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氷血の皇子  作者: 桐央琴巳
第一部 胎動編
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第六章 「対面」3

 翌日に予定されていた、ヴェルヴィオイのエクスカリュウトへの引き合わせは、それからしばらく日を置いて、五日の後に延期されることになった。

 皇后の室の並びにある、皇子皇女の為の室の一つが解放され、得体の知れぬ少年が、半ば監禁状態で寝起きをしているという話は、既にエクスカリュウトの耳にも届いている。

 三日目には、寝物語の話題において、あれは誰かと愛妾が問うくらいに噂の伝達は早かったが、エクスカリュウトは一言「知らぬ」とだけ答えていた。少年がルドヴィニアの養子候補であろうことは、重々承知していたが、正式な申し入れのない時点では、ただそれだけのことでもある。


 皇帝エクスカリュウトは繁多だが、この際それはヴェルヴィオイの引き合わせが、先延ばしにされた理由にはならない。夫婦の関係は冷え切ったものであっても、エクスカリュウトは皇后としてのルドヴィニアを、今でもやはり重んじていたからだ。

 弊害となったのは他でもない、ヴェルヴィオイ自身の態度と言葉遣いである。ヴェルヴィオイには、皇后との初対面でその顔色をなからしめた前科があるので、皇帝の御前で怒りを買うような失態を演じぬよう、ゼラルデの監督下で、一応の体裁をつけされていたのである。

 皇后とその乳母に対する、不信感と懐疑心は拭えないようであったが、ミレーヌの関与を知って諦めたのか、ヴェルヴィオイは表面上逆らわず、ゼラルデがつける注文に嫌々ながらも従っていた。しかしその裏で、肩をいからせながら退室してゆくゼラルデの背中に向けてこっそりと舌を出し、とんでもない問題を引き起こしていた。


 ヴェルヴィオイは、夜番に当たった宮女たちを誘って、夜毎同衾させていたのである。


 ヴェルヴィオイの朝の身支度の手伝いは、夜番をしていた宮女の仕事である。少年と自分の身体を綺麗に拭き上げ、手早く寝台を整えて、宮女たちは何食わぬ顔で情事の形跡をごまかしていたのだが、昨夜の宮女がうっかりと、裸で寝坊をしてしまったことからその事実は露見した。個別に呼び出し、宮女たちのしどろもどろの弁明を聞きながら、潔癖なルドヴィニアにはとても聞かせられない内容に、ゼラルデは額を覆った。

 くらくらする頭を押さえながら、ゼラルデはなんとか平静を保った。もう既に、後には引けなくなっている。まずは皇帝にヴェルヴィオイを、ルドヴィニアの養子と認めさせることが先決だ。灸を据えるのはそれからのことである。




*****




 ルドヴィニアが望んでいる養子縁組は、あくまで私事として片付ける腹で、エクスカリュウトはその候補少年との対面の場所として皇后の客人の間を指定していた。

 予定の時間きっかりに、侍従による先触れがあり、宮女を通じたルドヴィニアの返答を得て、皇帝エクスカリュウトが泰然とした足取りで入室してくる。

 宮女たちがずらりと並んで拝礼し、ルドヴィニアですらも軽く膝を折って夫を迎えるのに倣って、ヴェルヴィオイもゼラルデに促されながら、不承不承その場に片膝を付いていた。

 エクスカリュウトは宮女たちや少年には一瞥もくれずに、真っ直ぐルドヴィニアに歩み寄ると、妻の手を取ってその甲に、当てる振りだけの接吻をした。


「お久しぶりにございます、陛下」

「そうだな」

 ルドヴィニアの硬い挨拶に、エクスカリュウトも素っ気なく応じた。エクスカリュウトはまずは妻を長椅子に掛けさせてから、自らもどっかりとその向かい側に腰を下ろした。

「ご多忙のところ、わざわざのご足労、痛み入りますわ」

「奥方の頼みとあらば致し方無い。たまにはこうして、顔を合わせるのもよろしかろう」

 おおよそ夫婦のものとは思えない会話が、淡々と交わされる。


 野次馬根性の希薄なヴェルヴィオイであったが、さすがに自国の皇帝には少なからぬ興味を抱いていた。

 十六歳で帝位に付いたエクスカリュウトは未だ三十代の初頭。ゾライユ帝国中興の君主、生きた英雄である『狼心皇帝』は、孤高の狼に譬われる美丈夫であるらしいと、巷でも評判である。その姿を確かめてみたくうずうずとして、勝手に顔を上げかけたヴェルヴィオイの頭を、ゼラルデがさり気なく押さえつけた。

