしい限りだな! 口ばかりでなくその腐り切ったふしだらな性根まで、正してやらねばならないのか!」

「はっ。溜まったもんは出す。やれる相手がいるならやる。健全な青少年の当たり前の欲求じゃないか。 それにこんなふざけた茶番、気晴らしをしながらじゃないとどうにも付き合いきれないって」

 うるさそうに髪を掻き上げ、顔つきを生意気な子供のそれに戻しながら、ヴェルヴィオイはゼラルデを振り返った。

「ふざけているのはお前だけであろう!」

「それじゃああんたも、他の人たちもみんな本気なんだ? (たち)が悪いよね」

「ヴェルヴィオイ!」

「なーにかな?」

 激昂するゼラルデをさらに煽るように、ヴェルヴィオイはおちゃらかした答え方をする。身体の震えを抑え込みながら、ゼラルデはがらりと口調を変えた。


「皇帝陛下のご承認が下りた以上、あなた様は正式に、ルドヴィニア様のご養子君とあいなられました。 こちらもそのつもりで、今後はヴェルヴィオイ様とお呼び申し上げます。皇后陛下のご尊顔に泥を塗りたくることのないように、以後くれぐれも御身と御言葉を慎まれますよう」

 言葉遣いは丁重だが、ルドヴィニアに恥をかかせたらただではおかないと、ゼラルデの低い声音は言外に脅している。ヴェルヴィオイは恐怖ではなく悪寒で粟立つ腕を擦った。

「そんな急にへりくだられるとめちゃくちゃ気味が悪いね。それじゃあ俺は、あんたのことを、今から顎で使えるわけ?」

「無論」

 勿体ぶるように言葉を区切り、ゼラルデは口の端をつり上げた。

「わたくしの口振りが変わったからとて、立場の上下まで入れ替わったなどとは、勘違いをなされませぬように」

「まるで詐欺だよね、それじゃあ」

 わかりきっていたことだが、改めてがっかりとするヴェルヴィオイである。


「今まで通りの行儀作法の授業に加えて、明日からでも早速に、武芸勉学教養にも、しっかりと励んで頂きましょう。おさぼりになれば各教師から厳罰が科せられましょうほどに、どうぞ心してかかられませ」

「勘弁してよ……」

 想像だけでヴェルヴィオイはげんなりと音を上げた。武芸も勉学も教養も、ヴェルヴィオイには生まれてこのかた縁のなかったことである。

 ヴェルヴィオイは花街の中で育った。その色欲にまみれた、苦界で強かに生きてゆく為には、百戦錬磨の喧嘩上手になるよりも、絡まれずに済むだけの人脈を作ることの方が、学識や教養を得るよりも、人あしらいや渡世術を学ぶことの方が重要だった。




「あんたは俺に、一体どうして欲しいわけ?」

 唸るようにしてヴェルヴィオイはゼラルデに尋ねた。

「言わずと知れたことでございます。皇后陛下のご養子君として、母堂ルドヴィニア様を敬愛申し上げ、一日も早くそのご身分に相応しい、立派な公達(きんだち)にお育ちあそばされますよう」

「皇后陛下の御為にって? ――御免被るね」

 ゼラルデの慇懃無礼な口上に答えて、ヴェルヴィオイは吐き捨てるようにそう言った。ゼラルデは僅かに眉を顰めたが、ヴェルヴィオイを(から)め手で懐柔にかかった。


「手段はどうありましょうと、あなた様自身のご栄達を、ミレーヌも望んでおりましょう」

「……ずるいことを言うね……」

 ヴェルヴィオイはゼラルデをまるっきり信用していなかったが、それはとてもあり得ることのように思えた。ミレーヌが自分を手放して、皇宮へと連れ去らせたのは、おそらくそのためであるのだろう。ゼラルデに見つけられてしまって、己の手ではもう、息子を匿い切れないと諦めたということかもしれない。

 情人の家を渡り歩き、ミレーヌのいる『小夜啼鳥の館』へはめったに寄り付かなくなっていたヴェルヴィオイであったが、自身の身体を金子(きんす)に換えて、女手一つで育ててくれた母親には格別の思いがある。ゼラルデとルドヴィニアの会話を継ぎ接ぎにして、ミレーヌが辿ってきた、数奇な過去を知った今ではなおさらのことだ。




「ねえ――」

 母親に抱いた感傷を振り切るようにして、ヴェルヴィオイはゼラルデに(ただ)した。

「俺の父親が誰なんだか、あんたは知っているんだろ?」

 あまりにも厚顔な質問である気がして、自分の父親は、ゾライユ皇帝エクスカリュウトなのではないかとは、さすがに聞けなかった。


「わたくしが存じておりますのは、可能性に過ぎぬことばかり……。非常に繊細な問題でありますゆえ、当て推量ではお答えを致しかねます」

 全てを知り尽くし画策をめぐらした張本人でありながら、ゼラルデは言明を避けた。

「食えない婆さん」

 呟いて、ヴェルヴィオイはちっと舌打ちをする。


「よくよく口と態度の悪い若君でいらっしゃる。後ほど守役殿にも、厳しい躾をお頼み申すと致しましょう」

 ぎろりとヴェルヴィオイを睨みつけながら、ゼラルデは呼び鈴を鳴らした。

「――お召しでしょうか?」

「入れ」

 慣例の受け答えがあって宮女たちがやってくる。ゼラルデが彼女たちに、あれこれと用を言い付けるのを聞くとはなしに聞きながら、ヴェルヴィオイは安楽椅子に身を投げて、ぷいとそっぽを向いた。

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