 その様子は、幸いにして見咎められることはなかった。もしも今一歩遅ければ、そちらを睥睨したエクスカリュウトの目に、しっかりと捉えられていたことだろう。



「――あれがそうか?」

 跪く少年を眺めながらエクスカリュウトは尊大に問うた。『あれ』というのが自分のことであるのを察して、ヴェルヴィオイはなんとも言えぬ居心地の悪さを覚えた。

「はい、ヴェルヴィオイと申しますのよ」

 おっとりと答えるルドヴィニアに、エクスカリュウトは問いを重ねる。

「どうやら余には、面識のない子供のようだが、どこの家門の者か?」

「取り立てて申し述べられるような、名のある家の者ではございませんわ」

「ほう、それは意外な」

 呟いて、エクスカリュウトは、少年を見定む目を厳しくした。

 ロジェンター王室の直系である自らの血統を誇りとし、家柄や格式に拘るルドヴィニアが、どこの馬の骨とも知れぬ子供を連れて来たことを、エクスカリュウトは訝ったのだ。


「そなたの息子と呼ぶにしては、ずいぶん大きな子供のようだな。もっと年の端のゆかぬような嬰児(みどりご)を、想像していたのだが……」

「いけませんか? 物心もつかぬ幼児では心許ないですもの。ゼラルデがわたくしの為にと骨を折り、探して来てくれましたのよ」

「なるほど、腹心の乳母の見立てというわけか」

 少年の傍らに控えている、一筋縄では行かない皇后の乳母に鋭く視線を向けてから、エクスカリュウトはヴェルヴィオイに直接声をかけた。

「そこな子供、立ち上がって(おもて)を上げてみせよ」

 命じることに慣れた口調であり、従わせて当然の効力を持った響きであった。

 ヴェルヴィオイは逆らうことなく、エクスカリュウトの命令に従った。

 互いにとって、驚くべきものが、そこに待ち受けているとも知らずに。


「なん――……!!」

「これは――」


 ヴェルヴィオイは上げかけた声を飲んで思わず後退り、エクスカリュウトはそちらに向けて身を乗り出しながら、濃藍色の目を大きく見開いた。

 自分によく似た面差しを目の当たりにして、受けた衝撃の度合いは同じようなものであったが、立ち直りはエクスカリュウトの方が遥かに早かった。愕然としたままのヴェルヴィオイをよそに、エクスカリュウトは一瞬の後には吃驚(きっきょう)の表情を消し去ると、底冷えのするような眼差しをしてルドヴィニアに食ってかかった。


「ずいぶんと面白い容貌をしているな。そなたの乳母はこれをどこで拾ってきた? ルドヴィニア!」

「お知りになって、いかがなさいます?」

 表面だけはとり澄ました涼しい顔つきで、ルドヴィニアは逆に問い返した。

「これの母親に興味がある。見覚えのある女かも知れぬからな」


 その皇帝の言をきっかけに、どうにか自分を取り戻したヴェルヴィオイの頭は目まぐるしく回転をして、ある信じがたい可能性を導き出していた。

 ヴェルヴィオイは父親を知らない。息子の問いに対するミレーヌの答えが、「わからない」の一点張りであったからだ。

 母親が娼婦である以上は、それも仕方がないことと受け入れてきたのだが、もしも――、もしもだ、自分が皇帝に似ているのが偶然でないとするならば、ここ数日の間疑問に思っていた、全てのことに合点がゆく。


「これの母親は市井の女です。陛下の御目に掛けるような価値などございませんわ」

 乳母の言葉を借りるようにして、ルドヴィニアは白を切った。が。受けて立つエクスカリュウトは、一切の容赦をしてくれない。

「価値の無い女が産んだ子供を、そなたは養子に望むというのか?」

「それは……」

 的を射た追及を受けて、ルドヴィニアは言葉に詰まった。

 エクスカリュウトには今、その私生活を華やかに彩る数多の妾たちがいる。それ以外にも目に留まった女があれば、たとえそれが許婚のいる娘でも、人妻であったとしても、夜伽を命じることができる身分だ。

 もはや少年の頃に熱を上げていた、一介の宮女に対する執着は無いだろうが、ヴェルヴィオイがクリスティナの産んだエクスカリュウトの実子であるということを、簡単に明かしてしまうのは悔しかった。


「母親には無いと、申し上げておきますわ。価値があるのはこれ自身なのですもの。わたくしはこれを養子にしたいと思っておりますの。お許しを頂けまして?」

 開き直ってルドヴィニアは、真正面から要求を突きつけた。認めてもらえるに違いないという確信があった。

 エクスカリュウトはヴェルヴィオイが、自分の落し胤ではないかと確実に疑っている。愛しく思うのか目障りに感じているのかそれはわからないが、生かすにしても殺すにしても、自分の目が届く範囲に置いておくべきだと考えてはいるだろう。

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